説教

キリストに在る友をして語らしめよ。飯島 信

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネによる福音書15:13―17)

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

『わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』

と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高いところにいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマの信徒への手紙8:35―39)

2025年の総会の時を迎えています。

初めに、このところ目につく戦後80年という言葉について短く私の思うところを述べたいと思います。

共助会に与えられている使命と深い関わりを持つと思うからです。

私は、戦後80年と言う言葉は、時間の長さから言えばその通りですが、それより敗戦80年と言った方が、歴史的事実に則し、私たちが振り返るべき視点がよりはっきりと示されるように思います。戦後80年ではなく敗戦80年です。正確に言うならば、アジア太平洋戦争の敗戦、即ち日米、そして日中戦争の敗戦であり、対アジアへの侵略戦争の敗戦です。

なぜこの言葉にこだわるのかと言えば、これらの敗戦から厳しく問われ、未だ果たし得ていない重要な責務が私たちにあると思うからです。それは、〝和解〟です。対アメリカとの間では日米安全保障条約が結ばれ、対韓国では日韓基本条約、また日中平和友好条約など、それぞれ意味する内容は異なりますが、対アメリカ、対韓国、対中国と、それまでの敵対関係からの脱却を企図したものであることは確かです。しかし、これらによって真の〝和解〟が成り立っているのかと言えば、朝鮮半島や中国、またアジアの人々から見た時、その道からは程遠くにあると言わなければなりません。80年を経ても、〝和解〟は成し遂げられていないのです。

何故でしょうか?

それは、敗戦に向き合い、敗戦とは何であったのかを私たちが真摯に省みることをしなかったからに他なりません。その象徴とも言うべきことが、敗戦と言う歴史的事実を、終戦と言う言葉に置き換えることによって、事実から目を背けたことです。あるいはまた、一億総懺悔と言う言葉で、過酷な植民地支

配によって謝罪すべきであった朝鮮半島(2500万)や台湾(600万)の人々をも懺悔に組み入れたことです。日本人は7200万であったにもかかわらず、一億総懺悔とすることによって、植民地化にあった人々に対する日本人の罪は隠されました。

私は、〝和解〟、この言葉にこそ、私たちが敗戦80年を振り返る重要な視座が示されると思います。どれほど日本が経済的な復興を成し遂げようとも、あるいは科学的に世界の最先端の技術を持つに至ろうとも、かつて敵対し、暴虐の限りを尽くした国々の人々との真(まこと)の〝和解〟の業を負い、成し遂げることなくして、敗戦80年を経た私たちが次の時代に向かう新たな一歩を踏み出す足場を築くことは出来ないと思うのです。

それでは、どのようにして、真の〝和解〟の業に至ることが出来るのでしょうか?

中国の人々に対して、朝鮮半島の人々に対して、さらには、他のアジアの人々に対してです。

それは、それぞれが生きて生活している自分の足元からの出会いを通して和解の業に取り組む以外にありません。共助会に即して言えば、韓日では、かつての和田正と尹鍾倬(ユンジョンタク)はその先駆けをなすものでした。そして今、私たちには宋富子(ソンプジャ)さんと言う在日の友が与えられ、裵貞烈(ペチョンヨル)さんと言う韓国の友が与えられています。それだけではありません。すでに李相勁(イサンキョン)、金美淑(キムミスク)、鈴木善姫(ソンヒ) 、李炳墉(イビョンヨン)さんら日韓の架け橋としての使命を担っている友たちがいます。さらに、この夏の夏期信仰修養会には、昨年の修練会で出会った韓国の若い友らが参加すると聞いています。これらの友たちとの交わりと祈りによって、先達らの出会いの事実をもう一度深く心に刻み、神様が私たちに命じられている和解の道を見出し、歩みを進めなければならないと思

います。又、私たちには、韓国のみならず、中国、北朝鮮、そしてアジアの他の国々の人々との和解の業の担い手としての働きが求められている、そう思うのです。

初めにこのことをお話ししたいと思いました。

本題に入ります。

1919(T8)年12月のクリスマスに創立された基督教共助会は、森明の死(1925)後8年を経た1933(S8)年3月に文書伝道を開始し、『共助』誌第一号を創刊しました。敗戦前年の1944(S19)年7月をもって休刊となりますが、1953(S28)年5月に再刊を始め、現在まで763号を数えます。

戦前・戦時・戦後を貫く106年の歴史、あえて元号を用いれば、大正、昭和、平成、令和の歴史を背負いつつ刊行された763号を数える文書伝道を顧みる時、森明と先達らの共助会に生涯を賭けたその生き様に粛然とさせられるのです。もとより、共助会が彼らの信仰の着地点ではありません。共助会は、規約に明記されているように「キリストのために、この時代と世界とに対してキリストを紹介し、キリストにおける交わりの成立を希求し、キリストにあって共同の戦いにはげむことを」目的としています。

「交わりの成立を希求し……共同の戦いにはげむ」とはどのようなことでしょうか。

このことは、改定前、創立当初の規約に、より具体的に記されています。それは、「われらの日常寂漠たる精神生活を相互に慰め、清き友情を結び、共に助け進まんこともまた本会の目的とするところである」との言葉です。いうまでもなく、交わりの成立及び共同の戦いを進める前提条件は、キリストのためであることです。私たちの交わりの真中にはキリストの十字架が打ち立てられており、私たちの戦いを導くのは十字架のキリストです。そのキリストをこの時代と世界に対して紹介し、負われた十字架と、死を打ち破る復活を告げ知らせる使命を負う小さき群れ、それが基督教共助会です。

私は今回の説教題に「キリストに在る友をして語らしめよ」と記しました。

2人の先達ではなく友と呼びますが、彼らの言葉から、共助会の綱領とも言うべき「主に在る友情」と「キリストの他、自由独立」を見つめ直したいと思います。友とは、初代委員長であった山本茂男と第2代委員長の奥田成孝です。

再刊された『共助』創刊号に、山本は「森明と共助会の精神」と題して次のように記しています。

「共助会は、教会でも、教派でもない。同志は、それぞれの教会に在って、誠実に主に仕えんとするものである。しかし同時に、同じ信仰と精神とを有する者が、個々の教会と教派とを超えて、同志の交りを結び、真に日本伝道のために、祖国の新しい建設のために、引いては世界の平和のために、使命を担うことは、まことに重要なことと信じている」と。

簡潔に述べられた山本のこの言葉に、共助会の精神を特色づける二つの柱が語られています。「教会でも教派でもない」とは「キリストの他、自由独立」を意味し、「同志の交り」とは、「主に在る友情」を指し示します。では、山本がいうところの「同志の交り」、即ち「主に在る友情」とは何かです。このことについて、奥田先生が書いた文章を見てみたいと思います。1954年6月号の「共助会総会に際して」の一文で、次のようなものでした。(以下、次号に続く)

(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)