寄稿

李相勁牧師を迎えて 李省展(イソンジョン)

現在多くの教会はコロナ危機という多くの苦しみと困難の中、教会各々が様々な方途を探りながら、伝道の御業に励んでいることと思われる。

このような中にあって筆者の所属する在日大韓基督教会 川崎教会はコロナ危機への対応以外にも、二年前の春の前任牧師の突然の召天は教会員に大きな衝撃を与え、それが教会堂建築の最中に生じたということから、教会建築を継続するか否かの信仰的決断をも教会は迫られることとなった。牧師不在当初の教会役員会(堂会)構成は、何の巡り合わせか、現役長老は筆者一人であり、名誉長老が五名という構成であった。長期にわたる牧師不在の時期を、この六名と執事を中心として、さまざまな事態に対応せざるを得なかった。

どの教会でも同じであると思われるが、教会建築は信徒それぞれの信仰が問われる一大事業である。川崎教会もさまざまな論議を重ねてきたが、改めて意見を交わすと、信徒個々人の教会に対する思いは実に多様であることに気付かされた。木造の礼拝堂を建て、祈りの場を大切にする教会、隣人とともに生きる多機能な教会などなど、論議の末に意見が合わず、一部教会員が離れることにもなった。またそれと同じく、私たちの真のリーダーはイエス・キリストであるのだが、個々人の教会観の違い、多様な信仰の在り方が牧師招聘をめぐる問題にも反映されていった。

川崎教会は1947年に創立された教会であるが、その歴史を振り返ると、その原型を成したのが、筆者の父親であり、共助会員でもあった故李 仁夏牧師の在任期間であった。筆者は日韓条約も締結されていない時代に関田寛雄牧師が保証人となり小学校入学が許可されたが、妹の幼稚園入園をめぐる日本社会との葛藤など当時の多くの在日韓国・朝鮮人が経験せざるを得なかった民族差別から、分け隔てのない保育をということから無認可桜本保育園がつくられ、その流れはキリスト教精神に立つ社会福祉法人青丘(せいきゅうしゃ)社へと結実していった。現在青丘社は多文化共生を地域より発信し、それこそ「揺り籠から墓場」まで、零歳児保育から学習支援、障がい者ケア、高齢者支援にいたるまで、17のプロジェクトをかかえる総合福祉施設へと発展を見ている。隣人愛の技として青丘社は存在し、教会と青丘社の間には「真実の連帯を求めて」という文書も存在する。したがって牧師招聘にあたってはこのような関係性を理解し、地域に開かれた教会のあり方を模索する宣教を積極的に推進する教職者であればとのコンセンサスが徐々に形成され、熟考の末、李 相勁牧師を招聘するに至った。

李 相勁牧師は在日大韓基督教会から日本キリスト教団への派遣宣教師として京都の福知山教会の牧師として赴任されていたが、くしくも再び在日大韓基督教会へと呼び戻すことになった。お連れ合いの鄭チョン 富ブキョン京牧師は京都教区で日本キリスト教団巡回牧師をされていたが、川崎では桜本保育園のチャプレンとしてお迎えすることとなった。李 相勁牧師は、同志社の神学部修士課程を修了され、民衆の神学にも造詣が深く、民衆の神学者である、崔チェ 亨ヒョンムク黙牧師とも親交が深いと聞いている。また同志社大学の前にはホーリネス系の関西聖書神学校にも在籍された。この保守と進歩の両面を備えた李 相勁牧師は、お連れ合い他との共著で『玄海灘を渡った女性信徒たちの物語 ― 岸和田紡績・朝鮮人女工・春木樽井教会』という書物を出版されており、歴史に対する関心も深い。先日は、青丘社の三浦和人新理事長と筆者を含めて三人で懇談した際に、是非とも桜本の地域史を書き上げようという話で盛り上がった。

さる10月10日の午後、川崎教会では対面による関東地方会による李 相勁牧師の委任式が執り行なわれた。同時に二名の長老将立式も挙行された。関東地方会の教職者を初め内外からのゲストも含めて50名を超える人々が参加してくださった。青丘社の後援会長でもある関田寛雄牧師、恩師の深田 未来生牧師、徐正敏教授、飯島 信牧師から祝辞を頂いた。飯島牧師は、若かりし頃この地域に住み込みながら在日韓国・朝鮮人の直面する課題を日本人キリスト者として共に担った経験を、懐かしさを込めて披歴し、同じ共助会員の李 相勁牧師への期待を力強く述べてくださった。

新たに建築される教会は複合的である。三階に礼拝堂と集会室があり、礼拝堂の上の四階は吹き抜けになっており、四階にはまた牧師館がある。一・二階には地域に散在していた青丘社のプロジェクトが集結することとなる。アメリカでいうプロジェクト・チャーチであろうか。献堂式は来春を予定している。

前任者の突然の召天に傷を深めた教会に李 相勁牧師は苦難と慰めは同時にあるというメッセージを伝え(コリント第二1章3―7節)、着々と建築が進む中にあっても、教会は建物ではない、人と人との繋がりであるというメッセージを信徒に語る。新たな出発が川崎教会に許されたこと、そして李 相勁牧師とともに歩む機会が与えられたことを大いなる恵みと受け止めたい。

(在日大韓基督教会 川崎教会員)