闇に光を  鈴木 幸江

かつて、基督教共助会信仰修養会は共助会員にとって「神様の前の閲兵式」と呼ばれていたそうです。

共助会の信仰修養会に参加するようになった頃、その言葉を先輩共助会員から時折、耳にいたしました。その時の私は「閲兵式」という言葉に違和感を覚えていました。戦後生まれの私は戦争の悲惨さや苦労話をよく聞かされ、戦争は二度としてはいけない、戦争に関わる兵士を肯定してはいけないと思っていました。ましてや、信仰修養会の例えとして兵士がでてくるのは何故だろう、という思いでした。時が経つにつれてこの言葉を聞くことはなくなりました。

今、新型コロナウイルス感染が世界中に拡大し深刻な状況となっています。昨年の今頃、修養会委員たちは来年の夏はオリンピックのため都内、近郊の宿泊施設は予約出来ず、どうしたらよいか、悩んでいました。そのオリンピックが延期となり、今年、信州小諸に予約したホテルでの修養会もコロナウイルス感染予防のため断念いたしました。また、多くの教会が感染予防のため礼拝に集うことが出来なくなりました。神様の前に共に集い御名を讃美し、御言葉を頂き、祈り、語り合う信仰生活の基が、絶たれてしまいました。そして、リモート礼拝等、様々な対策に苦慮して歩んでいます。

そのような中で「神様の前の閲兵式」とは主に出会い、主の御言葉の訓練を受ける時、この世の闇の中で、また自分の内にある闇と戦うために、兵士という言葉は、戦争を体験した当時の共助会員にとって、真剣な命懸けの戦いを意味していたのだ、ということに気づかされました。又、共に戦う主に在る友との交わりの時がいかに大切であったか。

先日、テレビでホームレスの方々の支援に尽力されている北九州市、日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の奥田知とも志し牧師が「コロナ禍に読む聖書」という題で「今、大切なことはコロナという夜の闇の中で夜明けを待つのではなく、闇の中に光を捜し求め、その光を灯すことです。」と力強く語りかけてくださいました。

創立101年目の基督教共助会の歩みはこの闇から始まりました。

今年の夏期信仰修養会は、ここ5年間、共助会に入会された方々の主に在る歩みに、耳を傾ける時として準備してまいりました。『共助』誌という共助会の諸先輩たちが篤く語り続けてきた福音伝道誌をとおして、この誌を手にされた皆様が今年の夏期信仰修養会の参加者です。

 「闇に光を」、神様の命のみ言葉、希望の光を共に求め、灯して歩んでいきましょう。(カンバーランド長老キリスト教会 泉教会員)