「キリスト信徒の再生とは何か — ヨハネによる福音書 第3章」金子晴勇
井草教会の「信徒による聖書の講話」を3年前に担当しました。そのときは〈イエスとサマリアの女との対話〉についてお話ししたので、今日はその前にある第3章の〈ニコデモとの対話〉についてお話しします。そこに記されているのは「再生」ということです。今朝の礼拝ではこの「再生」つまりキリスト信徒の「新生」について考えてみます。
前回のときにわたしに強く感じられたのは、ヨハネ福音書の叙述の仕方です。この福音書はマタイ、マルコ、ルカと相違してイエスが出会った人たちとの対話が記されています。前回のサマリアの女との対話は問題を抱えた女性との対話でしたが、今回はイスラエルの教師にしてパリサイ派のシナゴグの有力な代表者との対話を取りあげてみます。この人は最高法院(サンへドリン)の一員でもあって(ヨハネ7・26と48節を参照)、さらに7章50―51節ではイエスを擁護しています。またイエスの埋葬の準備をしました(ヨハネ19・39参照)。
ニコデモはこのヨハネ福音書第3章でイエスの業わざについて尊敬の念をもって語りかけています。しかも「夜に」イエスのところにやってきました。それは人々の目を恐れてではなく、ラビたちの勉学の時間だったからです。彼はお世辞を使って、神が共におられるのでなければ、為しえない奇蹟を行っている点を述べています。そこで彼は、それはどうしたらできるのですか、とイエスに質問します。それに対しイエスはやや神秘的な言葉「人は、新たに生まれるのでなければ、神の国を見ることはできない」と言って、それに答えられました。
「新生」とはもう一度生まれる「再生」を意味しますから、それは年を取った者には全く不可能です。それゆえ「どうしても、一度母の胎内に入って生まれることができますか」とニコデモは続いて質問しました。イエスはそれにお答えになりました。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることができない」と。つまり肉の誕生ではなく、霊の誕生が不可欠なのだと説かれます。
イエスとニコデモとの対話の部分はここまでです。後はイエスの語りだけとなります。ここでもっとも重要なのは「霊」という言葉です。イエスはお前は教師であるのにそんなことも知らないのかと驚きます。そこでイエスは「風」について話されます。それは聖書を学んだ人は誰でも知っているように、「風」は創世記の冒頭から旧約聖書に出て来る言葉だからです。そこでは「息」とか「風」という自然の動きを主として指し示していますが、それは風と同じです。
8節では風がどこから来るか分からない、と言われます。つまり風自身は見えませんが、樹木の動きを見るとそれと知らされます。同じく霊から生まれた者も眼という感覚では捉えられない、しかしその人の行動を見ると分かります、とお答えになりました。そうするとニコデモは「どうして、そんなことがありえましょうか」と反論します。するとイエスは驚いて、あなたは「イスラエルの教師」つまり知識人であるのに、どうしてこんなことが分からないのかと驚かれます。ところがわたしたち日本人にも分かりません。「霊」というと「幽霊」のことかと考えてしまいます。この点がわからなくて、わたしは実は青年時代以来、生涯をかけてその意味を探究してきました。
だれでも旧約聖書を読んだことがある人は、その冒頭から「霊」(ルーアッハ)のことが記されているのを知らされます。この語ルーアッハは総例389のうち113例が自然力である「風」を意味しています。また神に関しては136回用いられ、人間と動物また偶像には129回使われています。このようにしてこの概念が人間を表すことにも使われているので、それをわたしたちは神学的・人間学的概念として扱わなければなりません(ヴォルフ『旧約聖書の人間観』大串元亮訳、79頁参照)。
また、驚くべきことにこの概念は、聖書にのみ特有なものであって、ギリシア思想ではあまり重要な意味をもっていません。例えばホメロスの『イリアス』を読むと単なる亡霊であることが分かります。しかし、それは聖書の人間観の特徴をよく表しています。
旧約聖書の預言者たちはバビロン捕囚のとき、バビロン神話を批判して、聖書の巻頭にある創造物語を書き残しています。創世記第1章とバビロン神話を比較すると、預言者たちの思想がいかに優れていたかがわかります。それは実は当時の神話に対する批判でもあったのです。バビロン神話では「水」が神を表現していました。アプスーは淡水の神、ティアマトは塩水の神でした。その子マルドゥクは古い神々との闘争を経て人間を造り、都市バビロンの守護神となりました。預言者たちはこのように始原の「水」を神と考えず、この水の上に「霊」が漂っていた、と書き換えました。真に鋭い批判です。さらにこの概念は新約聖書でもプネウマと訳され重要な概念なのに、これまでも十分理解されているとはいえません。
イエスはここで「肉から生まれた者は肉である。霊から生まれた者は霊である」と語って霊的人間と肉的人間とを分けており、人間はもう一度霊から生まれなければならない、と説きます。それゆえ霊的な人間の誕生こそもっとも重要であることになります。またこのような二度目の誕生は「再生」と呼ばれ、肉的な人間に対して霊的な人間の誕生が説かれました。
さらにヨハネ福音書第3章を読み進めますと、洗礼者ヨハネとイエスとの関係から洗礼の意義が解き明かされます。ヨハネの洗礼は水の洗礼でした。それに対しイエスの洗礼は水と聖霊による洗礼でした。その相違はイエスがヨハネから洗礼を受けたときの状況にはっきりと示されました。ヨハネ福音書1・32―34、ルカ3・21―22、マタイの記事が分かりやすいので、マタイ3・13を参照してみましょう。この霊はイエスの誕生のときにも「聖霊による誕生」として語られました。イエスと父・聖霊とは三位一体ですから、イエスが施す洗礼は「水と霊」による洗礼として語られます。
そうするとわたしたちは洗礼を受けることによって罪の汚れが水で洗い落とされるだけではなく、同時に霊によって再生し、新生することになります。キリスト者はこのようにして二度生まれの人間であることになります。一度目は肉の誕生であり、二度目は霊の誕生なのです。ですから肉の誕生による生き方と霊の誕生による生き方という二重の生活がキリスト者の生き方となります。
ところが洗礼を受けてキリスト信者になった人は表面的な罪を洗い清められるだけではなく、新生という経験を通してキリスト教的な生き方である人格を身につけることになります。しかも聖霊による霊的な生き方を身につけることになります。
皆さん、洗礼を受けたときのことを考えてみましょう。わたしは何か新しいことが身に起こるかなと期待したのですが、それはかなえられませんでした。罪人が義人と宣告されることは「宣義」と呼ばれます。つまり義と宣告されることです。このことをルターは法廷で宣言される、「無罪放免」として説きました。それゆえ罪人が罪を犯したままで、つまり身に血を浴びて、汚れたままで、「無罪」を告げられるというのです。ここから「義認論」が確立され、プロテスタント教会の一番重要な教義として説かれるようになりました。
そのときルターは「信仰のみによって救われる」ことを力説しました。したがってその教義は「信仰義認論」と総称されます。これに対する批判はルターの時代にはカトリック教会から行われ、彼らは義認を「成義」と見なし、事実上清められる「聖化」を説きました。しかもこの成義は愛によって与えられることを強調しました。
それに反対してルターが「信仰のみ」と言うときの「のみ」は実は単なる強調でしかなかったのですが、この点をルターがいくら説明しても、弁明して力説しても、正しく理解されませんでした。その結果カトリック教会からはプロテスタントでは信仰だけが重要であって、愛が欠如していると厳しく批判されてきました。日本の代表的キリスト者であった内村鑑三も、その尻馬に乗って、ルターを批判し、愛による改革を主張したのでした。ところがルターの書物を注意して読むなら、信仰に続いて愛が必ず説かれていることが分かります。例えばルターの代表作『キリスト者の自由』を注意して読むならそのことは容易に判明します。
ところでルターの時代に彼を批判した人たちのなかに、ルターは信仰を説いたが「再生」を説かなかったという批判が出てきます。最初はルターの弟子であった、シュベンクフェルトがそのように批判しました。それ以来、この批判は連綿と続いて説かれるようになり、やがて「敬虔主義の思想家」たちによって義認論と並んで再生論がはっきりと説き明かされるようになりました。これが17世紀に信仰覚醒運動として世界的な規模で開始されました。
このようにルターの死後50年も経たないうちにドイツ教会では1555年のアウグスブルグ会議でキリスト教がランデスキルヘ(Landeskirche)、つま
り国教となり、領主たちの信仰が強制されました。そのためやがて信仰が衰微し、弱体となりました。国家ごとにプロテスタントかカトリックかが決められてしまったのです。そうすると亡命するか、信仰の決断をやめることになり、こうして信仰の決断ということがなくなり、信仰が弱体化し、教会に力が失われたのです。では再生はどのようにわたしたちのうちに形成されるのでしょうか。これが問題となり「再生」によって「新しい人間」が生まれると、説かれるようになりました。ではどうしたらこの「再生」を自分に実現すればよいのでしょうか。これがニコデモによってわたしたちに与えられている問題なのです。
これに関してわたし自身の経験をお話ししてみましょう。わたしは4代目のクリスチャンです。成長するとヨーロッパ思想史を勉強したくなり、まず初めに哲学を学びました。それまで経済学を学んでおり、将来は家業に励むつもりでいました。だがヨーロッパ思想史をもっと勉強したくなり、大学院ではルターとアウグスティヌスを研究することになりました。経済学から哲学への変更は将来のことを考えると無謀なことで、全財産の放棄に等しかったのです。それでもどうしても学びたかったのです。大学院では多くの教師の指導によって、それなりに成長しました。しかも大学に就職でき、教師として研究を続けてきました。とくに教会で受洗したとき、キリスト者として生きていくことを決心しました。そこで新しい人間となり、再生を経験したと信じてきました。やがて老年を迎え、心臓病を永い期間にわたって患いました。主治医から最近、血液検査が明瞭に示すところでは、わたしがいつ死んでも不思議ではない、だから介護施設に入ることを検討するようにと宣告されました。そうすると、わたしの肉としての古い人間は、現実に死に直面しており、その最後段階に至っていることが分かります。ところが現実には死の気配がわたしには全く感じられないのです。そして今日でも比較的元気に活動し、自分が書き残した文章を改作しては多くの書物を刊行し続けています。それゆえ古い人間は死に瀕しておりながらも、新しい人間の働きを認めざるを得ません。
したがって教会の礼拝に参加して讃美歌21の579「主を仰ぎ見れば」を皆さんと一緒に歌うたびに、古い人間が死んで、新しい人間が与えられているのを実感します。今は暑い夏です。8月には敗戦の悲惨な体験が想起されます。それをわたしが体験したのは中学2年生のときでした。この真っ暗な絶望的な試練の時代をわたしは、教会の人々と共にいつも旧讃美歌494番「わが行く道 いついかに なるべきかは、つゆしらねど、主は御心なしたまわん」を歌って、最悪の試練を忍んできました。わたしは今は老人となり、古き肉の人間がその死を迎えるときになりました。それでも「主を仰ぎ見れば」と歌いますと日毎に新しい人がわたしの内で誕生していることを感じる次第です(ローマ書8・9―10参照)。
(日本基督教団 井草教会員/岡山大学名誉教授)