修養会感想:荒井洋子、岡崎公子、海野日向子、光永 豊

荒井洋子

まず今回の修養会が準備委員会の皆様の英断により開催され、無事に終了出来ましたことに感謝いたします。

今年のテーマ「キリストに在る友情に生きた2人の先達に想いを馳せる」を基にお2人のご講演をお聞きしました。

1日目、安積力也さんの「森 明のまなざし」―自分の立脚地―のお話は心に深く響くものがありました。ご自分が辿られた人生を深く掘り下げて見つめ、ごまかしや取り繕いをせずに真実の言葉で語ってくださいました。また、森 明を含めてICU時代に出会った4人の先達の真理が今の自分の糧になっている

とのこと。聖書や他の書物だけでなく人との出会いがいかに大切なことかとつくづく実感しました。

2日目、片柳榮一さんが奥田成孝先生の森 明との出会いをめぐり『一筋の道』を中心に話されました。京都共助会から北白川教会設立への道すじが少し解かりました。また、私には良く理解出来ていませんが、奥田先生が森 明から学んだこと「神の前に立つ『個』たらん為に、共に助け、支え合う」という言葉が心に残りました。これは〝主にある友情〟ということでしょうか。キリストに真実に生きることの難しさを感じながらも主に愛されていることに感謝しながら生きています。

江村さん、命の源である大地を共に守りましょう。中村さん、まことのぶどうの木に繋がり、信じましょう。ありがとうございました。

(日本基督教団 松本東教会)

信仰への熱意 岡﨑 公子

真摯な求道者の集まりである共助会の皆さまに会える! 

とコロナにめげず参加しました。期待にたがわないこの熱っぽさ! 年寄りのグータラした日常を吹き飛ばしてくれました。

川田先生、安積さん、下山田さん、小野さん、湯田さん、藤さん、飯島さん、はじめ多くの方にお会いできたことは飛び上がりたいほどの喜びでした。新たな友もできました。濱田さんが林さんと結婚されて信州に住んでおられることが、やっと私の中で繋がってこれも大きな喜びです。

分団での井川善也さんの、死を迎える時の自分の立ち位置と信仰についての発言も、終活時期の私に深く残りました。

国際基督教大学の西洋古典の教授であった神田盾夫先生の

言っていらした、enthusiasm を直に感じた修養会でしたenthusiasm を辞書でみると、「(燃えるような)感激、熱中」とあります。聖書学者でもあった神田先生は信仰にはenthusiasm が必要だ、といっておられました。先生ご夫妻のenthusiasmがあって発足したぺディラヴィウム会の職員として私は40年近く働いていました。

海野日向子

不思議な時間でした。奥田成孝のことも森 明のことも知らない自分が2人についての講演を聞いてただ思ったのは彼らは確かに自分と同じ神を信じているのだということでした。彼らの言葉を通して神へ抱く信仰というのはひとりの人の人生を照らし出して人間の心をどこまでも透明にして、そして神は小さな小さな存在の私にも信仰をお与えくださったのだと思った。私はその尊さから目を逸らさずに生きたいと思いました。こんな願いを持てたのはまっすぐな言葉を他者に向けてまっすぐに伝えてくださる人々と祈ることができるからだと思います。考えたい、と言い続けてきた神という存在をちっぽけな心で感じることができた。何にも代え難いものをいただいた。その恵みと私の言葉をともにしてくださった皆様に感謝でいっぱいです。

(エモリー大学大学院生)

信ずるところ 光永 豊

共助会とはどのような交わりなのか。何を求めて交わりに入っているのか。その思いを新たにされた修養会でした。人間が人間を語ることを通して抱く、畏れのような姿。涙を流す友の真剣な姿に触れ、分厚い心の壁が揺さぶられるようでした。

私は意志薄弱です。誰かの敷いてくれたレールに依存するほか無かった私には、自分で自分の殻を破って外に出る力などありません。まして、その程度の生ぬるい力では共助会の先達に遠く及ばず、誰かの期待に応えることもできません。しかし私には、私なりに通らされた、主から与えられた道があります。どんなに他者依存であろうと、どんなに軽かろうと、甘かろうと、ここまで歩んだ道のりを、恵まれすぎてしまった今を、リセットすることはできません。

この私に向けられている、主の望みはどこにあるのか。例え先達に及ばなくとも、先達が出会ったキリストに出会うことを望みながら生かされています。今を生かされているのは先達ではなく、友と私。キリストは今も、友情を注ぎ続けてくださっているでしょうか。気付けば、いつでも自分の殻に閉じこもれる私だから、せめて今この瞬間の交わりを諦めず、辞めることなく生かされたいと願います。キリストが用意してくださった、厳しさと優しさのある主に召し出された群れの中で、内側から押し出される愛に出会いたい、そこに信を置きたいと願います。

祈って確かめ合える友でいたいと願います。

(日本ホーリネス教団 井土ヶ谷キリスト教会員・東京神学大学職員)