ひろば

「傷みに触れて」   光永 豊

早天礼拝 1 

昨年3月の韓日修練会で、私は生まれて初めて海外へ足を運びました。戦争時代に日本人が韓国の人々に悪いことをした。小学校の先生に教えられてはいたものの、韓国の地に入るまで痛みを肌で感じることがありませんでした。日本に住む私が平穏に暮らしている隣の国で、私から遠くないように錯覚してしまう若者たちが軍服を着る姿。国から課された義務を負う姿を見た時、日本の侵略戦争によって今も続く分断の痛みを見る思いがしました。同時に痛みを見た時、私の内で葛藤も生まれました。私の内に「日人」というアイデンティティが見えなかったからです。それまでも「日本人」という立場を問われた時、幾度となく戸惑いがありました。自分が「日本」という国に属している自覚を、無理やり植え付けなければならない強迫観念がありました。国境を意識することなく生活し、私が如何に平穏な日々を享受し続けてきたか。平和ボケの温室育ち。私にとっての国籍は、私が平穏な日々を生きるための、使い捨ての制度であったかも知れません。もしも日本に戦争が起こっても私は国を守りたいとは思いません。自分の所有物をごっそり抱えて、如何にして逃れるかを真っ先に考えるでしょう。あの震災の時もテレビで流れる津波の映像を前にして、真っ先に自分の部屋を気にしてしまった私です。人の命よりも私の平穏が最優先、それが私です。私は子供の頃、自分は誰よりも優れ、自分こそがすべての人間に勝る特別な存在で、国や世界はいつか自分の手に収まるものだと思っていました。すべての国家が消え去り、ひとつになれば争いはなくなる。

自分が何者にも支配されたくなかったから、自ら支配する側へ逃れたいと本気で考えていました。私が周囲より劣った人間で、人を巻き込む器用さもなくてよかったと思います。裏切ることのできない出会いに恵まれてよかったと思います。もしも私の内に他者が存在せず、自分の思考を思い通りに実現できる富や力があったら、今頃私は何をしていたか分かりません。

いきなり極端な話をしました。和解の道筋を探していく上で、私の立ち位置を避けては通れないと思ったので、あえて語りました。自分がどこに置かれ、立たされているかを受け止められなければ、私に与えられた和解の責任を受け止めることができないからです。与えられ放題に権利を与えられ、何の遠慮もなく受け取ってきた私なら尚更です。もしも信仰がなければ、私は和解という言葉と向き合うことすらできませんでした。何故ならキリストは、私が担いきれないものを十字架で背負われたからです。キリストは私がしたことでないから背負えないとは一言も放たず、十字架の苦しみを黙って背負われた。その命を投げ出して。私はこういう話を子供の頃から当たり前のように聞き、刷り込まれてきました。よくよく考えれば恐ろしいことです。本当にキリストに従うことを願うのか。命を投げ出す覚悟なんてできるのか。命を投げ出すことなど、私には不可能です。自己犠牲なんて反吐が出る、なぜ自分を犠牲にしなければならないのか。私は何としても、私が築いたこの城を守り抜く。まだ築き足りない、明け渡したくない。一方で自分が担いきれないものを背負われていながら、もう一方では自分の領域を死守する矛盾。それは私が抱えている、コントロールのできない恐れの姿です。

私は自ら痛みを引き負った経験がありません。痛みがあっても、痛みとして受け取ることを拒んでいました。痛みを受け取れないから、それを自らのプライド、欲望、願望達成の道具にすり替えてきました。痛みを背負う想いが生まれなければ、どれだけ他者の痛みを見ても、聞いても、心には届きません。少しでも快適なところに身を置きたい。生まれながらにそれが許される環境に置かれた人なら、誰しもそう思うのではないでしょうか。私が感じた痛みは、無意識に他者へ転嫁してきたかも知れません。私は置かれたところを十分に受け止めきれていないのではないか。自らが担いきれない重荷を誰かに押し付け、他者を悪者に仕立てる生き方が、他者が背負う痛みを遠く彼方へと追いやりました。私は、そんな私自身をどうしたらよいのか分かりません。自分の手に握りしめるものが多いほど、捨てることに反発を抱きます。私は今も抑えることのできない衝動を、心の奥底で飼い続けています。

他者の痛みに寄り添う顔をしながら、権力を振るいたくなる自分が息を潜めています。怒りや憎しみ、痛みに寄り添う心を、自らの欲望のために取り込みたくなります。「日本人」という庶民と一緒にされたくない。「日本人」である私を受け入れられない私が最も恐れていたのは、私が何ら特別な者ではない、凡人であることを受け入れることでした。

私はキリストに従って生きることを願う者です。キリストは私が負いきれなかったものを私に代わって背負われた存在です。キリストに倣う道は、私がどこに属しているか、自分の立場がなんであるか、自分が直接したことであるかないかに関係なく、今置かれたところと向き合う中にあります。私がどこに置かれ、立たされているのか、私が何者であるのかという問いは、キリストが生きる姿を通して私に示されています。キリストに従って歩める自信など、どこにもありません。痛みを受け入れ、自らの身に引き負った分しか、和解の片鱗を語ることはできないのかも知れません。和解はキリストの業です。私はキリストに身を置いてしまった者です。痛みを遠ざけようとする私に、痛みを共に見つめる友が与えられています。私の人はもはや、私の所有物ではなくなりました。私に与えられた出会いが、どれだけの奇跡、喜びのうちにあるか。痛みを恐れず、押し出されるほどの願いは、私に与えられるのでしょうか。それは苦しみで終わるのか、まだ見ぬ喜びとなるのか。神の選びを私の欲望へと、すり替えてしまわないように。これ以上、私に無いものは語れません。これが今の私に語ることのできる言葉の限界です。

分断と対立の深まる時代、見捨てられた人々の声が大きくなる時代。これが今私たちの置かれている時代かも知れません。心の葛藤から目を背けず、もしもほんの少しの痛みをみんなで分かち合っていたら、世界は今のようにならなかったかも知れません。同時に私たちが欠けだらけの人間である以上、成るべくして成ってしまったのかも知れません。しかし今がどんな時であろうと、私たちは共に、ここに置かれています。私はキリストにある和解を、友と共に見つめたいと願います。押し流される時を待ち望み、じっとここに立ち続ける。キリストのうちにあって、私の和解は道半ばです。(日本基督教団 橋本教会員 東京神学大学職員)