巻頭言

生ける神に立ち帰る 木村 葉子

苗代の泥足運ぶ絵踏みかな 子規

「踏み絵」の俳句の季語は春。徳川時代、切支丹摘発の「絵踏み」は毎年正月過ぎに行われた。キリスト教弾圧の歴史は秀吉の追放令から敗戦まで357年間と長い。私の住んだ川越や浜松の博物館でも江戸中期の切支丹禁制の高札があり、ばてれん(司祭)の密告者に銀500枚等と読み心が痛んだ。幕府はキリスト教徒根絶を寺請け制度の政策で徹底した。明治政府もキリスト教排除を続け、民心統治のため、記紀神話による国家神道の新興宗教を作り、明治憲法に天皇の神聖不可侵を記し政教一致の要とした。天皇は天照大神と800万の神々歴代天皇霊を祀る神事を行う大祭司・現人神となり、天皇皇室は神道、仏教、諸宗教を超えた。政府は国家神道に儒教を混合した。また神人両具の現人神、国民のために幸を祈る天皇は、キリストを彷彿とさせる。この天皇崇敬・道徳を学校教育等により広め国民に富国強兵、滅私奉公を課した。戦後の象徴天皇も、現憲法に定めた国事行為(公事)と共に神事(私事)を行い天皇霊を祀られる神的存在に変りはない。「日の丸」は太陽神・天照大神の象徴、「君が代」は天皇讃歌である。私が天皇制の陰湿な力を経験したのは、03年石原都知事が都公立学校での国旗国歌実施を迫り違反教員には厳罰を処すとの通達による。

04年私の勤務校でも卒業式に私服警官や都庁職員が監視に来て、私を含め国歌不起立で8教員、都内で教員200名以上が処罰された。都に呼び出され物々しい監視と騒然とした中で聴取、犯罪者の様に取り扱われた。経済的処罰、思想変更を迫る再発防止研修、異動や監視や不当な停職が続く悪夢の日々。現在まで毎年処罰者は続き、1000名を超え、不当撤回裁判も100に達した。しかし都立学校は上意下達の沈黙と過労の場にされ精神の自由は奪われた。最大の被害者は生徒である。

安倍政権の悪政が酷過ぎ、憲法遵守、「国民に寄り添い喜ぶものと共に喜び泣くものと共に泣く」という現天皇に安堵と役割を期待する声が増している。しかし、天皇制は聖書的には偶像宗教である。偶像は支配と隷属を生み真実を求めさせず霊肉と社会、国を荒廃に導いてきた。それは「日本的キリスト教」へと誘惑る。泥足とは何かと問われている。

 「わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は」(イザヤ書45章21節)

 「わたしは生きている、と主は言われる」(イザヤ書49章18節)

[参考 日本史教科書の中のファンタジー・岡田明著]