2.民主救国宣言から民主化闘争勝利まで(1976-1987) 朴大信

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より

■第Ⅱ部「韓国民主化闘争と日韓連帯の動き(1965-1987)」

今年も、クリスマスカードを交わし合う季節を迎える。矢のように過ぎゆく時の早さにあって、しばし心の温もりを互いに通わせ合う大切なひと時でもある。私にとってクリスマスといえば、子どもの頃はただプレゼントをもらえる楽しみばかりを期待していた。しかしある時から、受け取る喜びだけではなく、贈る喜び、あるいは分かち合う喜びの大切さにも気付かされ、意識するようになった。クリスマスの本当の喜びに立ち返るために。そして何より私自身が、神の愛から離れることがないために。そんな思いをあらためて喚起してくれる文書に出会った。「三たび韓国の兄弟にクリスマスカードを」(474頁)。

これは、韓国の民主化闘争が激しい盛りをみせていた時代、この闘いのために獄中に捕えられ、そこで厳しい冬を過ごすことを余儀なくされた隣国の兄弟たちにクリスマスカードを贈ろうと、一人の日本人キリスト者(肩書は「労働者・CS教師」)が、日本の教会等に連帯を呼びかけたものである。彼はこう述べる。「……これら隣人の戦いと苦しみを知るとき、私は、主のみ言葉を知りながら何もしていない自分を発見します。私は……日本のより多くの主にある兄弟たちが、韓国の兄弟たちと生誕の喜びをわかちあいその交わりを通して韓国の兄弟たちのいたみを少しでも理解されることを願います」。

連帯。隣人愛。こう言えば聞こえは良いが、人が人と共に生きるという現実の深みには、他者の痛みや苦しみを共にするという重荷が伴う。しかし、その重荷を背負う歩みを本当に支える力、方法は何であろう。それは、まさに「(御子の)生誕の喜びをわかちあいその交わりを通して」のことだと教えられるのである。いったい、キリストの誕生の喜びは私たちに何をもたらすのか。

それはインマヌエルの出来事であった。しかしそれは単に、神がこの私と4 4 共におられる愛の約束ではない。「神は我々と4 4 4 共におられる」(マタイ1:23)という愛の約束に他ならない。だからあのヨセフも、一度はマリアとの離縁を決意したが、インマヌエルの出来事によって、そうした自らの正しさに生きることから解き放たれ、神の正しさ(義)、すなわち神の愛に生きる自由が与えられたに違いない。彼はマリアを妻として迎え入れた。マリアの不安と苦悩を共にした。そうしながら、しかしその重荷に宿る神の御業の光を見つめつつ、隣人として共に歩み出すことができたのである。愛すべき隣人を発見したと言っても良いだろう。実に神の愛に生きるとは、インマヌエルの出来事を生きること。それは、人が、一人ではなく、互いに隣人として生きることができるようになるための、新たな〝我々〟の発見、あるいは愛の共同体の再創造をもたらす力なのであり、その我々に対する、神の限りない同伴のリアリティなのである。

こうしてみると、韓国の兄弟たちに三度もクリスマスカードを贈ったこの小さな出来事は、間もなくクリスマスを迎える時節と相まって、まことに象徴的で、尊い。キリストの愛は、理念として掲げられるに留まらず、まさにその愛において人を造り上げ、真の交わりを生み出し、平和の礎を築くものとして受肉するからである。「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」(ルカ2:14)。そしてこのような日本側からの信仰的連帯は、隣国が激動と苦難を経験している時代にあって、日本国内の各教会、教派、組織レベルにおける本格的な支援運動に弾みをつけることになり、日韓キリスト教史の中でもとりわけ目を見張る交流の内実を生み出した。

今、そうした信仰的連帯に注目するのは、しかし無論、日本の教会やキリスト者たちの勇敢さ、信心深さを一方的に称えるためではない。韓国の民主化闘争、そしてついには民主化宣言(1987年)に至った政治的舞台の背景には、無数の民衆たち、労働者たち、学生たち、宗教者たち、また知識人たちの決死の闘いがあった(115頁)。その志と肉体がどんなに打ちのめされようとも、かれらは屈することなく、立ち上がり続けた。まさにその命の鼓動に呼応したからこそ、日本のキリスト者たちもまた、共に歩もうとしたのではなかったか。さらに言うなら、その命が抑圧され、呻きながら鼓動を高鳴らせていた隣国の兄弟姉妹たちの傍らで、他でもないキリストご自身が共に苦しまれ、共に歩まれ、なおそこに連帯する友を招いておられたからこそ、その御声に聴き従ったのではなかっただろうか。

ここに、自己を超越した存在(他者の内に働く神)からの呼びかけに呼応して生きる責任主体、また人格主体としての人間の姿が胸に迫って浮かび上がる。そしてあなたは今、誰と共に歩むかと主に問われる思いである。

以上にみる連帯の姿は、海を隔てた隣国に対してのみならず、同時に、日本国内に暮らす「隣人」への連帯としても顕れていたことに心を留めたい。いわゆる「在日問題」に対してである。

今日、この問題を十把一絡げに語ることは困難である。「在日」の定義は難しい。一人の「在日」として生きるこの私自身の歩みを顧みても、決して一様ではない。しかし私の親や祖父母世代にあたる一、二世の同胞たちがこの日本社会で闘ってきた足跡と、そこで守り抜こうとした民族的誇りの重みは、今の私の中にも息づいている。一言で在日の人権回復のための闘い、とは言っても、私がそこで受け継いでいるのは、誰かを打ち負かしたり何かをすることができるための権利主張というより、純粋に、生まれ持った民族的出自に感謝と誇りをもちながらこの日本で生き、偽りなき姿で神の栄光を現わしたいという願いである。特に、自分の名前を本名で名乗ることへの戸惑いと誇りは、やはり私にとって今なお特別なことである。

戦前、祖国は、日本の同化政策の下で強制的に名前を変えさせられた。解放後、日本に定住することになった同胞たちの多くは、しかし民主主義社会の中で取り残されるように様々な偏見や差別に遭い、この苦しみから逃れるために日本名(通名)を名乗り、自分自身を隠す、偽るという屈辱をなお引きずった。私の父も例外ではなかった。しかし今私は、紆余曲折を経ながらも、一貫して本名で生きている。しかしこの背後に、いったいどれほどの日・韓・在日のキリスト者、また教会間による悔い改めと連帯、そして闘いが積み重ねられていたことか。本資料に目を通しながら、胸が熱くなった。        

(日本基督教団 松本東教会牧師)