日韓の資料を読んでの断想2 朴大信
『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より
■第Ⅰ部「アジア太平洋戦争敗戦から日韓基本条約締結まで
の交流の動き(1945-1965)
2.休戦協定成立後から日韓基本条約締結まで(1953-1965)
時代は1953年以降に進む。すなわち、朝鮮半島(韓半島)に38度線が引かれることになる「休戦協定」後の時代である。今回も「断想」という自由な仕方で、1965年の日韓基本条約に至るまでの歴史の断面を切り取りながら、私自身のこれまでの経験や出会い、また今日の状況とも結びつけながら思いを巡らせてみたい。
ただし今回は、思いがけず私の目を惹いたある一つの記事に特化してしまうことを初めにお断りしたい。「朝鮮教会の近況」(45頁)という記事である。これは朝鮮の地で約40年もの間、宣教師として仕えたA・カンベル氏が、南北分断後の1959年に、「教団新報」(日本基督教団)を通じて隣国の教会の様子を日キリスト教徒です。でも決して振り向かないでください。もし対面したら、当局からお互い身に危険が及ぶかもしれません。だからただ前を向いたまま、このような状況下で生きている私たちのために、そっと一言祈ってください。そしてどうか覚え続けてください」。
通りすがりの一瞬の出来事だったという。互いに顔を合わせることすらできなかった一期一会。名前も知らない。しかしこれが、分断後の今における北朝鮮の現実の一コマである。キリストを真の主として公言することのできない不自由さ。しかしそんな圧政下に置かれながら、キリストを本当の救い主として真剣に、そして代々にわたって、信じ続ける人々が今も確かに一定数存在する。「消滅」ではなく、「潜伏」している。そう、この地の首都平ピョンヤン壌は、かつて「東洋のエルサレム」と言われるほどいち早くキリスト教が伝えられ、宣教の拠点として極めて盛んだったのである(2019年、基督教共助会の韓日修練会で訪れた韓国最大級のあの永楽教会も、創立当初は北に建てられた)。
さて、以上に見る南北分断の光と影。それは言ってみれば、歴史の負の遺産の堆積と、そこになお胎動し続ける神のくすしき御業とが織りなす現実のドラマである。しかし歴史とは、単に人類が負の遺産を生み出しては、そこに神が救いの御業をなされるのを見る、という構図だけで成り立つものではない。むしろ人間の過ちや矛盾、そして罪に対する深い反省と真の悔い改めに立ち、そこで示される神の委託に我々が応えながら、希望の歴史を、そして和解と友情の歴史を、いわば神の国を先取りするようにして造り出す側面があるのである。それこそが、この『日韓キリスト教関係史』において、我々が最も注視しなければならない歴史の姿に違いない。
歴史は繰り返す。負の歴史は幾度も繰り返す。しかしまた、歴史は新たに形成される。否、形成されなければならない。私はこの意味での一つの鉱脈を、敗戦から実に20年も経た1965年、つまり今号の時代区分ではその末期にあたる1965年に
起きた出来事の中に見出せるように思う。すなわち、日韓基本条約締結をめぐって韓国では激しい反対運動が起きていた中、韓国基督教長老会の第50回目を記念する総会において、当時の日本基督教団議長・大村 勇牧師がどのようにして迎え入れられ、どんな交流があり、またそこからいかなる未来志向の課題が示され、継承されたのか。この一連のプロセスに光を当てることである。しかし既に紙幅が尽きた。最後に大村の次の一言だけ紹介しつつ、この続きは次号の最初で触れることを予告して、筆を置くことにする。「日本の教会は、この韓国教会を真に隣人としてもつことをとおして、ほんとうの教会になる」(58頁)。(日本基督教団 松本東教会 牧師)