証し

私のもう一つの歩み―聖書を原語で学ぶ 堀澤 六郎

私が聖書に出会ったのは1965年に長岡高専に入学した年です。内村鑑三の著書を通してキリスト教に出会い、内村鑑三やその流れをくむ三谷隆正、矢内原忠雄の著作とともに聖書を学びました。一方、授業ではギリシア文字を用いる数学、物理の難しい数式で苦労して落ちこぼれていました。そんなある日、新約聖書がギリシア語で書かれていること、そして英語のIt’sGreek to me. という慣用句が「ちんぷんかんぷんだ。」という意味であることを知り、新約聖書を原語で読むという大志(アンビション)を抱きました。神田盾夫著『新約聖書ギリシア語入門』(岩波全書で学び始め、主の祈りの原文を始めて読みました。「パテル(父よ)へーモーン(われらの)……」しかし学びは途中で挫折してしまいました。けれども卒業直後の1970年の春に、玉川直重著『新約聖書ギリシア語独習』(友愛書房)に出会い、仕事の傍ら1年かけて学びました。最後のページに書き込みがされています。「不完全ながら、とにかくここまで許されて学ぶことができた。感謝すべきかな。この学びが主の御心を知り、忠実に従うことができるための一助となるように祈り求めよう。1971年3月31日」

しかし基礎文法を終えた程度では原典に歯が立ちません。再び挫折です。その後1975年に新潟大学医学部に入学を許された後、三度目のチャレンジを試みました。今度はギリシア語に加え、ヘブライ語、ラテン語の初歩も独学で学びました。人間のための医学には人間を理解する必要があると考えました。医学の父のヒポクラテスが生きた地中海文明を理解するために、3つの言葉を学んでみたいと志しました。奇しくもイエスの罪状書きはこの3つの言葉で書かれています(ヨハネ19章20節)。イエスの十字架の意味をこの3つの言葉で学びたいと願いました。

医学部卒業後、海外医療協力を目指し、名古屋第二赤十字院、愛知国際病院で研修をしました。創立間もない愛知国際病院では3日に1日が日当直でした。それほど忙しくないのですが院内に拘束され、ひまを持て余した時はギリシア語で聖書を学びました。8年の研修の後に、1989年に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から内戦下のカンボジアに派遣されました。当時のカンボジアは社会主義のため、キリスト教の礼拝が許されていませんでした。聖日は部屋の中でギリシア語の辞書を引きながら聖書を読みました。主の祈りの「私たちに日ごとの糧を今日お与えください。」の中の、「日ごとの」と訳された言葉のエピウーセオスが実は意味がよくわからず、2つの意味の可能性があることを学びました。「その日」と「明日」の2つです。内戦下のカンボジアには明日という希望がありませんでしたので、「明日の糧」の意味にとってみました。現地の人々とともに、「私たちに明日の糧の希望を今日与えてください」と祈りました。

帰国後は1991年から現在まで、名古屋市郊外の小さな病院で、診療や予防医学の仕事を続けています。

50歳を過ぎた頃に最初の大志がまだ果たされていないことに気づきました。構文法を踏まえて、大きな辞書で丁寧に読むのは力の限界があるので、とりあえず、全体を書き写すことを試みました。十余年かけて終わり近くまで書き写しました。古代の写字生になった気持ちでした。写本の書き間違いも体験できました。読みふけった長編小説が終わり近くなると、終わるのが惜しくなるように、書き写すのが終わることが惜しまれました。それで、ヨハネの黙示録を残して、次の課題を探しました。新約聖書の著者たちが使用したギリシア語訳旧約聖書(七十人訳)を学ぶことです。創世記からチャレンジしました。今度は書き写しではなく、ドイツ聖書協会のホームページで原文を手に入れ、パソコン画面で辞書を引きながら創世記を読みました。ヘブライ語の原典から訳された日本語訳とギリシア語が微妙に違うので、ヘブライ語の原典も学んでみたいと思いました。ヘブライ語の文法のおさらいをして、創世記を初めから少しずつ書き写し始めました。ヘブライ語の旧約聖書、ギリシア語の七十人訳は大長編で簡単には終わらないので安心して続けることができます。

2019年末からの新型コロナ感染症の世界的な試練の中で、私の勤務する小さな病院では直接にコロナの患者さんの受け入れや診療ができませんでしたので心苦しい思いをしましたが、院内感染の予防、学校医をしている高校での感染対策、養護老人ホーム内での感染予防やワクチン接種などで少しは苦労しました。仕事以外は外出や出会いが制限される中で、静かに旧約聖書の詩篇を学ぶことが促されました。詩篇の詩人の賛美と嘆きや感謝などをヘブライ語、ギリシア語、英語、日本語、学生時代にかじったラテン語、ドイツ語、フランス語も加え、7つの言語で学び始めました。そして、今この時、「私たちを試みに遭わせず、悪からお救いください」と祈りを合わせています。

(内科医・日本基督教団 名古屋中央教会員)