日韓キリスト教関係史資料Ⅲ(1945-2010)

戦後補償問題を含む日韓の交わりと統一への模索(1987-2010)井田 泉

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』

(新教出版社、2020年)より

1987年の6月抗争により韓国の民主化は大きく前進した。それとともに南北対話への期待が高まった。翌88年2月2日、韓国NCC(韓国基督教教会協議会)は「民族の平和と統一に対する韓国基督教会宣言」を発表した(日本側資料所収)。その一部を引用する。

「韓国のキリスト者は、平和と統一に関する宣言を宣布しつつ、分断体制の中で、相手方に対して、長年深い憎悪と敵愾心を抱いてきたことが私たちの罪であることを、神と民族との前で告白する。」

「韓国基督教教会協議会は、1995年を『平和と統一の禧年』として宣布する。」

「韓国教会は、『禧年に向かう大行進』において、平和と統一のための教会刷新運動を活発に展開する。」

これに対して保守的諸教団は連名で批判し、「去る6.25 動乱[筆者注・朝鮮戦争のこと]の経験と北韓の飽くことのない南侵野望がなお存在している現実」を強調した(「民族統一と平和に対する韓国基督教教会協議会宣言に対する改新教諸教団の立場」)。これに韓国NCCは反論し、「我々の悲惨な現実に対して胸を痛め涙しつつともに祈りながら民族の問題を議論」し、自らの悔い改めをこめた「告白的宣言が、その精神と意図に顔をそむけたまま、ある部分のみをもって論難されるのは遺憾なことである」と述べた(「『民族の統一と平和に対する韓国キリスト教会宣言』に対する論難に関して」)。

この年9月に開催予定のソウル・オリンピックは南北共同開催が期待されたが、結局は実現しなかった。さらにその翌89年3月25日、文益煥(ムンイックアン)牧師が韓国政府の「事前承認」なしに北朝鮮を訪問、金日成主席と会談した。「文益煥牧師の北訪問事件について」は、文牧師の属する韓国基督教長老会ソウル老会([筆者注・「老会」は教区ないし中会にあたる])が彼の行動を積極的に支持したものである。

「分断40余年となる今日、統一を成就し、民族を救い、この地に平和を実現することこそ、我々の教会のもっとも緊急かつ重要な宣教課題である。こうしたときに本老会の文 益煥牧師が北韓を訪問した事件は、我々の信仰告白を体で実践したものであり、聖職者としての純粋さと統一を念願する衷情からなされたものである。この機会にわれわれの教会はもちろん、国民と政府も彼の純粋さと衷情を受けて、平和と統一の大きな契機とすることを願う。政府は文益煥牧師の北訪問事件を口実に民主勢力を左傾容共として弾圧してはならず、第五共和国清算や光州問題の解決を伸ばし、あるいは埋めてしまう機会としてはならない。さらにこの北訪問事件によって文益煥牧師を拘束することは決してあってはならない。」

しかし韓国政府は帰国した彼を逮捕し、統一運動を抑え込もうとした。1919年の三・一独立運動は、韓国の歴史に非常に重要な意味を持つものとして繰り返し記念されている。梨花学堂在学中、故郷に帰って独立運動を指導し、16歳で獄死した柳寛順(ユグァンスン)は、メソジストの信徒であり、その母教会はメボン(梅峰)監理教会で

ある。メソジスト教会の機関誌『基督教世界』は「柳寛順とメボ

ン教会」を1988年1月号に掲載した。彼女が獄死した西大門(ソンデモン)刑務所は、独立運動に加わった多くの人々を拷問にかけ、あるいは獄死させたほか、金大中(キムデジュン)(後に大統領)、池学淳(チハクスン)(カトリック司教)を含む多くの民主化運動家を収監した場所でもある。

1991年4~6月には、1987年の六月抗争以来最大規模のデモが起こった。5月3日、大韓聖公会ソウル大聖堂所属の学生信徒である千世容(チョンセヨン)が「盧泰愚(ノテウ)愚政権打倒」を叫んで焼身自決した。大韓聖公会全国司祭団はただちに断食祈祷会を行うとともに、遺族や各関係団体と協議し、 葬儀を「愛国学生故千世容(ヨハネ)民主国民葬」とし、聖公会の典礼に即して行った。この際、「自死した者に対する式文使用不可」という大韓聖公会公祷文の規定(当時)をどう扱うかが問題となったが、彼の死は「この世に灯をともそうとする信仰の発露」と理解され、「特免」の措置がなされた。収録した四つの資料はいずれも現場で印刷、配布された原資料からの翻訳である。

最後に収められた資料は、1998年8月15日にイエス教長老会京東教会で行われた「ʼ98民族の和解・平和・統一のための 祈願礼拝」の当日に配布された式文である。「執り成しの祈り」では「民族の和解と協力・交流と信頼回復のために働き、先に逝かれた方々と、今も冷たい監獄で苦しんでいる人々を慰め、恵みを注いでくださるように」との切実な祈りがささげられる。〈聖晩餐の場〉の冒頭では「教友の皆さん、神はヘブライ人がエジプトの地で苦労し抑圧され、苦しみ叫んだとき、彼らを憐れんで救われたように、わたしたちの民族が日本の植民地統治下で苦労し苦しみ叫んだとき、わたしたちの民族を憐れみ救ってくださいました」と、出エジプトの出来事と重ねて民族の解放を振り返り、 「この感謝の日に、主は再びわたしたちにこの尊い場所を設けてくださいました。この食卓は、神がすべての人類を罪と悪から解放し、自由にしようとその御子をとおしてわたしたちに設けてくださった救いの食卓です」と感謝の祈りをささげる。日本のキリスト教は、この祈りの前に自らを正されずにはおれない。              

(日本聖公会司祭)