「我らの父よ」と呼べる幸い 朴大信

ルカによる福音書11章1~4節

はじめに

神学生時代、奈良のある教会で夏期伝道実習をしました。近くには鹿で有名な奈良公園があります。私はその公園である一つの光景に驚きました。夏休み、多くの観光客でにぎわう園内でひときわ注目を集めていたのは、やはり鹿でした。ところが人々が差し出す「鹿せんべい」に、鹿たちはそっぽを向いていたのです。おそらく普段なら、せんべいを少し見せるだけで群がって来たり、せんべいを持っていなくても、鹿の方から餌を求めて近寄って来たりするでしょう。しかしどうも様子が違う。話によれば、大勢の観光客がせんべいをあげすぎて、ついに飽きてしまったのではないかということでした。

真相はともかく、私たちが口にする「主の祈り」も、あまりに慣れすぎて同じようになってはいないだろうか。そんな自戒の念が込み上げます。しかし、実はまだ味わい切れていないこの祈りの「旨味」があるのではないか。そうした期待と渇望も膨らみます。

「天にまします我らの父よ」

そこで今回は、主の祈りの最初の一句に注目します。「天にまします我らの父よ」。

今回も、参照する聖書箇所はルカによる福音書です。しかしこのルカには、「天にまします我らの」という言葉はありません。いきなり「父よ」から始まります。形容句があるのはマタイによる福音書の方です(「天におられるわたしたちの父よ」6:9)。ただしマタイの場合も、ギリシア語原典を見ると、先頭に「父よ」という言葉が来ます。「父よ、私たちの、天にまします」という語順なのです。つまりマタイでもルカでも、主の祈りは、まず何より「父よ」と神に呼びかけることから始まっているのです(この関連で、「主の祈り」のことを、英語では日本語と同様にthe Lord’sPrayer と言いますが、ドイツ語では、マタイの語順の冒頭の言葉をそのままとって、das Vaterunser(Vater 父+ unser 私たちの)と表現します)。

さて、この「父よ」という言葉。これを主イエスが教え、実際に祈られた時、元の肉声は、「アッバ」と呼びかける声として弟子たちの耳を打ちました。けれども、この言葉は「父」を意味する正確なヘブライ語の語形にはなりきっておらず、むしろその原型である「アブ」に音が近いことから、多くの研究者たちが推測するに、これはまだ言葉が覚束ない、舌足らずな幼な子が発する言葉だと理解されます。したがって「アッバ」とは、そのように幼児が父親に対して全幅の信頼と思慕を寄せながら呼びかける表現であったことが分かります。

ここで一つ大切なことは、この拙い幼児語が、祈りの中で用いられたということです。これは当時のユダヤ人からすれば、神に対する非常識で無礼な呼びかけとさえ言える祈り方でした。彼らの一般的な祈りでは、例えば、「天地万物の造り主にして、歴史をすべ治め、神の民イスラエルを選び出し、とこしえの栄光に輝き給う全能なる神よ……」等と、神の前に幾つもの飾りを付けながら祈ったことでしょう。そういう祈りが立派で正しいとされていたのです。そして、もし自分たちが本当に神の声を聞いたり、ましてや神の顔を見たりすることがあれば、決して生き延びることはできない、必ず死んでしまう、と信じていました。それ程、神という存在は畏れ多く、人は御前にあっては罪人として滅ぼされるしかないと確信していたのです。

ところが、そんな常識を破って、主イエスは神に向かっていきなり「アッバ」と呼びかけた。この時だけではなかったでしょう。いつもそう祈っていた。だからその姿を間近で見ていた弟子たちは、きっと驚き、不思議に思っていたことでしょう。るか天高くにいまし給う神との独特の近さや親しさ、そしてその神に全てを委ね尽くす深い静けさや安らかさを、この「アッバ」という言葉からいつも感じていたに違いない。だから、自分たちも主イエスのように祈りたいと願ったのでしょう。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11:1)。

この願いに応えて、主は祈りを教えてくださいました。いや、その場で実際に祈ってくださいました。祈りの教科書を開き始めたのではなく、格好よく演じてみせたのでもなく、いつも祈るように、真実な祈りをそこで神にささげられた。そこで最初に出てきた言葉。出てくるしかなかった言葉。それこそが、「アッバ(父よ)」です。

「父」と呼ぶことへの戸惑い

私たちは、いったいこれまで何度「天にまします我らの父よ」と祈ってきたことでしょう。しかしこの言葉で神に祈り始める時、その神に向かって、父親の懐の深い愛を疑わぬ幼な子のように呼びかけることができていたでしょうか。いや、そもそも神を、私たちの父として本当に信じているでしょうか。

もし私たちが、「父よ」という言葉にときめかなくなったり、逆に戸惑いや躊ちゅうちょ躇を覚えたりするとしたら、それは「父」という言葉に、ある自分なりのイメージや経験、社会通念といったものを重ね合わせているからなのかもしれません。例えば、仕事にいつも忙しく、食事も一緒にしてくれない父。感情を出すのは怒る時だけで、普段は笑いも涙も見せない。話も半分しか聞いてくれない父……。そんな現実は、決して珍しくないのかもしれません。暖かな家庭や親に夢を抱きながら、幻滅させれる子どもたちがどれ程多いことでしょうか。

ある人が、「父なる神様」と祈ると自分の父親の嫌な姿がどうしても思い出されて、苦しくて仕方ないのだと言ったことがありました。真摯に受けとめるべき切実な声です。またある人は、自分は事情あってほとんど母親に育てられてきたから、父なる神といってもピンと来ない。神に対するイメージはむしろ母親の方が強い。母なる神。その方がしっくりくると言う人もいます。

どれも一理あります。優劣をつけることはできません。ということは、神についてのあらゆる呼称は相対的で、どれもが一つのアナロギア(類比)でしかないと言えるでしょう。しかしまたそれ故に、ある類比で呼ばれるほかない神そのものは、その類比をはるかに超えて、まさに相対峙する一切のものを絶するという意味での絶対的・超越的存在であると信じざるを得ません。つまり私たちが神を「父」と呼ぶ時、それは、私たちの経験の中で知っている父親とか母親、またこの社会で造り上げられてきた男とか女というイメージ、あるいは性役割といった枠組によって揺さぶられてしまうような神に呼びかけているのではない、ということです。むしろ、そうした地上のあらゆるしがらみ0 0 0 0 に一切縛られない、天にましますただ一人の父に向かって呼びかけるのです。

この意味で、例えば、次のようなフェミニスト神学自身が持つ自己理解は、それが必ずしも女性の視点だけを固持しているのではなく、あらゆる神学的立場を包括しながら、神を語る際の非類比的な広がりを示していると言えるでしょう。「……私たちは神を男性的だと考えるが、神は本当はそれとは異なった0 0 0 0 存在だということを、ある特殊な方法で指し示すことである。神は女性的でもあり、同時に、女性性、男性性を越える0 0 0 存在でもある」(『女性の視点によるキリスト教神学事典』、44頁。傍点は本書の原文通り)。

聖書の神

聖書は、私たちの父なる神がどんな方であるかを繰り返し伝えます。多様に伝えながら、しかし結局、どんな包括的表現を使っても、神ご自身は絶えずそれを超える存在であることを私たちは知らされます。例えば旧約の預言者たちは、声を嗄か らしながらそのことを訴え続けました。「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)。神は生涯の最後の日まで、私たちを支える決心をされます。私たちの命をお造りになった方として、この歩みをご自身が担い続け、やがて私たちが老いて、死に至る時まで決して離れません。

また、同じイザヤ書49章15節にはこう記されます。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」。神は、この世の実の母親よりも深い愛を貫こうとされます。母親の愛に勝る愛はないと言われますが、しかしその愛も、時に破れることがあります。けれども神の愛は、決して裏切らない。

そして主イエスご自身も、主の祈りの後、あの「放蕩息子」の譬えを語られました(ルカ15:11~32)。そこで示された父なる神は、全く破格だというほかありません。この父親は、自分の息子がどれ程愚かで放蕩の限りを尽くしても、拒むことをしない。それが父親の名を汚す行いであっても、咎めません。息子が家を出て思う存分好き勝手をして、自業自得で窮地に追い込まれ、ようやく過ちを悔いながら父のもとに帰って来た時、無駄遣いした金を返せとも言いません。どうしたか。「遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15:20)。

この譬え話で思い起こす、一冊の本があります。今年の秋に天に召された、神学者の大木英夫先生の『主の祈り キリスト教入門』という本です。そこに次のような文章があります(25~26頁)。最近わたしたちはしばしば、テレビを通して、中国残留孤児が40年の年月をこえて、父や母と出会い、「父よ」「母よ」と呼ぶ感動的な瞬間を目撃いたします。それは長い年月が一瞬にして吹きとんでしまうような瞬間であります。

1980年代、かつての戦争によって中国に取り残されてしまった孤児たちが、40年の歳月を経て日本に戻って来ました。そしてテレビを通して、「お父さん、お母さん、どうか勇気をもって名乗り出てほしい」と訴える。そしてこれに応じて名乗り出た父親や母親が、自分の子どもたちとの再会を果たす。この歴史的光景に胸を打たれながら、大木先生は、「父よ」「母よ」と言って互いが抱き合う時、40年もの「長い年月が一瞬にして吹きとんでしまう」と言う。そして、さらにこう続けるのです。しかし、人間は神に対して、なかなか「父よ」と呼ぶことができないのではないでしょうか。神がいますのに、神をないがしろにし、自分を中心にして生きている現代人の心の中には、もしそれをはっきり言うならば、神への恐れとでも言わざるを得ないような、不安や暗黒がひそんでいて、いつも爆発を待っているのであります。……放蕩息子の父は、この姿をみとめ……こう言われております。「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、憐れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」と。「天にいますわれらの父よ」と祈りなさい……この命令によって、人間は、神から離反した長大な歴史、あの中国残留孤児の40年どころではない、アダムから自分に至る長大な歴史をこえるのであります。罪の歴史を乗りこえるのであります。

かつてイスラエルの民が神を極度に恐れ、距離を置いて遠ざかろうとした態度は、決して的外れではありませんでした。むしろ現代の私たちにとって、足りない感覚とさえ言えるでしょう。それは、自分自身の身の回りの人間関係や、政治の腐敗、脅かされ続ける世界平和の現実を見ても明らかです。見えざる神を前にして映し出される真実なる己の姿を見つめる眼差しは、私たちが本当の自分の命を生き、他者とより良く共に生きてゆくためにも、決して欠かせないものであるはずです。

アダムが罪を犯し、この自分も罪を犯し続ける。そのことによってできてしまった神との距離。その距離は今も広がり、その溝も深まる一方です。これは、到底自分では埋めきることのできない絶望の現実です。その距離を、その溝を、しかし神の方から埋めてくださった。罪の歴史が乗り越えられたのです。それが、あの放蕩息子の譬えが伝える父なる神の真実です。「遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。しかも、この息子のために祝宴まで開いたのです。「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(ルカ15:22~23)。

「父」と呼べることの幸い

この破格の気前の良さ、すなわち私たちの罪という棘を、自らの懐に全て包み込んでゆく神の愛には、しかし痛みが伴うものでした。神ご自身の犠牲なしには貫徹され得ない愛、それがあの十字架の主イエスに示された、神の「憐れみ」(同20節)ではなかったでしょうか。

十字架に架かられる前夜、血のような汗を滴らせながら、主は真剣にこう祈られました。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)。そしてまた、十字架に釘打たれた時にはこう祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ3:34)。十字架で息を引き取られる直前の、最後の祈りはこうでした。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)。

主イエスは最後の最後まで、「アッバ、父よ」と呼び続けました。いや、十字架の死に至るまで叫びながら、しかし叫ぶことができる程の全幅の信頼を幼な子のように注ぎ込んで、父なる神を求めました。この呼び求める祈りが、何のためであったかが決定的に重要です。ご自分のために祈ったのではありません。

この苦しみから助け出して欲しいと祈る祈りがゴールではなかったのです。困った時の神頼みではない。そうではなく、どこまでも父なる神の御心を求める祈り。それは他でもない、私たちのための祈りでした。神を父と呼べる資格などない私たちを、神の子とするための祈り。主によって弟よ、妹よ、と呼び集められる者たちが、神の家族の中へと回復されるための、御子の全存在が懸けられた献身だったのです。

おわりに

「アッバ、父よ」。これは枕詞でもなければ、祈りの一部分でもありません。まさにこの一語にまで集約された、祈りの全体とさえ言えます。たとえ全てが閉ざされ、全世界を向こうに回す程の孤立のただ中で沈黙せざるを得ない時でも、なお一つのことが許されている。その証としての、決定的な一言。あらゆる言葉が消滅し、罪と死が支配する闇に自らを失う空虚にあって、なお「父よ」と祈ること、祈れること。いや、「我が子よ」と呼びかけながら近づく永遠なる声に、「父よ」と応えてゆくこと。ここに、キリストの霊が導く、信仰の言葉が生まれます。真実なる私の姿が形造られます。そして、この信仰の出来事の内にこそ、神は既に私たちと共におられるのです。

あぁ、天にまします我らの父よ! そして、今ここにまします我らの父よ!(続)       

(日本基督教団 松本東教会牧師)