聖書研究

イエス様の十字架のみが私たちの誇り 石田 真一郎

【聖書研究 ガラテヤの信徒への手紙 第二回】

「使徒たち、パウロを受け入れる」(2章1~10節)

パウロは述べます。「その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。」このことは、使徒言行録15章の「エルサレムの使徒会議」を指しています。異邦人(ユダヤ人でない人々)が救われる(永遠の命を受ける)ために割礼(男子の包皮に傷をつける、旧約の時代にユダヤ人が神様との契約に入るために最も重要だったしるし)が必要でないことが承認された会議です。ユダヤ人を救う力も、異邦人を救う力も、ただイエス・キリストの十字架の贖いの死(犠牲の死)だけにあるのです。

パウロはエルサレムに上った際、テトスをも連れて行きました。これには意図がありました。テトスはギリシア人(異邦人)なのです。「しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです」(3~4節a)。「偽の兄弟たち」とは、キリスト者にもユダヤ人の律法(食物規定、割礼等)を守ることを要求するユダヤ人クリスチャンたちでした。おそらく使徒言行録15章の使徒会議で、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と主張した、ファリサイ派から信者になった人々です。彼らの主張を受け入れると、人が救われる(永遠の命を受ける)ためには、「イエス・キリストの十字架の死と復活による福音」だけでは足りず、割礼という人間の業わざを足さなければならないことになります。それは明らかな間違いです。ですからパウロは、「偽の兄弟たち」の主張に、正面から反対しました。パウロの主張が正しい証拠に、異邦人であるテトスも、割礼を受けることが、エルサレム教会のリーダーたち(イエス様の弟ヤコブ、ペトロ、ヨハネ)から求められませんでした。エルサレム教会のリーダーたちは、パウロの主張の正しさを承認したのです。自分の主張の正しさを承認してもらうために、パウロはあえてテトスを同伴したのです。

「彼ら(偽の兄弟たち)は、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした」(4節b~5節)。キリスト者に与えられている自由が、この手紙の主題であると分かります。「イエス・キリストの十字架と復活による福音」が、私たちに真の自由をもたらしました。私たちキリスト者は、「キリスト者の自由」に生きるのです。これについては、マルティン・ルターが名著『キリスト者の自由』の冒頭に、明確に記しています。「キリスト者は、すべてのものの自由な君主であって、何なんぴと人にも従属しない。キリスト者は、すべてのものに奉仕する奴隷(僕しもべ)であって、何人にも従属する。」この2つの矛盾する内容が、統合されている人格がイエス様であり、キリスト者です。

基督教共助会も、「キリスト者の自由」に生かされています。規約に次のように書かれています。「第2条 本会は、キリストのためにこの時代と世界とに対してキリストを紹介し、キリストにおける交わりの成立を希求し、キリストにあって共同の戦いにはげむことをもって目的とする。第3条 本会は、キリストのほかまったく自由独立な団体である。」私なりに理解すると、キリストに従う一点においてのみ一致している団体だと思います。

私たちは、イエス・キリストの十字架と復活によって、「罪、死、悪魔、律法、神の怒り」に支配されていた奴隷状態から解放されました。そして神様の愛の支配下に移されたのです。これがイエス様を救い主と信じ告白し、自分の罪を悔い改め、洗礼を受けた私たちに起こった出来事です。これを信仰義認と呼びます。善い行いを行うことによって義と認められたのではなく、信仰によってのみ義と認められたのです。このことを、日本基督教団信仰告白では、「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」と、告白しています。それは割礼のお陰ではなく、ひとえにイエス様の十字架の愛のお陰です。

割礼に私たちの罪を赦す力は全くありません。パウロは「切り傷に過ぎない割礼」(フィリピの信徒への手紙3章2節)とさえ、言います。イエス様の十字架だけに、私たちの全ての罪を赦す偉大な力があります。この事実をどんなに強調しても、し過ぎることはありません。私たちは、イエス様の十字架の死による恵みを、どこまでも強調します。私たちの誇りは、ただイエス様の十字架の愛のみです。

このパウロの信仰を、エルサレム教会のリーダーたち(イエス様の弟ヤコブ、ペトロ、ヨハネ)も了承したのです。彼らは十字架の前のイエス様を直接知っていたので、指導的立場にいたのです。「彼らは、ペトロには割礼を受けた人々(ユダヤ人)に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました」(7節)。「また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファ(ペトロ)とヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました」(9節)。パウロの説く福音、ただイエス様の十字架の贖いの死と復活にのみ、すべてのユダヤ人と異邦人のすべての罪を赦して、永遠の命を授ける力があるとの福音に、完全に同意したのです。

「パウロ、ペトロを非難する」(2章11~14節)

「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。」アンティオキアの教会には、多くの異邦人クリスチャンがいました。ケファ(ペトロ)もそこに来て、異邦人クリスチャンたちと食事(おそらく聖餐の初期の形)を共にしていました。そこにエルサレムからヤコブ(イエス様の弟)の仲間たちが来ました。ヤコブは、割礼が無用であると同意していましたが、ヤコブの仲間たちは、まだ割礼が必要と主張していたかもしれません。ペトロは割礼が無用だとパウロほど深く確信できていなかったのかもしれません。エルサレムから来た人々に遠慮してしまい、異邦人クリスチャンと共に、聖餐(の初期の形)にあずかることをやめようとしたのです。そして「ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバ(パウロの兄貴分)さえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」(13節)。これは人間的な(神様の御心に背く)遠慮、行ってはならない妥協です。

パウロが断固反対しました。「しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐに歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。』」ペトロは、既に悟ったはずなのです。ペトロは使徒言行録10章34節で、こう発言しています。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」イエス・キリストを救い主と信じて、罪を悔い改めて洗礼を受けた異邦人は、聖霊を受けて神の子になっているので、聖餐に与ってよいのです。誰が何と言おうとペトロは、この異邦人クリスチャンたちと共に、聖餐に与る必要があります。それから逃げる場合、ペトロは異邦人をも愛された、イエス様の十字架の愛を無にすることになります。決して、あってはならないことです。ですからパウロは先輩格のペトロをさえ、妥協なく叱りつけねばなりませんでした。

私も今年三月の韓日修練会に参加しました。終了後に、念願の提チェアム岩教会訪問を果たしました。帰国後に、あるカナダ人宣教師に会い、「日本と韓国には和解が必要です」と言うと、彼が「両国のクリスチャンこそ、そのスタートになれる」と言いました。その通りです。イエス様の十字架こそが、「敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソの信徒への手紙2章14節)たからです。日本キリスト教史を学んでおられ、将来は韓国の神学校の先生になる希望を持つ方でした。

「すべての人は信仰によって義とされる」(2章15~ 21 節)

「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした」(16節)。プロテスタント教会が拠って立つ「信仰義認」です。「信仰」は原文のギリシア語でピスティスです。今から約100年前、スイスのカール・バルトという牧師(神学者)が、ローマの信徒への手紙1章17節のピスティスを「真実(信実)」と訳しました(おそらく初めて)。2018年に出版された聖書協会共同訳がまさに、16節のピスティスを「真実」と訳しています。「しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。」

新共同訳は、伝統的な訳です。私たちのために十字架で死なれたイエス・キリストを、人間の側が信じることの大切さを強調しています。聖書協会共同訳は、キリストが私たち罪つみびと人の全ての罪を身代わりに背負って、十字架で死ぬという完全に真実な生き方を貫いてくださった、その完璧な真実によって私たちが救われることを、強調しています。どちらの訳も正しいのです。私たちはイエス様の十字架の愛を、信じて受け取ることしか、できません。信じることが非常に大切ですが、それは何の誇るべき功績にもなりません。イエス様が十字架と復活で、私たちの救いに必要な全てを成し遂げてくださった。イエス様の功績のみのお陰で、私たちが救われます。

「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです」(19節)。律法の要求は、全ての罪が裁かれることです。イエス様の十字架によって、私たち人間全員の、全部の罪が裁かれました。律法の要求は100%満たされました。お陰で、パウロも私たちも、律法の支配から解放されました。「わたしは、キリストと共に十字架につけられています」(19節)。それは洗礼です。洗礼を受けたとき、私たちの罪深い古い自分は、イエス様と共に十字架につけられて死に、私たちはイエス様と共に新しい自分に復活し、聖霊を注がれました。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(20節)。これがクリスチャンの現実です。私たちの心の中心に、キリスト(その霊である聖霊)が生きておられます。私たち一人一人の、内なる主役はイエス様です。

「わたしが今、肉(肉体)において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(20節)。聖書協会共同訳ではこうです。「私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のために身を献げられた神の子の真実によるものです。」私たちの救いが、100%キリストの十字架の愛に依存していることが、よく分かります。「わたしは、神の恵みを無にはしません」(21節)。イエス様の十字架の恵みを無にしないとの決意です。「もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」(21節)。割礼でも人の善い行いでもなく、キリストの十字架の死だけが、私たちの全ての罪を赦す神の力です。パウロは主張します。「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(6・17)と。私たちも、イエス様の十字架の焼き印を身に受けていることを、心に刻みます。

今夏、パリオリンピックがありましたが、ちょうど100年前の1924年にも、パリオリンピックがありました。イギリス代表エリック・リデル宣教師は、100m走が日曜日に行われると知り、100m走を棄権して、礼拝出席を優先します。金メダル獲得よりも、イエス様の十字架の愛が、彼の真の宝です(1981年の映画『炎のランナー』で描かれました)。彼は別の日のレースで予想外の金メダルを得ますが、これは日曜礼拝(神様への愛)を最優先した彼への、神様のプレゼントでした。

エリックの人生の後半を描いた映画が『最後のランナー』(2017年、DVDあり)です。彼は23歳で中国の天津に行き、結婚して2人の娘を授かりますが、1941年12月に太平洋戦争が発生、妻子を妻の故郷カナダに帰します。「すぐまた会える」と言って別れますが、エリックは他の英米人と共に日本軍が造った収容所に送られます。彼は、囚われた子どもたちに勉強を教え、寒い中、一緒に走って暖まり、収容所内の人々の心の支えになります。

彼が金メダリストと知った日本の将校がレースを申し入れます。将校は彼によい食事を渡していたのに、彼が負けます。彼がよい食事を仲間たちと分け合ったからです。怒った将校によって穴倉入りの罰を受けます。エリックは栄養失調になりますが、病気の仲間のために、将校にレースを申し入れます。勝ったら仲間に薬を渡してもらう約束です。体調不良の冬に、仲間たちの祈りと賛美歌の中で、裸足で最後の力を振り絞り走ると、神様の助けを得て勝つのです。彼に収容所から出る許可が出ますが、夫を亡くして失意の妊娠中の女性に、権利を譲ります。妻への手紙に「君でもそうしただろう」と書きます。エリックは1945年3月に収容所内で天に召されます。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(20節)。エリックの中には、イエス様が生きて働いておられたのです。イエス様に従い切った生涯に胸を打たれます(日本軍の収容所がエリックと仲間を苦しめたことに、心が痛みます)。イエス様の十字架の愛のみが、私たちの誇りです。私たちの内に生きておられるキリストが、ますます私たちの人生の主役となってくださるように、祈ります。アーメン。(つづく)

(日本基督教団東久留米教会牧師)