パーソナルな愛の同志の輪をどう広げるか 加藤常昭

20200118_02『恐れるな、小さき群れよ―基督教共助会の先達たちと森 明』

とても面白い書物である。そして私のように面白がって読む人が少しでも増えるといいな、と思う書物である。

昨年、基督教共助会は100年の歴史を記念し、機関誌『共助』の敗戦前の掲載論文を選んで本誌を刊行した。誌名は、共助会の歴史を支えてきたし、現在の歩みを励ますものとして改めて聴き取っている主イエスのみ言葉である。副題「基督教共助会の先達たちと森 明」は、今回の企画の基本的意図・内容を示すものである。

旧日本基督教会中渋谷教会を開拓建設して10年、1924年夏、牧師森 明36歳の時、信仰の師父植村正久刊行の週刊誌「福音新報」に「濤声に和して」と題してエッセーを連載した。宿痾(しゅくあ)の喘息が悪化して湘南海岸で静養していた。翌年には逝去している。従って遺書に擬するひともある。共助会が発足して5年を経ていた。祷りつつ迎える夜にも波の音「濤声」が聞こえる。昼に散策し、「人生悠久の波打ち際に立って」波の音を聴く。その波音に心身を委ねつつ黙想する。そこから生まれた、一字一句を刻むように書かれた文章である。学術論文ではないが、明らかに近づく死を予感する森の存在を注ぎ出すように神学と信仰を語り出している。劇詩「霊魂の曲」も書いた文才は、ここでも光っている。森牧師が短い生涯を通じて生き、また問い続けたものが何であったかがよくわかる名文である。これだけで一読に値する。

これに『共助』寄稿の諸文章が続く。盟友高倉 徳太郎、石原謙が森の文章を論じ、その上で、当時若者であった人びとの文章10篇が紹介される。共通の主題は森 明との出会いである。これが第一部である。後に中渋谷教会の牧師になった山本茂男が九州を出て東大法学部に入学し、森牧師を訪ねて求道生活を始めたが、心鬱して礼拝にも行かず、蟄居していた四谷の下宿に森牧師が突然訪ねてくる。若い牧師が、悩む山本青年に言う。「人生は寂しいね!」。そこから対話が始まる。やがて山本は森牧師の信仰の同志となる。そうかと思えば、「書斎の先生」と題する文章の中で浅野順一は、病のために学校でほとんど学ぶことができなかった森 明が、見事に外国語文献も学ぶようになり、どのように学問を身につけていったかを興味深く物語る。

小さいが内容豊かなこの書物が願うのは、自分たちの原点の確認であり、そこへの回帰である。共助会は、もともと旧帝大を中心とする学生伝道を志した集団であった。今は、その面影はない。本書が伝えるのは指導者森牧師と若者たちとの極めてパーソナルな出会いである。植村牧師との出会いを通じて体得したキリストの贖罪愛は、燃えるようなキリストへの愛の応答を生み、主にあるキリスト者相互の友愛となる。森牧師を中核に置く燃えるような同志愛は、内村鑑三を中核とする無教会集団を思い起こさせる。現在の共助会にも、このキリスト愛とキリスト者相互の友情とは生きている。それだけに自己満足に陥らないで新たに燃え立たせることができるかが問われている。現代においても、森に似た燃えるような、パーソナルな愛の同志の輪を広げることができるか、緊急の課題としてほしい。悩む青年を訪ねて歩いた牧師のこころを新しく生きてほしい。

共助会のもうひとつの課題、現代文化との対話、対決の問題を論じ得なかったことをお詫びする。  
(神学者)

20200118_02恐れるな、小さき群れよ―基督教共助会の先達たちと森 明
四六判・288頁・本体1300円+ 税・ヨベル
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