いと高きところに栄光、地に平和 石田真一郎

〈はじめに〉

クリスマスおめでとうございます。

2022年の日本と世界は、明るい話題に満ちていたとは言えません。2020年に日本にも上陸した新型コロナウイルス感染症は、第七波が収まりかけていますが、完全には消えないでしょう。With corona の覚悟が必要です。2月末には、ロシアのプーチン大統領による悲しむべきウクライナ侵攻が始まり、今も続いています。7月には、安倍晋三元首相の銃撃殺害事件が起こり、その後、旧統一教会と安倍氏、自民党議員、野党議員との癒着が次々明らかになり、私たちを驚かせています。その中で私たちは、これまで通り聖書に耳を傾けます。そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。(ルカ福音書2章1~3節)

プーチン大統領が戦局の劣勢化を見て、国内の予備兵力をも招集すると決め、動揺や反発が起こっているようです。それでも招集される人々も多いようで、権力者の力を見せつけられる思いです。アウグストゥスも同じような権力を持っていたのでしょう。その指令に従わざるを得ず、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで100キロ以上も旅したのがヨセフとマリアの若くて貧しい夫婦でした。神様は、いと小さき者に特に目を留め、愛してくださいます。アウグストゥスが世界を支配しているように見えても、実は真の神様が、アウグストゥスの命を含む、一切を手中に握っておられます。

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(同4~7節)

イエス様一家には、居場所がありませんでした。イエス様の生涯全体が、そうでした。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(同9章58節)。イエス様はこのような境遇の中にいる人々を、特に心にかけ愛してくださいます。

〈池袋〉

私は知人に誘われて、数年前から時々、池袋のホームレスの方々にお弁当と聖書メッセージを届ける奉仕に参加しています。無名のグループと言えます。アメリカ人、シンガポール人の宣教師を中心に始まり、いくつかの教会のメンバーが集まって毎週木曜日の夜に行っています。毎回お弁当を作るプロが一人おられます。池袋駅周辺2~3か所で聖句のプリントを渡して短いメッセージを語って、お弁当を配ります。私も時々ショートメッセージを語らせていただきます。このような働きに対しては批判もあると思います。ホームレスの方々の依存心を強めるだけだ、という批判です。それでも私は貴重な働きだと思いますし、毎週参加する方々を尊敬します。お弁当を受け取る方は少ない時で20名くらい、多い時で60名くらいです。

私はここで、色々な方と出会いました。まず日本人のホームレスの方々に奉仕・伝道するシンガポールやアメリカの宣教師さんです。生活も質素で、損得関係なく奉仕されるので、頭が下がります。その知人の多くの外国の方々も参加されました。韓国人、アメリカ人、カナダ人、中国系オーストラリア人、ブラジル人、ロシア人、ドイツ人。この中には、日本が植民地にするなど、太平洋戦争等で多くの被害を及ぼしてしまった国々があります。敵にした国々が多いのです。その方々が今、日本に来て池袋のホームレスの方々に奉仕してくださっている。戦後77年を経て世代交代が進んでいるとは言え、イエス様が言われる「敵を愛しなさい」(マタイ福音書5章44節)を実践しておられるように思えます。

ある日本人クリスチャンの奉仕者は、東日本大震災の津波(福島県)でご家族を失った方でした。それなのに明るく奉仕されていました(今は他県在住)。奉仕者自身がホームレス(クリスチャン)の方の場合(あるいは以前そうだった場合)もあります。コロナ禍の中でも誇りをもって奉仕しておられました。社会は単純ではないと感じます。

池袋という大都会で路上生活する方々が少なくありません。日中は駅等の建物の中におられ、夜中に駅が閉まると外に出ます。ビルの間でしのいだり、公園で段ボールの中で眠られます。春や秋はまだよいですが、梅雨の時期、猛暑の夏、台風の日夜、寒い12~2月は厳しい。毎週お弁当を受け取り、空き缶集めの仕事で、僅かな収入を得ていた方が体調を崩して入院し、今は行方が分かりません。元気で毎週奉仕していたホームレスの男性70歳くらい?)が足等を痛めて暫く入院し、今は来ておられません。この方は、長年、建築現場で働いて来られたそうです。

「属した会社は、下請けの下請け。働けなくなれば、クビになるだけ。自分たちは使い捨て」と言っておられました。私たちの生活は、このような方々に支えられて来たのだ、と感じます。

この中で私は、他の方々(多くは宣教師や牧師でない)が聖書メッセージを語るのを聞き、教えられて来ました。自分とは違う聖書の読み取りを聞き、新しい気づきを与えられ、日曜日の礼拝説教に生かすこともあります。この働きから、ホームレスの方々がクリスチャンになるかは分かりませんが、イエス様が共に働いておられると信じています。無名のグループのささやかな働きですが、5年以上続いていると思います。人は入れ替わっていますが、継続されていることに頭が下がります。

〈十字架こそ神の愛のしるし〉

さて、次の場面には羊飼いたちが登場します。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」

(ルカ福音書2章8節)。彼らもホームレスに近い生活をしていたようです。動物を中心とする生活は厳しいと思います。現代でも、家畜を飼っておられるので、礼拝の日曜日もまず家畜の様子を見に行き、必要なら世話もするので、どうしても礼拝に遅れがちになるという方に出会ったことがあります。人々が尊重しなかった羊飼いたちを、神様が顧みてくださいました。「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである』」(9~12節)。

この赤ちゃんが「神のしるし」とは、やはり驚くべきことです。この世では、強く大きい者が幅をきかせます。神の民イスラエルの人々も、「神のしるし」と言えば、大きな奇跡を連想したでしょう。ところが、この赤ちゃんが「神のしるし」。神は、いと小さき者の味方です。次の御言葉を連想します。「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(コリントの信徒への手紙一1章18~25節)。

イエス様は、栄光の天におられたのに、私たち罪つみびと人を愛し、罪と死の奴隷状態から救い出すために、この危険な地上に敢えて降って来て、マリアから無防備な赤ちゃんとして生まれ、成長後は人々を愛して病人を癒し、群衆をパンと魚で養い、弟子たちの汚れた足を洗い、ついには私たち皆の全部の罪の責任を身代わりに背負って十字架で死なれ、三日目に復活されました。私たちもへりくだって、イエス様に従って歩むように招かれています。それは真の神様を礼拝し、この世で小さくされた方々(大変失礼な言い方ですが。無論、私もその一人)と共に歩むことだと思います。「互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい」(ローマの信徒への手紙12章16節)。

最もすばらしいのは、イエス・キリストの十字架の愛です。私と妻に34年前に洗礼を授けてくださった牧師が、今年七月に天に召されました。その方は、当時礼拝で、ご自分に洗礼を授けられた牧師(つまり、私の恩師の恩師)のことを語られました。その牧師は受難節には、首からひもで釘をぶら下げて生活し、祈り礼拝し、伝道されたそうです。首から十字架を下げている人は珍しくないでしょう。ですが、首から釘を下げている方に、私は会ったことがありません。その方はきっと、イエス様の十字架の愛を、少しでも深く実感したくて、そうされたのだと思います。イエス様が私たちのためにどんなに痛みに耐えてくださったかを、理屈や観念でなく、強く実感しようとされたのでしょう。迫力ある伝道者魂です。ご病気をお持ちで、比較的早く天に召されたと伺いました。限られた時間で、精一杯伝道されたとのことです。礼拝でその方のことを語られる時、私ども夫婦に洗礼を授けてくださった牧師も、目頭を熱くしておられるようでした。イエス・キリストの十字架の愛! 私たちクリスチャンの原点です。

〈広島〉

ルカによる福音書のクリスマスの場面に戻ります。「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』」(ルカ福音書2章13~14節)。

「地に平和」が来るように、特にウクライナに平和が回復されるように、切に祈ります。ミャンマーにも、平和と正義が回復されますように! イエス様は、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ福音書5章9節)と言われ、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(同26章52節)と言われたのですから。私の母親は広島県三原市の出身です。私が子どもの頃は、私と弟によく戦争の話をしました。夜、空襲警報が鳴り、その度に防空壕に逃げ込んだ話です。本人は原爆を体験していないのですが、原爆のこともよく話しました。母の伯父(私の祖父の兄)は、広島の原爆で亡くなっています。私は子ども心に、「戦争は絶対だめ。原爆も絶対だめ」の思いが植えつけられました。

今年の8月に約5年ぶりに広島市に行き、平和資料館を見学しました(3回目。長崎を含め5回目)。平和公園の碑の文字「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」を改めて読み、近くの原爆ドームに立ちました。まさにここに原爆が投下され、想像を絶する惨状になったことに思いを致しました。母の伯父もこの辺りで被爆したのかと思いました。即死ではなく、数日間は救護活動を行ったらしいのですが、暫くして亡くなったそうです。9月に会った高校時代の友人の祖父も広島で被爆され、「桃を食べたい」と言いながら亡くなったそうです。友人は「アメリカに(国として)、いつか原爆のことを謝ってほしい」と言いました。現状では難しいでしょう。核兵器廃絶が遅々として進まない現実に、怒りを覚えます。日本人でさえ、8月以外は核兵器廃絶を本気で願う人が減っていないかと心配になります(そうでない方が多いのを知っていますが)。私も56歳になった今、人任せにせず、自分にできることはするつもりです。プーチン大統領が核兵器の使用をちらつかせるのは、許せません。私は教会の礼拝や祈祷会で、彼が間違っても核兵器を使用せず、早く大統領を辞めるように祈りました。

8月28日(日)は、妻と広島市の教会の礼拝に出席しました。原爆で破壊された会堂の焼け焦げた木材で作った、素朴な十字架を掲げた青空礼拝で、戦後の礼拝を再開したそうです。その後再建し、被爆50年の1995年から改めてその焼け焦げた十字架を礼拝堂内に掲げ、さらに建て直した現在の礼拝堂でも、黒焦げた十字架を仰いで礼拝が献げられていました。原爆の苦難を忘れないためです。イエス様の十字架の愛に感謝し、核兵器が一つもない平和な世界を築く決意を感じます。実に印象深い十字架です。近くにカトリックの世界平和記念聖堂(自らも被爆

したドイツ人のフーゴ・ラッサール神父の発案で、世界中の平和を願う人々の寄付で建てられた)もありますが、今回は行けませんでした。

妻が気候気象学の研究者なので、爆心地から南約3.7㎞の江波山気象館(旧広島地方気象台)にも行きました。爆風の直撃で曲がった窓枠、飛び散った窓ガラスの破片が食い込んだ壁が保存されています。気象台員が当日の様子を、「空中で突然『火の玉』が爆発し、大量のマグネシウムをたいたように、まぶしく『ピカーッ』と光った。(~)火の玉から広がった炎は広島市をおおい、やがて、入道雲のような白い雲が立ち上った。さらに、街の火災によって、積乱雲が発達し、激しい雨が降った」と調査報告書に記しています(ホームページによる)。今後、世界のどこでも核兵器が決して使われないように、強く祈り訴える必要があります。爆心地から近い広島城の敷地内に、日清戦争の時の大本営跡がありました。日本の軍国主義のしるしですから、見て複雑な気持ちになります。日本自身が、平和国家であり続けねばなりません。憲法第9条を守って!

〈忍耐強く平和を〉

私の属する教会が、8月末に日本基督教団の『信徒の友』誌の「日毎の糧」欄で祈られる日になり、各地から祈りのはがきをいただきました。その中に大分県の小野一郎先生という、お名前のみ存じ上げているご高齢の牧師がおられます。9月8日(木)に、その小野先生の投書が朝日新聞の「声」欄に載りました。自民党の副総裁が「ドンパチ」「きな臭い」という言葉を使って講演した記事を受けて、「1937年7月、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きたとき、私は10歳。学校の先生が『ドンパチ』と言い、子どもたちでこの言葉が流行した記憶がある」。身内が戦死なさった悲しみを味わわれ、現在の日本を取り巻く情勢に恐怖を感じるが、「副総裁には軽々しく『ドンパチ』などと言って欲しくなかった。軍備で国を守り、強大にしたい誘惑とその考えを捨てられない人間の歴史は数千年続いている。

『ドンパチ』『きな臭い』を排除し、苦しくても平和を守り、平和を作り出すためにも、英知の結集が大事だ」と書いておられます。小野先生に、祈りのはがきのお礼のカードを書き、投書に励まされた旨記したところ、さらにお返事をいただき感激しました。

十字架はイエス様の愛のシンボル、真の平和のシンボルです。タテは神様と私たち人間の間の平和、ヨコは全ての国と地域の人間同士の平和。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」一生、このように祈って参りましょう。アーメン。     

(日本基督教団 東久留米教会牧師)