秋の日の出会い ― 二人の先達に学ぶ 堀澤 六郎

久しぶりに京阪神の修養会に参加できました。『暗がりの中で……』と暗く重い主題を抱え、しかも出発前に、家族が病気になり、北白川教会に遅れて到着した時はすでに日はとっぷりと暮れ真っ暗でした。開会礼拝が始まっていましたが、皆さんの温かく明るい雰囲気の中に迎えられ、いつもの後ろの席は空いていないために、やむを得ずに一番前の席に座らされました。しかし、そのためにしっかりと聞くことができました。森有正とシュナイダーの2人の先達に片柳さんと下村さんの紹介で出会うことができました。

森有正は再会、そしてシュナイダーは新たな出会いでした。 森有正の著作は学生時代から、少しずつ読んできました。しかし十分に理解し適切に受け止められているか、はなはだ心もとなかったものでしたが、久しぶりに片柳さんからきっかけを与えられ、修養会から帰った後に全集の13巻、14巻の日記を中心に読み返してみました。一日一日を生きることの中で誠実に感覚を研ぎ澄まし、真摯に受け止めた経験から、本当の自己を定義していく日々の思索の苦闘にあらためて感銘を受けました。森有正の立ち位置は日本とフランスのはざまで問いかけられた課題でしたが、日記の中で森有正は自己の闇の部分もしっかりと正直に見つめていることが示唆されました。

シュナイダーは今回、下村さんから紹介していただき初めて出会うことができました。腸閉塞という体の病、うつ病という心の病を抱えながら、その苦悩の中に大切なことが秘められていることを生涯、十字架につけられたままの裸のキリストを見つめつつ生き抜かれました。私が転職して医師を志した背景には、長い間、病の中で学び、思索された恩師のM先生から受け継いだことがありました。病める人のかたわらで、明るい将来のあるエリートの道には見えないことがあることを自分も学び、共有したいという思いでした。その原点が想い起こされ、新たな出会いなのに何か初めてではないなつかしさを感じました。『苦悩への畏敬』、『生きられた言葉』、『ラス・カサス』を読むことが促されています。

二人の先達が生き抜いたそれぞれの時代で、その暗がりに二人が真摯に向き合っている姿から、今この時の私たちの時代の暗がりにも思いを馳せることができました。そして示されたことは私自身の闇です。その闇の中に、ひとすじの光がさし込み、目の前が少し明るくなりました。そしてそこを一歩、歩むように示されました。

  (日本基督教団 名古屋中央教会員)