日韓基督教関係史

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945~2010』日本側資料解説 飯島 信

【日本側資料解説1】

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より

掲載した資料の数から明らかなように、日本の敗戦から朝鮮戦争休戦に至るまでの8年間、日韓の交流はほとんどなされることはなかった。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領下の日本は、戦後処理をめぐる混乱の中にあり、韓国もまた、米ソ対立のただ中に置かれていた。しかし、限られた資料ではあっても、それらを読み解くことによって、その後の日韓、在日の関わりを規定する幾つかの重要な問題が明らかにされる。

紹介したい記事を年代順に挙げれば、

①在日本朝鮮基督教聯合会組織と日本基督教団脱退(20頁)

②日本の再武装に反対 ―在日宣教師団の全世界キリスト者への公開状(18頁)

③ VIADOLOROSA(慟哭の道)(24頁)

④(在日韓国人北韓送還問題に関わる)声明書(21頁)である。

①から記す。

日本の敗戦からわずか3ヵ月にして、なぜ在日朝鮮基督教会は教団から離脱したのか。彼らは言う。「……満州事変から支那事変、さらに世界大戦と進むたびに、朝鮮教会に対する(日本の=筆者注)迫害は加重され、教会は自主性を失い、日本基督教と連合しなければならない状況に至った。」そして、「今日現在、日本の敗戦により……日本に居住していた同胞たちが次々と帰国し、朝鮮教会の利権、資産、備品は日本教会に自ずと吸収され……今後、宣教機関が再び活動できる基盤すら没落する危機に至(り)緊急に大同団結を要することとなった」と。1938年の国家総動員法に基づく日本基督教団への朝鮮教会の加入は、信仰告白の一致などとは全く関係がなかったことを明らかにする。

その一方で、④の北朝鮮への帰還問題に関わる声明は、この問題の基底に「飢餓に喘ぐ」在日の人々の生活があること、その原因は、日本政府及び日本社会の在日の人々に対する差別であることを訴える。「日本国民は過去に於て、日本国の建設に生命的犠牲を提供せし在日韓国人に対し、人道的見地より差別的待遇を撤廃し、優越感を捨て、真の愛情と友好を持ってその生活の安定を保証し、社会保障と就職、就学、金融、厚生の道を開き、真の人道的精神を斯かる具体面において発揮される事こそ、韓日両国民の過去一切の感情を取り去る真の友好関係の礎となる人道的緊急事である事を信じ、これを切に要望して、全世界人士の人道的良心に訴え、声明とする」と。

敗戦後、日本人キリスト者が深い関心をもって注視したのは、日本に滞在した約260万の在日韓国人の動向と共に1950年から1953年にかけて戦われた朝鮮戦争であった。無教会の主宰者の一人である石原兵永は、彼の個人誌「聖書の言」(24頁)に、彼がある日本人から聞いた話しを載せた。

「私は一夜、この道に沿ったある町に、バンカー大佐と同宿したが、夜ふけてから人間の泣き叫ぶ異様な声を耳にした。2人が起きてドアを開けると外気のためサッと唇や髭の凍結するのを感ずる。あとで零下28度ということがわかった。雪が降って膝くらいまで積っている。その中を泣き叫びながら動めいている黒い影は、二、三百人の子供と幼児の一群であった。京城の戦災をのがれて誰かに引率されながら、すでに何十里かを歩いて来たのである。身につけたわずかの着物、足には藁(わら)ぐつだけを穿(は)いているが、その足の裏は一面の凍傷で黒くなり、見るも無惨である。われらも思わず呻いてしまった、……。」

石原だけではない。この時、「教団新報」以下、「嘉信」(矢内原忠雄)、「女性新聞」(日本YWCA)、「キリスト新聞」のいずれも朝鮮戦争の問題に触れている。しかし、その歴史的現実を招いた責任の所在、即ち36年にわたる植民地支配の問題を直視した論稿を見出すことは出来ない。かつて1910年の韓国併合の日に、歌人石川啄木が詠んだ「地図の上 朝鮮国に 黒々と 墨をぬりつつ 秋風を聴く」(『創作』)の歌の方にこそ、より深い思想性を感じるのである。

そうした中で、日本が国際社会へ復帰する一歩となる1951年のサンフランシスコ講和条約締結を前にした在日宣教師団の日本に対する思いは、注目に値する。米国長老教会、米国メソジスト教会、カナダ合同教会などが加わる在日宣教師団は、条約に参加する国々に対して公開状を発表し、この条約によって日本が「西欧ブロック諸国の列に入」ることを余儀なくされるだけでなく、再軍備の道を歩ませられることを憂慮する。即ち、日本の再軍備は「(1)西欧占領軍によって日本の新しい憲法には、国家間の紛争を解決する手段としての戦争を放棄する、という一条が得られたこと。(2)日本の再武装は日本経済

を壊滅的結果に導き、ひいてはかつての膨張政策を復活させる可能性のあること」を指摘、「桑港(サンフランシスコ)における条約批准に責任のあるあなたがたの国の政府に、如何なる形にしろ日本を再武装させたり、日本を軍事基地に用いようとする望みをすてるよう、働きかけることを願う」と訴えるのである。宣教だけでなく、日本の平和を実現するために来日した彼らの使命と良心からなされた声明である。

こうした動きの中で、日本は講和条約を締結して西側の一員となる道を選択し、韓国もまた北朝鮮との間で休戦協定を結び、東西冷戦の最前線に身を置いて行く。 (日本基督教団 立川教会 牧師)