『共助』(2023年第2号・3月発行)誌を読む喜び 牧野信次
『共助』第2号は昨秋北白川教会で開催された京阪神共助会修養会特集「魂のことをする ― アウグスティヌスに学ぶ」の記録で、私個人はこの主題の故に大いに参加したかったが、残念ながらできなかった。そのためにこの特集号を待ち望んでおり、それぞれをじっくりと腰を据えて読み、学び大いに啓発されました。語り執筆された皆様に心から感謝いたします。
私はまず、「主題講演Ⅰ・Ⅱ」をされた片柳榮一氏の研鑽の深さ豊かさに深い敬意を表します。講演の「序」の結びに「告白」冒頭の「あなたは私たちをあなたに向けて創られました。それ故私たちの心はあなたの内に憩うまで、安きを得ません」との有名な言葉が引用され、次のように問い掛けられます。「この言葉は何度読んでも、汲み尽くし得ない深さを持っています。私たちは世の混乱と暗がりの中にあります。私たちに感じられるのは不安に喘ぎ、苦悶に呻く魂の動揺だけのように見えます。しかしこのアウグスティヌスの言葉は、まさにこの不安と恐れに動揺する自らの魂の喘ぎの動きそのもののうちに、一つの方向を見定めています。この安きを得ない心の渇き、求めの方向そのものに、創られた者に対する創り主の深い促しを認めた言葉です。自らの不安や懐疑のうちで、ころげまわることそのことにある出口も備えられてあることを教えられているように思います」と。現代の困難にあって確かな安きへの招きの言葉です。講演はアウグスティヌスの初期の歩みを辿りながら30歳を過ぎてのミラノでの回心の経験を、また、A「信と知の関係」、B「アウグスティヌスの真理理解」、C「ミラノの回心における秘められた『決意』」においてきわめて深く簡潔に真理探究の経緯を語ります。
この講演の結びに「前進して行く者は、探求を止めるべきではなく、かくも大いなる善を探求する者は次第により良くされてゆくからである。この善は、見出しうるものとして探求され、なお探求されるべきものとして見出されるのである」との「三一神論」からの引用があり、私は深い喜びと慰めを与えられました。
「閉会祈祷」の「キリスト者の生活とネガティブ・ケイパビリティ」と題する下村喜八氏の結びの講話は、また時宜に適った内容で、私は実に大きな衝撃を受け、紹介された『ネガティブ・ケイパビリティ ―答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生著、朝日新聞出版)を早速読みました。また『キーツ詩集』(岩波文庫)や『キーツ研究–特に詩作の心理に関連して』(佐藤 清・南雲堂)、『英米文学辞典』(研究社)などの文献が我が家にありましたので読み、同時代の先輩ワーズワースがほぼ同様なことを「聡明な受動」(wise passiveness)と言い、シェイクスピア体験(特にリア王)によることも初めて知りました。共助会の根底に流れているものはこれではないかと考えています。
日本基督教団 隠退教師)