閉会礼拝 『二つの感動』に包まれて — ”共生”のため、真の和解を求めつつ歩み続けて 石川光顕
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3章16―17節)
1 自己紹介
私は、40年間都立高校で数学の教師をしていました。最初の16年間は夜間定時制高校で働いていました。この夜間高校の時代は徹底して生徒に寄り添い「わかる授業・楽しい学校」作りに邁進しました。来ない生徒のアパートを訪ね、教科書で教えたのではついて行けない生徒のために、プリントづくりに精を出したものでした。この時に私を支えた言葉は、「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」(ロマ14: 15b)という聖句でした。
そして教師生活の最後に裵貞烈(ペチョンヨル)先生の娘の裵潤智(ベユンジ ) さんに出会いました。その後、息子の裵太郎(ベテラン)君にも出会うことになります。その経緯は、2023 年『共助』第5号で述べた通りです。現在私は78歳になりました。
今思いますに、このユンジとテランとの出会いは、私の人生の中でほんの偶然の出来事ですが、この出会いが、裵貞烈先生へと結びつき、調布教会での交わりへとつづき、今回の修練会に繋がったわけで、これは神様の導き以外に考えることはできません。
2 「二つの感動」について
私は「自己紹介」[参加者のみに配布]の中で、「〝二つの感動〟に包まれています」と話しました。そのことの説明をします。私の具体的な歩みとしての韓日関係の始まりは、1992年春の第1回目の「韓日共助会修練会」です。今から31 年前、47歳の時でした。私にとっては初めての韓国訪問でした。それは単に外国へ行くという緊張ではなく、嘗て侵略した日本が心からの謝罪をしていない中での負い目のある緊張感を持った訪韓でした。日本人の一人として「謝りたい」との思いがありました。日本にいる韓国人牧師の強い勧めがありましたが、何より基督教共助会の先輩たちが韓日の架け橋となってくださっていたことが私の訪韓の決断に繋がりました。
第1回目の「韓日共助会修練会」の報告書『歴史に生きるキリスト者』の巻頭言で、李仁夏(イインハ) 牧師が書かれた言葉があります。「……韓国サイドの共助会員から〝韓国基督教共助会の発足〟を知らされた時、私は表現できない感動におそわれた」と。私もその場にいましたが、同じ思いでした。それが一つ目の感動です。あれから30年経った昨年の3月29日、この韓南大学のチャペルにおいて、郭魯悦(カクロヨル)先生、高鉄雄(ゴウチョルウン)先生、更に韓南大学の日本語学科の先生方、そして日本から行った飯島信委員長、李相勁牧師、私の3人の立会いの下、裵貞烈(ペチョンヨル)先生の基督教共助会への入会式が行われました。この出来事は、私にとっての2つ目の〝表現できない深い感動〟を味わう時となりました。
裵貞烈(ベチョンヨル)先生の共助会入会は、韓日の架け橋にならんとする裵先生の御決意でありますが、神様の御心であると信じています。そして今回、第8回目の「韓日共助会修練会」の開催に漕ぎつけました。
確かに前回のソウルで持たれた第7回「韓日共助会修練会」では、韓日の共助会の関わりも一旦終わりであるかのように感じました。しかしそれは〝人間的な思い〟であって、神様は道を備えてくださっていたのでした。ここに至る道を思い起こすと、やはり私たちが受け継いでいる基督教共助会のスピリット「キリストのほか、自由独立」「主にある友情」に行きつきます。即ち、初めに掲げた聖句、ヨハネ福音書3章16節17節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」に行きつきます。実に〝御子イエス・キリストの十字架の愛によって世が救われるのです〟から、その愛を受けた私たちは、共に執り成し祈り合って世に出て行きたいと思います。
今はレント(受難節)です。主の十字架の苦難を偲び、贖いの意義を学ぶ期節です。「悔い改め」「誘惑に負けない自分の心を養う・克己」「共に支え合って歩む・修養」そして何より「復活信仰」を覚え歩んでいます。この第8回韓日基督教共助会修練会が、第7回からの休止期間を経て開催されたということは神
様の大いなる導き以外に考えられません。「和解」の神様の忍耐・愛の賜物です。感謝以外にありません。
「基督教共助会」のこれからの歩みの展望を2つ紹介します。常に、「この私に出来ることは何か?」という視点からの話です。
1つは次のことです。
ここに2冊の本があります。昨年の『共助』第5号で少し紹介しましたが、ここに集まったキリスト者の集いから、一歩進めて「韓日の交流の旅」をより進める手立てにできないかという希望をもって、教育現場で使える教材として紹介したいと思います。
『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史』(歴史教育研究会[日本]、歴史教科書研究会[韓国]【明石書店】2007年発行)と『調べ・考え・歩く 日韓交流の歴史』(2020年発行)の2冊です。
1番目の書籍は、10年の歳月をかけて作ったものです。私の親しい友人で、この本の著者の一人であり、2冊目の編集責任者である田中暁龍(としたつ)氏(桜美林大学教授)の話しを纏めてみました。そもそも、私を裵貞烈(ペチョンヨル)先生に結び付けたきっかけは、この本を田中教授にもらい、裵潤智(ベユンジ) さんに貸したのが始まりです。
この本は、政府主導ではなく民間の韓日の歴史研究者が、先史から現代にわたる通史を記述したものです。2冊目は、より教育現場に密着した日韓歴史共通教材を作成しようと、新たに大学・高校の教員が集まり、韓国学中央研究院の具蘭憙(クランヒ)先生を窓口にして、韓国の大学・高校教員との教育・研究交流をスタートしました。以後、7年間にわたる交流を続けながら、最終的に完成に至ったようです。ただこの書籍は日韓両国での発刊ではなく、日本だけの刊行となりました。
そもそも先史から現代までを記した理由は、前近代史においては仲が良く、近現代史において侵略的・植民地化政策によってそれが踏みにじられたという単純化は避けたいということです。つまり、前近代史(秀吉の朝鮮侵略や、両国間の平和外交の柱の〝朝鮮通信使〟なども)の負の部分にも着目し、前近代史国家
間外交から、今日の外交のより良い在り方を見いだせるという視点に立って書かれているとのことです。
確かに今、韓日の若者たちでの交流は進みつつあります。それは〝違いを超えて〟仲良くすることですが、その〝超えて〟ということは、歴史的事実を無視して超えるのではなく、互いの違いを認め合った上で、即ち話し合い・対話することによって真実な和解への道が開けるのだということです。それはまた、共に神さまに造られた者であり、この人のためにもキリストは死なれたのだという思いを伴ってのことです。私もようやくこの歳になって分かり始めたと思います。私の教師生活は、常に自己主張をして自分の意見を押し付けてきた気がします。
韓日での和解は、このような話し合い・対話をする時の共通な土台としてこの2冊のテキストは役立つと思います。2冊目がハングルで出版されていないということはやはり様々な問題があるかと思います。出来るところからの出発が大切です。
もう一つは、「多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム」設立の取り組みです。
何故この話をするのかということですが、私は韓国の友との交わり・和解のためには、微力ながら力を注いで来ましたが、在日の友のためにどれほど祈って来たかと問われると、私自身心許ない感じです。
今年の『共助』第1号に原稿を寄せてくださった宋富子(ソンプジャ)さんが、「在日の善きサマリア人になってください」との呼びかけに私は応えたいと思ったのです。しかしこのことは、「私が在日のためのサマリア人になる」のではなく「私こそが、レビ人や律法学者の一人」で、「私こそがキリストに赦されなければならない存在」だと気づかされたために〝宋富子(ソンプジャ)さんの呼びかけに応える〟のです。
宋富子(ソンプジャ)さんは、在日大韓基督教会川崎教会の李仁夏(イインハ) 牧師と出会い、育てられた在日2世で、このミュージアム設立の取り組みの代表となっています。御承知のように宋富子(ソンプジャ)さんは共助会員になってくださいました。本当は韓国に一緒に来たいと準備していましたが、叶いませんでした。このミュージアム設立のために命をかけて奮闘しておられます。
そして現在は李相勁(イサンキョン)牧師と共に歩んでおられます。
私も2月16日の川崎教会での「ミュージアム設立のためスタートアップ集会」に出席してきました。そして、「ミュージアムニュースレター」の創刊号をいただきました。その表紙には、李 仁 夏先生が子どもを抱っこする大きな写真が掲げられています(当日は、ここでその表紙をパワーポイントで映す)。そのニュースレターの「編集後記」にこういう言葉がありました。
「conviviality という言葉がある。ぼくは「共生」を英語で訳すときに、この言葉を最近使っている。カメルーン出身でケープタウン大学で教えているフランシス・ニャムンジョさんのconviviality 概念を、松村 圭一郎さんという文化人類学者が紹介している。曰く、『conviviality は異なる人々や空間、場所を架橋し互いに結び付ける。また互いに思想を豊かにし合い、想像力を刺激しあらゆる人々が善き生活を求め確かなものとするための核心的な方法をもたらす』と。どうだろう。私たちが目指すミュージアムにこの言葉はぴったりじゃないだろうか。」と編集後記を書いたKさんは記しておられます。
私も今改めて「共生」という言葉を味わい、身に着けて歩みたいと思います。
ここで、改めて宋富子(ソンプジャ)さんの言葉を紹介します。
多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム」(仮称)設立委員会を結成する私は現在82 歳を迎えまして、腰は少々丸くなってきましたが心は熱く燃えています。
私のこれからの人生は集大成で50 年間の長い間の夢であった日帝植民地時代に朝鮮から渡日して生き抜いてきた一世のオモニ、アボジたちの苦難と希望の人生を知る歴史館を川崎市の桜本地域にぜひ建設しなければと決心しました。
この事のために神さまは私を50年間、試練し、訓練してくださったと気づきました。40年間の活動の中で多くの市民と同胞の支援と協力をいただき信頼関係の繋がりができましたことは私の宝です。
川崎市に同胞は9、000人、桜本周辺には4、000人が住み、市民と共存しています。在日コリアンの歴史は「日本の近現代史を映し出す鏡」といわれています。幸いにも川崎市桜本には長い間、差別や人権に取り組む在日大韓基督教会川崎教会を中心に社会福祉法人青丘社ふれあい館(児童館)、桜本保育園の活動があります。
同胞、市民が共に生きるまち川崎市桜本に「多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム」(仮称)をぜひ建設いたしましょう。
最後に、「第8回韓日共助会修練会」を終える今、開会礼拝で「和解」について解き明かしてくださった校牧室長の潘信煥(パンシンファン)先生を始め、応答の郭魯悦(カクロヨル)先生、そして発題をしてくださった高鉄雄(ゴウチョルウン)先生に心から感謝します。「新たな出会いと出発」を心に描いています。
初めに語りました〝2つの感動〟の波が波紋を広げ、どんな新たな感動を生み起こしていくのか、私がどう歩めるのか楽しみにしています。
改めて、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)というこの御言葉を噛みしめています。今回出会ったすべての方々に心からの感謝をお伝えして終わりにします。
お祈りします。
「天にいらっしゃいます私たちの主なる父なる神さま! あなたの御名を賛美し、8回目の『韓日共助会修練会』をここまで導いてくださり心から感謝申し上げます。特に、私の尊敬して止まない裵貞烈先生がこの修練会のためにどれほど心を砕いて準備してくださったことかを覚えています。先生と、先生を支えた方々の〝主にある友情〟に感謝申し上げます。この韓日共助会の歩みがどのように進むかは、あなたの御心次第です。どうぞ、御心が成りますように、ここに集められた人たちの心を奮い起こさせてください。この会のために祈りを合わせてくださっている、韓国ソウルの洪彰義(ホンチャンイ) 先生、姜信範(カンシンボム)先生、そして日本にいて大きく祈ってくださっている多くの友たち、さらに、天上で見守ってくださる多くの先達たちに心からの感謝をささげます。このつたない僕(しもべ)をここまで守ってくださり感謝します。
このお祈りを御子イエス・キリストの聖名によって献げます。
アーメン (2024年3月20日 記、日本基督教団 調布教会員)