ほむべきかな主の業 角田芳子

7月28日(火)共助編集会議が、コロナの影響で約半年ぶりに対面で行われた。その際、飯島 信委員長から分厚い2冊の説教集を渡され、感想をまとめてほしいと依頼されたのである。それが工藤浩栄・金 美淑共著の説教集であった。ご両人のことはもちろん存じ上げているし、青森の美味しいリンゴを「子ども食堂」へ送っていただき、優しいお二人の人柄にも触れることもできた。私自身は、青森にはほとんどご縁がなく今日まで過ごしてしまっているが、小笠原 亮一先生や工藤浩栄さん・金 美淑さんが、どんなに青森を大切にしておられたか、雑誌共助などで拝読して想像を巡らしている。日頃からそんな交わりのあるお二人の様子を思い浮かべつつ『桂山荘礼拝記録』を、読ませていただいた。

一冊目は2018年4月8日~12月30日・もう一冊は2019年1月13日~12月29日の毎回の礼拝記録である。「桂山荘」とは青森市東部の小柳にある工藤氏ご家族が暮らしているアパートの名前だそうだ。このお住まいで2018年4月8日から礼拝が始まったそうである。礼拝時間は北白川教会に準じて、4月から6月は午前10時30分、7月より午後4時から始めているとのこと、興味深い。ほとんどの日曜日礼拝担当は、夫である工藤浩栄氏が担当し、上下で15回程度を妻である金美淑氏が語っておられる。家庭を開放して礼拝を持つことは、そうたやすいことでないのは良くわかる。我が家も、家庭集会を10年間ほど持っていたが、場所と時間を整えそしてメッセージを準備し、皆さんをお迎えする。私たちの場合、二人が管理職になるととても対応できなくなり、ストップせざるを得なくなった。工藤家では、今年大学生になった次女の殷ウニョン英さんが、伴奏を担当し、また、ご兄弟の英ヨンウク旭さんも礼拝に参加しているそうだ。家族が共に賛美を歌い、お父さん、お母さんのメッセージに耳を傾ける、何と素晴らしいことではないか。この礼拝を始めた理由として、工藤氏が前書きで書いておられるのは、礼拝を回復したいというのが大きな理由だったそうである。また、ご夫妻が尊敬してやまない小笠原 亮一先生が、故郷青森で開拓伝道を志していた思いを引き継ぎたいという願いがあり、手探り状態で始めたと言っておられる。スタートの時、北白川教会の皆様から「祝・エクレシア」と寄せ書きをいただき、とっても嬉しかったとも。青森にある小さなエクレシアの記録を味わわせていただいた者として、少々感想を述べさせていただきたい。小さなエクレシアと、述べているが、このエクレシアは広く・深く・高く成長する可能性を持っている、何より神様からそのように期待されている。なぜならここから流れる恵みは、ご家族・そして北白川教会の関係者・日韓共助会のお一人おひとり・そして実際に行き家庭をも訪問したインドネシアそして、フィリピンまで広がっている。訪問したインドネシアの家庭の温かい様子。そこには礼拝があり、まるで神様の国のようだった。こんな心の豊かな国で育った皆さんが日本にやってきました。日本の人々に神の国を見せてください。工藤氏は、心からの呼びかけをしています。その神の国は、さながら毛細血管のように広がっています。詩編65:12にあるように「あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。」その油の数滴を、私もいただいたような気がしている。

読み終えて、感じたことは、人間と人間の間に息の長い神ぷ ねうまの風が、吹いていることを感じている。それは小笠原先生が北白川教会でどのような人間関係を築いたかが、大きく関係している。

すなわち、2010年5月24日天に召されてからますますクリアになっている先生の証であると考える。先生が生前「人間は死んでからが勝負だよ」と工藤氏・金さんご夫妻に常々言っておられたと知った。なるほど小笠原先生はそのように考えておられたのかと私は、今から30年ほど前の先生との出会いを思い、温かい気持ちになっている。それはバプテスト連盟の主催する夏休みに行われた「全国少年少女大会」が伊豆の天城山荘で行われた時のことである。私は浦和教会から、少年少女たちのリーダーとして参加したのである。その時、講師として来てくださった大会牧師が小笠原 亮一先生であった。お話は余り覚えていないが、中高生がグループになって話し合う時、レクレーションをする時も、ご一緒に参加してくださったのがとても印象的だった。講師の先生がプログラムのほとんどに参加されるというのは珍しいことであるが、あの時の柔和な嬉しそうな様子を思い浮かべ、その表情は様々な苦難を経験された結果だったのかと思い返している。この流れは工藤氏・金さんに及んでいると確信している。その時の様子は共助会の夏期修養会でも、何度かうかがっているが、人生の一番苦しい時に小笠原先生が寄り添って下さったと。その人間関係は、北白川教会から青森に移られた小笠原先生は「北国の伝道」を志しておられ、そして実行しようとして叶わなかった家庭礼拝を工藤氏・金さんが始められたのである。

両氏は一回一回の礼拝の話を、非常によく準備しておられる。そして真摯に語り、その説教を通して神をあがめる方向に導いておられる。どの回をとっても心に残るが、特に印象深いのは2018年8月5日の「平和と審」の回である。青森の「ねぶた祭り」を取り上げ、8月1日~7日に行われる祭りも花火も平和でなければできない。73年前の当時第2次世界大戦中、終戦の直前に無数の焼夷弾が投下され、青森の街は焼け野原になった。そして、「ねぶた祭り」も中止となってしまった。

2020年も、コロナの感染拡大で世界中が影響を受け、まだまだ出口が見えず一年延期になり、日本で開催が予定されているオリンピックも危ぶまれている。『北国の伝道』で、当時小学校5年だった小笠原先生が、丸焦げの屍体がごろごろと並んでいて、死の恐ろしさを、震えあがりながら知ったと述べている状況と比較はできぬが、少し重なるような気がする。真摯にまっすぐ語られる工藤氏の毎回の説教は、素晴らしい。それに対して奥様の金 美淑さんのメッセージも別の意味で心を惹かれる内容である。韓国訪問の様子やお子さんたちの様子、夫婦の日常的な思いやりなど、柔らかく詩的な表現が多く取り入れられている。そして、花壇に花々を育てている様子や自然に目や心を多く向けて美しい表現をしていて、そのまま神賛美につながる。

終わりにあたり、ほとんどの日曜礼拝を担っておられる工藤浩栄さんの縦糸、時々担当しておられる金 美淑さんの詩編や自然を多く語る横糸を感じながら読ませていただいた。そして二人で織りなす「神の栄光」という、布が少しずつ出来上がりつつある。そこには人と人の不思議な出会いや友情、神の業としか考えられぬ出来事の数々が、織りなされつつある。私たちもイエス・キリストに出会い、ご夫妻と同じように恵みの中で歩ませていただいている。そして、そこにはいつも目には見えないけれど働いておられる聖ぷねうま霊の力があることを意識しつつ、それぞれの歩みを進めたいと思わされた。

(浦和バプテスト教会員・元聖学院小学校教頭)