分団報告:林 織史、湯田大貴、辻 光一
【分団A報告】神に捉えられて立ち尽くす 林織史
皆さんは「果たしてあなたは自分の足で世界に立てるのか。」と問われたら、どう感じますか。
【人格的な安心保障】
誰しもが様々な不安を抱える中、全てを己の世界に組み込みながら既知の範囲において見かけ上の秩序を保つような姿勢、と言っても不都合なものはそれとなく遠ざけるような、同化的な(assimilative)な生き方に陥りがちです。自らが変化してしまうことを恐れるがあまり、(どこか薄々と変身を希望しつつも)関わりやすい者とのみ関わる、ある意味で日常の安心を保障する生存戦略としては理に適ったものかもしれません。
その一方で、善悪を超えた現実を否応なしに突きつけてくる、在るがままの他者に対して誠実に向き合い、独善的に孤立することなく真剣に立ち向かう姿勢とはどのようなものでしょうか。また、そのような自立した人格同士の交わりから開かれる共同性において、内なる恐れに囚われずに平和を築いていく力はどこから湧いてくるものでしょうか。(参考:共助会規約 第2条〈目的〉)
【足について】
古代の謎かけにあるように人間の脚の本数は歳とともに変わるものの、だいたいは直立二足歩行をする稀有な存在として創られていることに疑念はありません。ベッドや車椅子での生活を余儀なくされている方も多くいらっしゃいますので、ことはそう単純ではないかもしれませんが、よくよく考えるといずれも次の問に気付きます。「では、その足は何によって支えられているのか。」
【自力と他力】
人が大地に立つとき、そこには大きく分けて3つの力が働いています。まず、足が地面に対して踏ん張る、上から下へと向かう力①《身体の筋力》。自力で立つと言う時、真っ先にこの肉体的な力が思い浮かびます。次に、これと対で接地面から人体を押し返す、下から上への力②《地面の抗力》。普段あまり意識しませんが、例えば雨上がりのぬかるみに踏み入れると沈んでしまう経験は誰しもがあるはずです。そして最後の力は垂直方向以外に働く作用を総合したもので、我々の精巧な造りの身体が倒れないようにと、絶えず破られる均衡を整えるバランス力③《体内および周囲との平衡力》と考えることができます。
【天に向けて立つ】
それでは、人が神に向かう時はどうでしょうか。今回の主題講演に即して言うならば、「今、どこに〝自分の立脚地〟を据え直すか」、あるいは「一筋の道」を何処に見出すかです。
まず①の身体力は失われています。そもそも神を求める時点で、躓き、よろめき、転んでいるからです。それにも関わらず、②の土台力は健在です。それどころか、人間と比べてあまりに地面がしっかりしているために、転ぶと傷ができて痛みます。そして③のバランス力ですが、もはや「立つ」という点においては完全に崩れていることは明らかです。体幹の軸も失われて、周囲との平衡は成り立ちません。しかしながら、身体そのものに着目すると、転倒によって多少の怪我はあっても瓦解することなく統合されているという点で、不思議と意識しないところで内的な均衡力が働いています。
それどころか、図らずも転倒を悟った瞬間、無意識に力を抜くことで衝撃を和らげることもある気がします。文字通り無力な状態です。力ある大人であっても、まるで幼児が親の助けを呼ぶようにアッと声を上げることぐらいしかできない場合があります。
こうして考えてみると、最初の問いにはむしろ「神が私を捉える時」、と答えるべきかもしれません。蛇足ですが、手偏に足と書いて捉えるのですね。
【重力と浮力】
幼いころに幾度も見た特徴的な夢を思い出します。寝ていると突然、布団の〝底が抜けて〟宇宙空間と思しき暗闇に放り出されます。得体の知れない重力が身体を引っ張るのに任せるしかなく、〝浮いたようでいて沈み込む〟ようにひたすら落ちていきながら、時も〝止まったようでいて10倍速でもある〟ような非常に気味悪い感覚が伴いますが、何故か底に着く前に必ず目が覚めます。身近な例で言うとフリーフォールのような絶叫マシンが近似的かもしれません。恥ずかしながら一度も乗ったことが無いので分かりませんが、もし共感できる方がいればぜひ教えてください。
【結びに】
私のような小心者からすると、共助会はマッチョな集団です。もちろん腕力に頼るという意味ではなく、精神的な次元においてです。新渡戸稲造や内村鑑三から流れる武士道に接ぎ木された基督教を未だに背負っているのでしょうか。今回の修養会で学んだ先達、親しみを込めてアッキー&しげちゃんと呼びたいと思いますが、彼らの信実なる歩みを、主に在る友情を導いた詞は次に示されているように思えてなりません。「み恵み受くれどさとりも得せず、こころにもあらで御名をけがせり。かくまでまがれる身をさえ棄てず、友と呼びたもう君ぞとうとき。」(森 明の愛唱讃美歌351番より、3番)(食品製造・会社員)
【分団B報告】キリストに在る友情 湯田大貴
2022年の夏期信仰修養会では、全3回の分団のときが持たれた。礼拝で語られたメッセージや主題講演の内容をもとに、それぞれの考えや思いを分かち合うことができ、大変有意義な時間であった。様々な背景を持つ人たちや世代の違う人たちが集まる共助会において大切なことは、講演者の話を聞くだけでなく、少人数で集まり自分の言葉で語ることだ。対話を通して私たちは互いのことを理解し、友情を育み、コミュニティとして成長することができるからだ。
ここからは、3回行われた分団のうち、第2回と第3回の内容をまとめて報告したいと思う。2日目の夜に行われた第2回目の分団では、あるメンバーの大学時代のキリスト教との出会いが話題の中心となった。彼女は、高校までの学校生活やその教育で自分個人を大切にされたという経験がなかったという。人間関係が悪かったせいもあって、他人とは恐ろしい存在であると思っていたそうだ。ただ大学に入り、初めてキリスト者の友人ができ、彼、彼女らに自分という存在を初めて尊重してもらって、受け入れてもらって、だんだんとキリスト教にも興味が出てきたということであった。
このような彼女のキリスト教あるいはキリスト者との出会いの話を受けて、ある他のメンバーが共助会の歴史の中にも同様の交わりがあったことを紹介してくれた。たとえば、当時30代の奥田成孝も信仰や人生の悩みについて共助会のメンバーと語り合っていることが記録に残っているという。共助会はその100年を超えるような長い歴史の中にあって、常に「主にある友情」という言葉とともに、そこに集うものたちが互いに信仰を支え合ってきたという事実を思わされた。今回の分団のメンバーの中には、一時期、教会を離れていたメンバーだったり、さまざまな事情から自分に合った教会を見つけることができずに教会に現在通っていないようなメンバーもいる。教会も結局は人と人とが作り出す一つの組織でしかなく、どうしてもそこにつまずくこともある。そのようなときに、共助会というコミュニティがあって、教会から離れたとしても神を信じる者同士の交わりが保てることは本当に大きな恵みだと感じた。
最後の分団は、3日目の午前中にもたれた。第3回目の分団の話題の中心となったのは、その日の早朝礼拝で語られた中村頌さんのメッセージであった。最初に話題になったのは、中村さんのメッセージの最後の言葉であった。通常、礼拝メッセージの最後は、祈りの言葉で締めくくられることが多い。しかしながら、中村さんはメッセージの最後に、祈りの言葉に代えて、ただ一言「神様、信じます」という言葉でご自身のメッセージを締められた。これはまさに、メッセージ全体が祈りの言葉であったことを指しているのではないだろうか。つまり、中村さんは何かを聴衆に伝えているということよりも、自分自身が神の御前に立って、祈りの言葉で神に対して語っていたのではないかということである。このように神の御前に自分をさらけ出して告白する姿は、ときにどんな言葉よりも雄弁に私たちに問いかける。メッセージの内容ではなく、その姿自体が問いかけなのだ。私たちは、彼のように真摯に神の御言葉と日々向き合い、御前に立ち、真実な交わりを神様との間に持てているか。そして何よりも我々は御言葉に生きているかということが問われているように思われた。
また分団のメンバーの一人が「森を通して神様の似姿を見る」という言葉とともに、語るその人自身ではなく、語るその人が指し示しているものを見ることが大事だということを共有してくれた。現在の私たちは、森や奥田と直接交わりを持つことはできない。ただ、彼らが残した言葉を通してキリストに出会うことはできる。彼らがキリストと豊かな交わりを持っていたように、我々もまたキリストに直接アクセスできる道があるということがどれだけ大きな恵みであるかを思わされる。中村さんがメッセージの後半にヨハネの福音書の「まことのぶどうの木」の箇所を引用していたが、まさに私たち一人一人は、キリストにつながる枝なのである。共助会の先達たち、そして時空を超えてキリストを信じる全ての人が、キリストにつながる枝である。さらにわたしたちがキリストにつながっているだけでなく、キリストもまた私たちとつながってくださっている。だから私たちはキリストを通して、互いにつながることができる。もし、私たちがキリストにつながっているが、キリストはわたしたちにつながっていないような一方向的な関係であったならば、私たちは互いに連なることがなかったであろう。もしそうだとしたら、キリスト教は広がりのない自己中心な信仰にきっと陥っていたに違いない。キリストが私たちとつながってくださっているから、キリストが私たちを愛してくださっているから、私たち同士もまた互いに愛し合うことができるのだ。「主にある友情」という言葉とともに、共助会がどうかこれからもキリストを中心につながる愛の群れであることを切に願う。
(日本ホーリネス教団 木場深川キリスト教会員)
【分団C報告】辻光一
分団Ⅰは自己紹介のための時間として使われた。共助会とわりを持つようになった経緯のほか、最近考えていることや気づいたことなどが、限られた時間のなかで自由に共有された。同日夜の分団Ⅱでは、一日目の講演内容をはじめとする様々な話題をめぐって、活発な話しあいが行われた。ちょうど講演者である安積先生が参加していたグループだったこともあり、最初に一人の参加者から、講演の中では先生が学生時代に大きな衝撃を受けたという出会いがいくつも回想されていたが、それに比べると自分の一生はそういう特別な経験を欠いた平凡で空疎なものに感じてしまうという趣旨の感想が伝えられた。これに対する先生の応答は、自分の何かがその前後で決定的に変化したと言えるような区分点となっている出来事がどんな生涯にも必ずあるのだと断言した上で、ただしそれは、今回の講演を引き受ける前の自分がそうであったように、自らの内面を深く吟味しなければ絶対に見えないのだということを強調するものであった。また、重要なのは他人と比較することではなく、今の自分が抱えている苦しみをその普遍的な根底に至るまで掘り下げていくことであり、森 明もそうした内省を徹底していたのではないかとも語られた。
ここまでは講演者との対話的なやりとりであったが、分団Ⅱの後半は、森 明の伝道が当時帝大の学生に対象を絞っていたことの意味について問われたことをきっかけに、より社会的な論点が広く議論されていく流れとなる。問いに対する回答では、森 明の伝道方針は国家の背骨となるようなエリートに福音の種を撒くことで日本に固有の役割を果たしたいという願いを反映したものであり、そこには戦後世代が反射的に警戒してしまう国家主義とは違った仕方で「国のために」という意識が働いていたのだと説明された。その上で、現代に生きる自分自身はどのような国家観を持っているのかという問いが提起され、そこで必然的に直面すべき問題として天皇制とそれにまつわる政治的な諸問題が、議論の集中するテーマとなっていく。ある参加者の紹介するところでは、奥田成孝は戦後間もない説教のなかで、天皇の前に仮に洗礼者として呼び出されたとしても、牧師として恐れずに立つことのできる者がどれだけいるだろうかと森 明が呟いていたことを述懐し、あの時代にそのような問いを持っていたことを評価しているという(『辿る』123【注】)。その意味で、国家に対する奥田の厳しい自立した姿勢には、一番の権威をどこに置くかということへの鋭い問題意識が森 明から継承されているのではないかという意見であった。また、現代まで続く問題の根深さを伝える語りとしては、権力とそれに基づく秩序を不可侵のものとする「お上意識」という形で天皇制は日本人の心性に今なお深く浸透しているのではないかと指摘した上で、内面にはキリスト者の信仰を持ちながらも日本人としてはそれと背反する姿を見せるような分裂、内的な二元論ともいうべき現実に、国旗掲揚をめぐる学校現場での格闘のなかで実際に対峙してきた経験を語られていたのが印象に残っている。他には、内村の不敬事件に関する解釈や、権力に潰されないためには二元論を方法的に用いることも許されるのではという問いなどをめぐって議論が紛糾する場面も見られたが、いずれにせよ現代の我々にも等しく問われているのは聖書の神を本当に唯一絶対の神とする姿勢を貫くことができるかという一点であること、それを徹底するときのみ天皇制を含むこの世のいっさいを相対化する自由で柔軟な人格を生きうるのだということ、大体そのような認識を共有して、分団Ⅱは閉じられた。
3日目の朝に持たれた分団Ⅲは、修養会を終えるにあたって改めて共有したいことを各人が単発的に話していく形で進められた。自己紹介の延長的な語りが多かったため要約して伝えることは難しいが、そのうち一人の方が中国で長年過ごしてきた経験から、南京や方ほうまさ正の人々に日本人が刻みつけてきた重い痛みの記憶を現地の人の言葉で紹介されるのを聞いたときは、「日の丸」掲揚という前日の分団でも言及された問題がどのような地平から見つめられるべきなのか、改めて教えられる思いがした。報告としては分団Ⅱに大きく偏るものになってしまったが、ここに紹介できなかった発言にも、筆者にとって他人事ではないと感じさせられる内容は少なくなかった。その場限りの関心事に終わらせることなく、今後自分の生き方を通して応答しなければならない問いとして、修養会で話されたことを記憶していきたい。(京都大学大学院生)
【注】『奥田成孝先生共助誌掲載記事選集「一筋の道」を辿る