場を耕やす 一之瀬ちひろ

年末に岸田首相が「反撃能力」という名の敵基地攻撃能力の保有を宣言したり、防衛費倍増のための増税を打ち出したり、防衛費に国債を当てる方針を決めたりした、その年が明けた1月に共助会の一泊研修会に参加した。東京に住んではいるが都内の宿泊施設に泊まることにし、新大久保駅から早稲田大学の裏手にある宿泊施設まで歩いた。研修会では二日間の会のほとんどの時間が、高橋哲哉先生の講演会のためにあてられていた。講演会で聞く先生の語りには独特の引きつけられる感触があった。講演を聞くことは先生の本を読む感覚に似てはいるけれどやはり全く違う。具体的な声や身体はその人の存在のあたたかさで包まれているからだと思う。二日にわたる長時間の講演中、先生の話しぶりはいつもどおり悠然と穏やかで、過度に饒舌になるでもなく、そのためときに無情感というのか、達観の境地の気配さえ漂うように感じることもあるのだけれど、同時につねに語る事柄の周囲には不思議な熱気が渦巻いている。講演の、先生が語られたことの意味内容だけではなくて語る仕草や声の起伏、そしてその声に片時も気を緩めずに熱心に耳を澄ませる参加者の方々の姿、そういうものに私は日頃自分が行なっている大雑把なコミュニケーションの手触りとは違う熱狂を感じ、その静かな熱の感覚に包まれながら講演を聞いた。

講演で先生は戦後日本社会に対して抱いている問題意識と、それらの問題にこれまでどのように取り組んでこられたかを、言説空間で関わられた論争を具体例に挙げながら話された。その話を聞きながら私は、講演の前に先生からお送りいただいた対話集『責任について』を読んだときに感じた疑問を思い出した。『責任について』には、講演で先生がお話しになった内容と共通するトピックが載せられていて、しかし対話集を読んだときには答えが出せないまま頭のなかに取り残されていた疑問があった。それで講演の内容に耳を傾けながらも、私の思考は先生の話される議論の内容から離れて、ある時代の言説空間において個人対個人が意見を戦わせること、その痕跡を留めることには結局どのような意味があるのだろうという、対話集を読んで以来残り続けた疑問について考えはじめてしまうことになった。講演の途中から自分のなかに浮上した疑問がどうしても気になり、それからはそこに思考を奪われたが、それでも先生の話す姿を目で追い、声を聞き、ノートを取り続けた。そうしているうちに、一日目の講演の終わり近くで先生が「応答」についての話をされた。人はいつも誰かから呼びかけられ、その呼びかけに応えながら生きている。日々の暮らしのなかで人は家族や仲間から呼びかけられ、それに応えることで互いの信頼関係を醸成していくものである。去年はウクライナ戦争が勃発し、いま世界にはいつにもまして無数の呼びかけが飛び交っている。日本人として自分の置かれた立場で世界からの呼びかけに応答することが求められている、その呼びかけを無視することはできないと先生はおっしゃられた。そしてそのすぐあとに、しかし政治的には負け続きです、と。その声を聞きノートを取る手がとまった。横道に逸れていた自分の思考と聞こえてくる声が、先生の話す姿を映す自分の視界の上で重なったように思えた。ひとりの研究者・哲学者として、日本の言説空間で考えの異なる論者と意見を戦わせることは、個々の論者たちからの呼びかけに個別に応答することであるけれど、この個々の論争に応えるという先生の行為は、同時に日本人として世界からの呼びかけに応える行為にもなっている、先生の言葉の上でふたつの応答が同時に機能しているのだ、と気づいた。世界からの呼びかけ、それに日本人として応える。この抽象度が高く難しい問題に自分一人だけが応えるのではなく、意見の異なる他者との対話を通じて、対話というかたちで応じるということなのかもしれないとも思った。

一日目の講演が終わってから翌日の午後にすることになっている先生への短い応答のための考えをまとめようと夜の街に歩きにでた。共助会に参加するのははじめてで知らない人がたくさんいたし、月に一度オンライン上で顔を合わせている「エチカの会」の方々とも対面で会うのははじめてだった。直接会話を交わしたり、参加者の方々がひとつの空間でどのように振る舞い合うのかを感じたりするだけでも、いつもとは全く違う印象が立ち上がって多分少し神経が昂っていたから、体に外気を入れていつもの調子に戻りたかった。夜の知らない住宅街を歩きながらだいたい毎日家族のことにかかりきりになっている自分の日々を思った。私の日常は毎朝こどものお弁当づくりに追われ、天気の様子をにらみながら洗濯をしたり布団を干したりするタイミングを図り、日替わりでこどもを病院や習い事に連れていく、というような事柄を基盤にして成り立っていて、その合間に、いやそれと同時に、日本や世界を考える時間がごちゃごちゃとある。家族のことを少し思い出し、それから、講演会の参加者が講演を聞いた後に世界に応答することについて考えながら過ごしているだろうそれぞれの夜を想像した。

言説空間において個々の論者に対して応答することと世界に対して応答することが同じひとつの行為であることが可能なら、言説空間を醸成していくことは大きな意味をもつ。だから先生の応答の所作は、その言葉が語ろうとする現実に向かうための、もうひとつの道筋を切り開く何かなのだと思う。ドイツ、フランス、ベルギーの政治家が過去に起こった植民地支配やジェノサイドに対して歴史を遡って謝罪することができるのは、その背後で言説空間を耕す労力を惜しまなかった者たちの存在があったからなのではないか。人間というのは自分が立ち合って現実に見たこと聞いたことを基盤にして思考するようにできているのだと思う。私の思考力を推し進めるのは自分が立ち合っている現実から受けとめた感情の力だ。日常的な営みから外れずに互いの身体がそこに存在していることを感じあえるような議論の場を耕す、そういうことをしていきたいと思う。

(写真家 東京大学大学院博士課程在籍)