巻頭言

だから目を覚ましていなさい   井川 満

マタイ24、25章は、イエスが捕縛と尋問、そして十字架上の死が迫り来るのをひしひしと感じつつ、その後に起こる終末・審判について、弟子たちに語り聞かせた言葉の記録である。京阪神共助会の2025年度信仰修養会は「だから目を覚ましていなさい」なる主題で開催されたが、これは終末・審判に関連してイエスが語られた言葉の一つである(24章42節)。イエスは「目を覚ましている」よう弟子たちに命じられる前に、ノアの箱舟の出来事を物語られている。ノアが神の命に従って長さ130メートルを超える箱舟を作り、様々の準備を整えるのは大変な作業であり、勿論長時間を要したことである。当然人々の目につく大仕事であった。しかし、人々はノアを嘲笑して、それまでの生活を変えなかった。その結果、洪水が襲ってきたときは水の底に沈むほかなかったとイエスは語っている。イエスが発せられた「だから」には、ノアを嘲笑した挙句に洪水の底に沈んだ人たちの轍を踏むなとの強い勧めが込められており、それ故「目を覚ましていなさい」と警告している。

 ノアの時代の人たちは、洪水に襲われる心配をしていなかった。しかし現代の我々は、大洪水に何時襲われるかとの恐れを絶えず抱いている。神の創造の秩序を無視した人間活動の積み重ねの結果、極端な高温・乾燥とそれに伴う長時間の豪雨が地域を選ばずに襲いかかり、種々の困難をもたらしている。これらの異常現象以上に私たちに危惧をいだかせるのは、核兵器の発射ボタンを握っている権力者たちの言動である。核兵器の洪水がいまにも襲ってきかねない恐怖を我々は覚え続けている。

 戦後80年を経て地球の自然現象も、政治世界も急激に変わってしまった。終末を感じさせられるこの時代に「目を覚ましている」とは、どのように生きる事なのだろうか。イエスは弟子たちへの語らいの終わりに、裁きの日には「イエスの兄弟である最も小さい者にどう接したか」が問われるのだと言われたことが心に浮かぶが、上記主題のもとに開かれた信仰修養会での発題と討論を、心をすまして聞き取りたいと願う。 

(日本基督教団 北白川教会員)(みつる)