証し

「私の好きなみ言葉・讃美歌」(誌友6人・会員22人)

昨年は編集委員会の企画として、読者のみなさまから、愛誦聖句、愛唱賛美歌とそれにまつわる文章を募集いたしました。

お一人おひとりの信仰の糧として味わい深く感謝いたします。

★1  関根美鈴[誌友]

「患難は忍耐を生みだし、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生みだす」(ローマ5章3節)

唯一の望みが無意識になる事だった闘病中、やっと何か針の先ほどの事を頑張ってみようと思えた時がありました。振り返れば、あの時のあの場所に患難の抜け殻、忍耐の抜け殻、練達の抜け殻が落ちているようにも見えます。今では人生のオリンピックに出場させていただいた思いの忘れられないみ言葉です。

★2  設樂道弘[友]

(1)讃美歌21―57「ガリラヤの風かおる丘で」キリストの教えを説く姿が彷彿として新鮮に現代の今でも甦ります。

(2)讃美歌21―532「やすかれ、わがこころよ」シベリウスは推敲に推敲を重ねて作曲した人で曲数はあまり多くないようです。

(3)讃美歌21― 252「羊はねむれり」12月5日の礼拝から、クリスマスの歌としては地味ですが、歌詞は大変きれいです。

★3「心やすし、ということ」  岡崎 公子[誌友]

好きな讃美歌は298番と520番です。両方とも、心やすかれ、

と祈り神様が魂を平安にしてくださることをうたいます。298はシベリウスのフィンランディアからのメロディですが大好きです。常日頃、心が安らかでなく、内心怒っていることが多いのです。毎日不平等な社会に腹を立てています。で、自分は? というと暖房のきいた部屋で毎日食事ができ花を愛で、好き勝手に暮らしているのですから、神様はどうお思いでしょうか。

★4 メリークリスマス!     尾崎二郎[誌友]

イザヤ書9章1節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

皆さま御元気でしょうか。今は計り知れない闇の中を歩まされる様ですが、私は別府の地で、「涙と共に種を蒔いています」。(詩編126編5節)

★5 秦雅子[誌友]

いつも、共助誌をお送りいただきありがとうございます。教会や聖書、恵泉を離れて60余年になり、夫を7年前に亡くし、近くに息子一家が居りますが、ずっと一人暮らしをしております。

10年前に腰を圧迫骨折して、あまり長く歩けなくなり宅配に頼っています。でもイエス様に助けていただき、また、デイサービスに週2回通ってリハビリをしたり、お話したり、明るく過ごして居ります。聖書の教えは「愛し合いなさい」。また、イエス様が罪深い私どものため十字架にかかり、救ってくださったということを信じて、それに中々お答えできませんが、それに少しでもお答えできるように生きて居ります。

讃美歌を忘れてしまいましたが、「聖夜」とか、「諸人こぞりて」を思い出します。今は大変厳しい時代ですが、どうか感染が収まりますようにお祈りしたいと思います。皆様の上にも平和で明るい時代が一日も早く訪れますようにお祈りいたします。

平塚にて、87 歳。12月20日。

★6 木村幸子[誌友]

「神は愛なり」のみことばが好きです。

私たち人間の愛には限界があります。無意識のうちに条件に依ってふるい分けていたり、自分の好みであったりするのではないでしょうか? その違いを見える形で知らせてくださったのが、十字架上のイエス・キリストの愛です。条件なしの、無資格OK。あなたもこのわたしも、深くて広い底なし、人数制限なし。それは、神の領域で、感無量、シャワーのようにひたるだけです。

今月12月5日夕方6時ごろ、平屋の屋根雪と共に、落下、左母指側(橈とうこつ骨骨折)ギブス中。

主婦の日常は雪かき(マンションでない限り)、大雪ですと家族総出で雪かきで休日が終わります。教会の礼拝に出席するにも、冬はちょっとそこまで用足しに行ってきます。(雪片付けはあとで)積もって私の分として残っております。雪国では、雪に所有権があるらしい。「あんたの分だよ」、「それって」と言われ「こんなに要らない」と口答えしてしまいました。青森松原教会(自称ハレルヤおばさん)

 ★7 貧しきイエス様  石田真一郎[会員]

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙二8章9節)。

クリスマスの出来事の本質を表す、胸打たれる御言葉です。飼い葉桶に寝かされ、弟子たちの足を洗い、十字架に架けられたイエス・キリスト。少しでも真似したいです。

★8 林律[会員]

「身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。」(詩編3編6節)

昨年夏、睡眠障害に苦しみました。その解決が与えられて、毎朝の祈りの冒頭の言葉になっております。

★9 私を支えているみことば・賛美歌(文語訳) 川田殖[会員]

「父の我を愛し給いしごとく、我も汝らを愛したり。……わが汝らを愛せしごとく互いに相愛せよ。」(ヨハネ15章9~12節)

讃美歌67B「めぐみのひかりは」

「ああ、神の智慧と知識との富は深いかな……凡ての物は神より出で、神によりて成り、神に帰す。栄光とこしえに神にあれ。アーメン。」(ロマ11章33~36節)

讃美歌355「主を仰ぎ見れば」

前者は、恩師(ブルンナー)の訣別遺訓。

後者は、最近万事につけて思うこと。

★10 鈴木孝二[会員]

・マタイによる福音書5章3―12節

2000年と2013年イスラエルを訪問し、ガリラヤ湖畔に立ち山上垂訓教会で祈り会を持ったことがキリスト者生活の再出発となりました。

・賛美歌は新聖歌248番「人生の海の嵐に」です。ふだんの生活の中、思わず口ずさんでいます! 昨年の7月から松陰高校燕三条校 で国語科の授業を月1回ほど担当しています。新しい出会い交流をしています。感謝です。

★ 11 角田芳子[会員]

好きな御言葉

①「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)

②「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」(Ⅱコリント人への手紙1章4節)

好きな讃美歌  「すくいぬしイエスと」(聖歌590番)

この讃美歌を聞くと、いつでも胸がキュンとするのです。洗礼を受けたばかりの頃、埼玉大学の聖書研究会で宍倉文夫さんのお宅に友と10数名で泊まらせていただき、近くの教会を訪問しました。その時、牧師先生と共に声高らかにこの讃美歌を歌いました。「すくい主イエスと 共に行ゆ く身は 乏しきことなく

恐れもあらじ イエスは安きもて 心たらわせ 物ものごと事すべてを 良きになしたもう」

この主イエスさまについていこうと決心しました。

あの時も新鮮だったこの歌詞が、70代を迎えた今も当時と同じ響きを持って魂を励まし、生きる力を与えてくれます。

★12 角田秀明[会員]

「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前に義とされないからです。律法によっては罪の自覚しか生じないのです。ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマの信徒への手紙3章20―24節)

聖書に記されている通り、神の約束がことごとく実現されていることを知るにつけ、神は真実な方であり、ご自分のなさった約束をどこまでも誠実に守り、実行してくださる方であることをパウロと共に信じ、信頼しています。

★ 13  キリストという言葉  下村 喜八[会員]

「いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」(コロサイ3章15―16節)

イエスにおいては語る言葉と生きることの間に乖かい離りがないため、キリストの言葉はキリストという言葉と言い換えることができます。「共助」に聖書研究の記事を書かせていただけたことを深く感謝しています。一年余、コロサイ書筆者の内を豊かに満たし、導き生かし、これを書かせているキリストの力とリアリティーに圧倒されつづけました。

★14 大島 長子[会員]

「神に近づきなさい。そうすれば、神は、近づいてくださいます。」(ヤコブの手紙4章8節)

讃美歌 1954年版讃美歌 532番「ひとたびは死にし身も主によりていま生きぬ」

近況  

チェロの練習、スポーツセンターでのトレーニング、孫のピアノのお稽古、教会の礼拝の奏楽と電動自転車で、名古屋市天白区、瑞穂区を走り回っています。料理も好きで、励んでいます。

★15 30年前の闘病の日に 永口裕子[会員]

なにか永遠に続くように思われた抗がん剤治療のある日、Sさんから贈られた韓国語の賛美歌集に、この 『チュ イエス ボダ ド キゥイハン ゴスン アンネ (キリストにはかえられません)』 がありました。ベニヤ板張りの自室に陽は乏しく、ラジカセにテープを入れると、澄んだソプラノが光を放ち治療に疲れた身体を包みあげます。賛美とわたしは一体になって、チュ

イエス ボダ ド、チュ イエス ボダ ドと響きます。「主イエスだけは、主イエスだけは」不正確な訳ですが、さらに「主イエスだけは、このみじめさをご存知だ。このみじめさを輝かせてくださる」と重ねて賛美し歌いました。30年前、賛美は闘病とありました。

★16 神へのいけにえ 平良久美子[会員]

「まことに主がこの所におられるのに私はそれを知らなかった。この場所はなんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ。」(創世記28章16―17節)

神が計画されておられる私の人生における最善を私の我意は受け入れることを拒否していた。肉体、魂の痛みの激しい時、頭を垂れ静けさの中で助けを求めるこの場所こそが我意を祭壇のいけにえとし神と出会う礼拝の場となったのでした。

★17 大島 純男[会員]

「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。」(ローマの信徒への手紙12章1節)

讃美歌第二編219番「さやかに星はきらめき」

二度目の隠退生活に入り、『手塚縫蔵 その光と影』の改訂版に取り組んでいます。孫との将棋を楽しんでいる昨今です。

★18 小笠原 浩平[会員]

好きな聖句 「わたしたちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛してくださったのです。」(ヨハネの手紙一4章10節)

好きな讃美歌 「ああ主の瞳」  讃美歌21―197番

近況報告

コロナで給料が大幅に下がったので、新しく「くいーる作業所」というところに勤めたのですが、仕事が厳しくついて行けず、1月からまた、元のパン屋で働くことになりました。青森での一人暮らしは、だいぶ慣れてきましたが、やはり冬は雪で大変です。

母は、妹の側の老人ホームで絵を描いたり、習字を書いたりして、元気にしています。91歳になります。何より、ホームで友達が出来て仲良くやっているので感謝です。

★19 三田町子[会員]

好きな讃美歌:528「神の秘めたもうところに隠れ」566「使徒信條」

聖書:テサロニケの信徒への手紙一5章16― 18 節、フィリピの信徒への手紙4章4節―7節

どちらも、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから」、と最初に書き出しているパウロとテモテの書簡です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことでも

感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

また、フィリピの書簡では、もう少し具体的に同じ意味のことをかたっています。

この言葉に触れると、今、こんなに大変で苦しいというのに、喜んで感謝なんてできるというのか? と反発をしてしまいたくなるのですが、しかし、いつのまにか、この言葉に引き寄せられて、励まされて、少し前を向こうかという元気がでてくるのです。コロナウイルスが横行している時代にあって、前に希望を見つつ、歩みたいものです。

★20 藤孝[会員]

「主に信頼して善を行え 地に住み誠実を養え 主をおのれの喜びとせよ 主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩篇37編3―4節 新改訳聖書)

29歳の時に建築設計を志し、組織に属さなくても一人で生きていくために必要な言葉でした。以来40年以上が過ぎ「日常生活に根差し、人に対しても仕事に対しても誠実を養いつつ、善を心がけて生きる」歩みを何とか続けることが出来たのではないかとの思いです。また教会の設計をしてみたいという願いもかなえられました。2022年1月3日

★21 私の人生最大のピンチ 斎田誠二[会員]

2年ほど前から、心臓が肥大しているといわれ、大きい病院で診察すると、「心臓の弁がうまく動いていない。心臓を手術します。」といわれましたが、私は「いやだ」といいました。

そのことを、金美淑(キムミスク)さんに話をすると、「若いうちに手術をした方がいいよ」といわれ、「いやだ」から、「してみようか」に変わり、美 淑さんに説得されたようになりました。生死に関わる問題ですが、私は、手術をする方向で考えています。神を信じて!

★22 神が私たちとともにおられる 長嶺 富美江[会員]

「見よ、処女が身ごもっている。そして 男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと、「神は私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1章23節)

神様であられるのに、いつも共にいてくださり、御言葉でお祈りの時、賛美の中にいてくださる。喜びの時も悲しみの時も悩みの時も。共にいてくださる神様、イエス様、聖霊様、感謝します。

 ★23 「神よ、おじかの谷川の」田辺明子[会員]

〈讃美歌322番(「讃美歌」1954年初版発行)〉

中学生の頃に、「讃美歌」が発行され、この賛美歌になじんだ。歌詞は、詩編42の日本語韻文訳に基づいており、明治版「讃美歌」(1903年)に採用された。

今年の待降節第1主日( 11月23日)の北白川教会礼拝ファイルの中で、山本精一先生が、この詩編について「行きつ戻りつ」丁寧な釈義をされており、再びこの賛美歌が好きになった。

★24原田博光[会員]

「青春の日々にこそ、お前の創造主に、心を留めよ。苦しみの日々が来ない内に。」コヘレトの言葉12章13節

讃美歌21―552番「キリストにはかえられません」

若い時から、愛誦してきた言葉

私は今、83歳、パーキンソン病をわずらい、「苦しみの日々」を迎えている。この難病の症状で、ほとんど歩くことも出来なくなってしまった。字も書けなくなってきた。

このみ言葉は、若者ではなく、老人の書いたもの。3節以下を見ればわかる。

★ 25 加賀美 妙子[会員]

「地の塩 世の光」(マタイ5章13節)

好きな聖句というより、私の半生はこのみ言葉にみちびかれて生きてきたように思う。意識的に、聖句を読み直し振り返ってみれば、み言葉を確認したことはない。私の半生の中で職場や家庭で起きた出来事や新しい進路の迷いやその決断に立たされた時に、この聖句が導いてくれているとの神様の加護を感じて決断をした体験を持ち合わせた瞬間があった。

10代で学んだミッション・スクールに「世に交りて 世に落ちず 世を救いの君の如 永遠に香れ園の花 清く歩め家の子よ」とのフレーズに触れて地の塩・世の光となるようにと意識する動機づけが育っていったものと思われる。医療の世界では、メンタルな精神世界の連動した多忙な生活を送っていることを辿れば、「ザ メイキング オブ 妙子」を振り返ることになるであろう。

精神を病む人々と共に「沈黙の海峡」という日本と韓国の共同制作の演劇が催された。主人公 金 東 真 のモデルは、国立精神神経センターに傷痍軍人武蔵療養所時代から入院していた韓国人未復員兵日本名 金原百植 陸軍二等兵だった。武蔵療養所で亡くなったが、亡くなる少し前に沈黙を破って、韓国語で自分の生い立ちを話したのが脚本となったものだった。植民地韓国から若者が強制的に徴兵されて、銃を持たされ戦場に駆りだされ、戦犯になったり、殺されたり犠牲になった人々の無念の思い、恨み(ハン)を物語の中に見出すことができる。(朝日新聞 2004・3)の記事で「骨―異国の病棟、心閉じたまま」と記事になり大きな反響があった。植民地支配下の韓国兵の虐げられた生涯の一事例である。この事例にみるように、陰の人生を背負い虐待と搾取の恥辱に耐えて、死の間際に心の解放を得て、自らの言葉で自らの虐げられた生涯について語る力を与えられた。神様は見捨てなかった。

精神科医療  精神科医療者は障害のある人たちが出せない「声なき声」を医療者が代わって世の中に訴えると考えるようになった。精病者の心を支える愛情は医療の根源である。

信仰とは  
シュバイツァーの「イエス―精神医学的考察」を読んでそれまで疑心暗鬼の気持ちがくすぶっていたところにイエスの正しい実像を識ることが出来て、それが礼拝の前の心の安定を得る動機となったと思う。幸いにも精神的危機という体験はないけれど、夫を失ったときの絶望感から救われたのは信仰によるもの、祈りを重ね自ら精神病者と共にあり病者の信頼に満たされた笑顔、病苦を共に生きる存在は、神ともに生きる場所にいることの恵みに救われた。

現代世界を襲う感染症、幾多の自然災害、民族間の紛争、巨大な物質文明の表皮のもとで、私たち現代人の心は、二千年前の聖書が書かれた時代とあまり変わらないものである。この索漠たる時代に生きる心の満たされない私たちにとって、聖書の中の満ち溢れる聖句は、私が今何をしなければいけないかを教え導く指針となると信じている。私の半生、これからの残る余生は、地の塩、世の光の指針が生かされて、穏やかな心の強い信念を持ったキリスト者で在るように願うものである。

★26求められること 光永 豊[会員]

心に残っている、ルカ12章47―48節のみ言葉。私にとって、求めることは容易く、求められることは難しいことです。一度得ると、得られたものを手放すことが難しくなります。求めに心を開いて生きること、共に生きることは、繋がっている気がします。主は今、私に何を求められているか、求めにどう応えて生きたいのかを思わされます。

★ 27御言葉を生きる 石川 光顕[会員]

私は毎年「年頭の御言葉」を決めて、それを毎日見える所に置き〝唱える〟ようにしています。

昨年は、ヨブ記に学んでいきたいと思い28章28節「そして人に言われた。『主を畏れること、これが信仰である。悪を離れること、これが分別である。』」[協会共同訳]を掲げたのですが、ヨブ記を一年かけて学んでいくことに挫折したので、今年こそとチャレンジします。調布教会第3代柴山 榮牧師の訳本で進めます。23章1―3節

「すると、ヨブは答えて言った『今日もわたしの言葉は反抗的だ。わたしの呻きのせいでわたしの手は重い。

ああ、どうすれば、その御座にまで行けるのか。』」[柴山 榮訳]

もう一つ好きな聖句は、ヨハネの手紙一4章9―10節です。これを「こどもさんびか」で掲げます。

♬ひとり子をつかわし かみはわたしたちに 

いのちをえさせて くださいました 

わたしたちがかみを あいしたのではなく 

かみがわたしたちを あいし 

み子をつかわされた ここに(ここに) あいがある

かみのあいがしめされた  ここに(ここに) あいがある 

かみはあいなり♪

[阿内源一作詞作曲]

★28 木村 葉子[会員]

編集委員として寄せられたメールや手紙で、皆様の好きなみ言葉や讃美歌に接し共感し教えられつつクリスマスと新年の時を迎えました。コロナ下で久しく会えなかった方々が、今、病いの困難の中おられることや、雪かきをし怪我をされた方、また生活の変化をされていることなどを知りました。例年にない大雪を案じつつコロナから守られますよう主のみ護りと平安、癒しをお祈りいたしました。主キリストがいっそう近く皆様と共におられ信仰によって希望と愛に生きておられる音信に励まされました。

私は、アブラハムの満天の星や畏怖を抱いたパスカルの星空ではありませんが、山野の星空を見るのが好きです。地上に広がる星空をよく夢に見ました。宇宙の時空は近年ますます無限の広大さを知らせます。美しい月の満ち欠け。昨秋、皆既月食の昇り始めの大きな美しい月に感動しました。

世界は不思議です。思えば、地上にも優しい星々のような花々や小鳥や動物の優しい瞳がみつめ、人々を慰め愛と真実の世界へと招いています。「被造物がすべて共にうめく」(ロマ8章22節)。この地上にキリストの福音、十字架は本当に「無くてならぬもの」、ただ感謝をもって見上げます。

好きなみ言葉「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ5章8節)、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(1テモテ2章4節)

好きな讃美歌115(新聖歌84)「ああベツレヘムよ」