寄稿

寄留者の隣人に 宮島 牧人

神学校最終学年、牧師として赴任する教会が決まったとき、真っ先にある牧師を訪ねた。実習生のときに1年間お世話になった「なか伝道所」(横浜市中区寿町)の牧師である。茨城県牛久市にある牛久教会に赴任することを報告したところ、その牧師がわたしに言った。「牛久には入管があるからそこに行きなさい。『旅人に宿を貸し、牢にいたとき訪ねてくれたのはわたしにしてくれたことだ』(マタイによる福音書25章)とイエス様が言っているが、そこでは旅人の外国人が牢のようなところに入れられている。」それが入管に収容されている人たちとの出会いのきっかけとなった。

牛久市には東日本入国管理センター(以下、センター)がある。全国に3つある収容所の1つで700人を収容できる施設だ。わたしは2009年から教会と幼稚園の働きの合間をぬって、最初のうちは「牛久入管問題を考える会」のメンバーを頼りつつ、被収容者(入管に収容されている人たち)との面会を始めた。センターではまず面会受付に行き、申請書に被収容者の名前と国籍などを記入する。しばらく待って面会室番号が伝えられ、そこに入ると目の前に大きなアクリル板(下の一部分に小さい穴が空いている)が見え、その壁によって隔たれた向こう側に被収容者が連れてこられる。刑務所や拘置所の面会室とほぼ同じだ。手と手を直接触れ合うことのできないその面会室でわたしは数多くの被収容者たちと会ってきた。

センターにいる被収容者たちは入管法に違反したいわゆる不法滞在者だ。わたしは決して彼らをこのようには呼ばないが「不法滞在者」と一括りにされても、彼らは皆それぞれ母国に帰ることができない、あるいは帰りたくない事情を抱えている人たちである。その事情は国外事情と国内事情に分けられる。国外事情としては、空港で難民申請をしたが認められず収容された。

政治活動や同性愛、家族間トラブルなどで国に帰れない。留学生ビザや技能実習生ビザで入国したが、資格以上の仕事をしてしまった、などがある。国内事情では、オーバーステイ後も長年日本で働き家族ができて長く生活をした。日本での滞在期間が長いため母国に帰っても生活基盤がない、などがある。

また、難民申請をする人も多くいる。難民とは政治的迫害ほか、武力紛争や人権侵害を逃れるため、国境を超えて他国に庇護を求めてきた人々を指し、日本は難民条約を批准した国である。しかし、2019年の日本の難民認定率は0・4%と、他国に比べて極端に低い。まさに日本は難民鎖国となっている。ただ、日本は難民条約に加入しているため、難民申請中の被収容者を強制送還することができないためわたしは面会した人たちに「難民申請中は無理やり(強制送還のことを「無理やり」と表現する人は多い)はないから大丈夫ですよ」と伝えている。強制送還の不安に加え、センターに収容されていること自体が心身に負担を与える。まず、自由がほとんどない。部屋はすべて相部屋でトイレとテレビ、洗面所があり、多い時には12畳に7〜8人が寝泊まりする。1日の大半(18時間)をこの部屋で過ごし、部屋から出ることができるのは9時の点呼から12時の昼食までと、部屋で昼食を取った後の3時間ほどに限られる。それも建物の外に出ることは許されず、部屋と部屋をつなぐ廊下、シャワー室、洗濯室、運動施設など限られた場所にしか移動できない。数日間の収容なら耐えられるかもしれないが、収容期間は無期限となっているためいつそこから出られるのかもわからない。携帯電話もパソコンも使えず、外部との接触は電話か手紙、あるいは面会のみとなっている。しかもその電話は外からかけることができず、被収容者が決められた時間内にテレホンカードを使ってかけることしかできない。

この収容施設から出ることのできる手段として仮放免という制度がある。これは一時的だが収容所から出ることのできる入管独特の制度だ。ただ仮放免中も1〜2か月に一度は必ず入国管理局に出頭しなければならない。その他にも移動の制限や就労禁止など厳しい条件があるが、収容所と比べればかなり自由度が高いためそれを求める被収容者は多い。面会活動をしている中で何よりも嬉しいことは仮放免が許可され、それを伝える時だ。「仮放免がOKになりましたよ」と報告すると「ありがとう」と涙を流して喜ぶ人もいる。しかしながら仮放免申請にたどりつくにはいくつかの難しい条件を解決しなければならない。まず、許可後に生活する住所を確保し、そこに住む人の生年月日、国籍(日本人でない場合は在留カード番号)などの情報を提示するのだが、日本に知り合いがあまりいない被収容者にとって住所を確保することは困難だ。特に日本の空港で入国を拒否され捕らえられてしまった人の場合は日本に知り合いが全くいないこともある。また、それに加えて保証人のなり手を見つけなければならないが、入管に収容されている外国人の保証人になってくれる人など簡単に見つかるわけがない。それでも数々の条件を整えてどうにか仮放免を申請しても、許可または不許可の結果が出るまでに2か月はかかる。また不許可になってもその理由は教えてもらえない。被収容者が何よりも求めるのは、仮放免による収容所からの解放である。これまでにわたしが仮放免を申請し許可された人の数はのべ200人を超える。保証人と なっただけの人数を合わせればその倍以上はあるだろう。しかし、仮放免申請をしても不許可となり自ら国に帰ることを決断した人、あるいは強制送還となった人もいる。

センターでの被収容者の生活は不自由なだけでなく、かなり辛いものだ。毎日、毎食同じような冷たいお弁当を食べなければならない。毎日同じような冷たい食事を食べている彼らの中には少しでも美味しく食べようと工夫をする人がいる。部屋にある湯沸かしポットを使って冷たいご飯とおかずを温め、味やスパイスを足して食べたり、朝食に出たパンやフルーツをとっておき、ケーキを作って仲の良い人にバースデーケーキとしてサプライズで渡したりすることもある。中にはリンゴやバナナを使ってペットボトルでお酒を作った人もいる。発酵が進みすぎてある時、バンという大きな音とともにボトルが爆発し部屋中にいい匂いが漂った。「何が起きた」と急いで駆けつけた入管職員にお酒を作ったことがばれ、作った本人は懲罰房に入れられたと笑いながら教えてくれた。入管は刑務所よりもひどいと実際に刑務所を経験した被収容者は言う。懲罰房は3畳ほどの部屋で上にはカメラがついていて24時間監視されている。部屋から出ることは許されず、ずっと見られていると思うだけで落ち着かない。奥に小さい窓があり、トイレと小さい洗面所がついている。ベッドはなく渡された毛布にくるまって畳の上で寝る。

2016年6月に一人の仮放免者から「また、収容されてしまいました」と電話がかかってきた。すぐに会って話をしたかったが、わたしの住まいと働きの場が牛久から東京に変わっていたため、面会に行くことはできなかった。ただ、面会はできなくても仮放免申請は可能なので申請をした。しかし、その頃から仮放免の運用が厳しくなり、何度申請しても不許可となってしまう。仮放免が許可されなければ収容期間がどんどん伸びていくことになる。そのため以前は稀であった2〜3年の収容者も次第に増えていき、彼も例外ではなかった。この処遇に対し2019年頃から全国の入管収容所でハンガーストライキが始まり、センターでも一時期100人を超える人たちが何十日間も水と塩分以外を取らずに収容の長期化に抗議した。入管職員から「あんたたちは(国に)帰るまでは(仮放免なしで)ここにいるんだよ」と言われた。

ハンストは命がけだ。当時、ニュースや新聞でも報道されていたが、長崎県大村市にある大村入国管理センターでハンストを行っていた40代のナイジェリア人男性が体調を悪化させ、ついには命を落とす事態となる。彼は日本国籍を持つ子どもがいるため帰国を拒否していたのだ。わたしがよく知るイラン人男性もハンストによって体重が15〜20キロほど減り、摂食障害を起こしていた。彼は2019年の夏、2年も申請を繰り返した挙句ようやく仮放免が許可されたが、その仮放免許可書には2週間後に出頭するようにと書いてあった。つまり2週間後にまた再収容される可能性があるのだ。案の定2週間経って出頭すると、懸念したとおり彼は再収容されてしまった。彼は2週間だけの仮放免を2回経験する。2回目のときは数日間、わたしの教会の祈祷室を宿としたが、摂食障害のためにスープしか飲めない状態であった。支援する弁護士と会ったり、病院での診察を受けたりするうちに2週間は瞬く間に過ぎ、彼は再びセンターに逆戻りとなる。この対応はひどいと怒った支援者の弁護士と彼はこの非人道的な扱いを国連に訴えた。国連の恣意的拘束に関する作業部会はこの訴えを重く受け止め、日本国政府に対し長期収容は「国際法違反」だと指摘する意見書をまとめ是正勧告した。2020年9月のことである。

そのイラン人男性は言う。「(被収容者)みんなを犯罪者扱いすること。それが一番悔しいし辛い。真面目に働いてきたのにどうしてこんな扱いをされるのか」。入管に収容されている人たちの多くはそれぞれに国に帰ることのできない事情を抱えている。また彼らは刑事罰として収容されているわけではない。「入管の問題はなんですか?」と聞くと彼は答えた。「長期収容。難民申請者を入管に閉じ込めておくことが問題。犯罪者のように収容所に入れられては、難民と認められることは無理に等しい。それと病気の人の扱いがひどい。病院に連れて行って欲しいと言ってもなかなか対応してくれず、そのことで亡くなった人もいる」。

今年3月、入管施設で亡くなったスリランカ人のウィシマ・サンダマリさんは適切な医療を受けられず、衰弱してベッドから落ちても数時間放置され、入管職員から侮辱的な言葉を投げかけられた。彼女が死亡するまでの13日間の様子は監視カメラ映像として残されているが、入管は2時間程度に編集したものだけを提示し、都合のいいところしか見せていない。

これら入管収容者や仮放免者の現状、難民申請制度の問題点、今年5月に廃案になった入管法改正案など多くの問題がある。自国に戻れず弱い立場に置かれた人たちを置き去りにし続ければ、日本自体が人の権利をないがしろにする社会になってしまうだろう。だから、肌の色、国籍、年齢、学歴、性志向など、どんな違いを持った人も働けて、安心して暮らせる社会、助け合い、支え合う共生社会を目指すべきである。そのためにも現行の入管法の改悪でなく、国際基準に則った改正が求められている。           

(日本基督教団 原町田教会牧師)