日韓キリスト教関係史資料Ⅲ(1945-2010)

2.「民主救国宣言から民主化闘争勝利まで(1976-1987)」飯島 信

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より

■第Ⅱ部「韓国民主化闘争と日韓連帯の動き(1965-1987)」

幾度にも及ぶ韓国訪問の中で、忘れ得ぬ人々、忘れ得ぬ言葉との出会いがあった。その幾つかを記して、韓国民主化闘争とは何であったのかを考えたい。まず、1970年代、出獄したばかりの一人の知識人の言葉である。

「韓国の政治的安定、分断された民族の統一は、根源的な民主化以外にない。民主化とは、国民が主権を行使できる体制にすることである。民主主義の核心は何か、それは人権である。さらに人権問題の核心は何か、それは自由である。自由とは、あらゆるもの、あらゆる道徳的価値をも越える根本的価値である。韓民族は、この自由の価値を、その民族の試練より得て、魂に刻印されている。」(495頁)

語る彼を見つめながら、韓民族の歴史を思った。特に日本による朝鮮植民地統治下に起きた1919年の3・1独立運動。日本軍や警察の苛烈な弾圧に対して、出来る限りの非暴力・不服従・直接行動を貫いた人々に想いを馳せた。「韓民族は、この自由の価値を、その民族の試練より得て、魂に刻印されている」との言葉は重かった。

次に出会ったのは、趙泰一(チョウライル)の詩である。

「慟 哭」

まっ暗な空の下

丈高い電信塔は

ひねもす 哭な いた

ソウルから釜プ 山サンまで

あるいは木モッ浦ポ まで

津々浦々をかけめぐり

この時代を哭いた

野原をめぐり

河をとびこえ 

山の嶺を息を切らしてのぼり

空には空を語り

風には風を語り

冬には冬を語り

慟哭は慟哭を生んだ

目が凍りつき

耳が凍りつき

口が凍りつき

哭くことすら凍りついて

冷たい空の下

丈高い電信塔は哭いた

ひゅうひゅうと冬を哭いた  (506頁)

全ての言論の自由、表現の自由、哭く事の自由すら奪われて、息をつめて生きている人々がいる。彼らに代わって、彼らの想いを詩人は詠(うた)った。

さらに、忘れることの出来ない言葉がある。1980年の光州事件の首謀者として全斗煥(チョンドゥファン)将軍に逮捕され、軍事法廷で死刑の求刑を受けた金大中(キムデジュン)氏の最終陳述である。

「……一昨日求刑を受けた時、私にも意外に思えるほど私の心は静かであった。そしてその日は、公判廷に出てきていたせいもあったと思うが、いつもよりよく眠ることができた。それは私がキリスト者として、神の欲したもうところであるならば、この裁判部を通して私は殺されるであろうし、そうでなければ、この裁判部を通して私は生かされるであろうと信じて、すべてを神に任せているためだと考える。……」(542頁)

何という言葉かと思う。明日、死刑判決を受け、殺されるかも知れない現実を前に、神への信仰告白とも言うべきこの言葉に粛然とさせられるのである。自らの生と死は、神の御手の内にある。全てを神に委ね、信じて従う彼の前に、先立ち給うキリストを見る。

そして、1987年6月から7月にかけて、ソウルの明洞大聖堂前広場を、数十万の民主化を求める人々が埋め尽くした。その力の前に、遂に軍事政権は敗北を認め、蘆泰愚(ノテウ)民主正義党代表委員は韓国の民主化を約束する。

「親愛なる国民の皆さん……本日、この時点で、私は社会的な混乱を克服し国民的和解を達成するためには皆さんが求める大統領直選制を選択せざるを得ないという結論に至りました。国民は国の主人であり、国民の意思はあらゆるものに優先します……」と。(680頁)

韓国問題キリスト者緊急会議実行委員、及び事務局専従となって以降、韓国民主化闘争を戦う人々を思わない日はなかった。人間として扱って欲しいと、低賃金長時間労働の改善を望んだ女子労働者たちは、会社側が雇った暴力団に襲われた。抵抗した彼女たちに、彼らは糞尿を浴びせた。それでも、彼女たちは負けなかった。打ちのめされ、傷つけられ、逮捕され、解雇されても立ち上がった。学生も、労働者も、言論人も、知識人も、宗教人も、屈服しなかった。どれだけ多くの者が官憲に連れ去られ、拷問を受け、牢獄の中で寒さに震えたか。一体何人が、無実の罪を着せられ、絞首台に上らされていったか。釜山、馬山では暴動が起き、光州では市民は武器を取り、軍による激しい弾圧にさらされた。それでも、人々は立ち上がり続けた。

打ちのめされても、打ちのめされても、彼らが求め続けた自由とは何か、民主主義とは何かを思う。この時、韓国民主化闘争の烽の ろ し 火を挙げた1973年のソウル大生の声明文がよみがえる。「学友よ、自由と正義、そして真理……。この地に……必ず実現させる歴史的な民主闘争の初のタイマツに火をつける。……」(251頁)

学生たちは、自由と共に、正義と真理を掲げた。人間が人間である所以、言葉を換えれば、それなくしては人として生きることが出来ない源、それが自由であり、正義であり、真理であることを伝えている。韓国民衆は、軍事独裁政権と戦い、奪われていた自由を、正義を、そして真理を渇望し、勝利した。それが、韓国民主化闘争である。  

(日本基督教団 立川教会牧師)