カルト化する世界にあって 根田祥一

2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースは世界を驚かせた。NATO加盟をめざすウクライナに対し、ロシアは国境付近に軍を集結させて軍事演習をした。多くの軍事・外交の専門家はそれをウクライナへの牽制と捉え、軍事侵攻まではしないと見ていたが、その常識を破る暴挙に出たのだ。プーチン大統領は明らかな戦争行為を「軍事技術的措置」と言い換え、「ロシア軍は民間人を攻撃しない」と公言しながら、実際には病院や学校、駅、住宅などを含む無差別爆撃を繰り返し、市民の大量虐殺の疑いも報じられる。だが、ロシア国内の報道・言論は厳しく規制され、ロシア国民の世論はプーチン大統領支持が多数と伝えられる。

ウクライナ侵攻に見るカルト性

この状況に、いわゆる破壊的カルトと同種の危険を感じたのは私だけだろうか。嘘でも確信をもった態度で何度も言い続け

れば事実だと信じる人々がいるとか、情報を規制しプロパガンダによってマインドコントロールすることで批判者を敵視するよう仕向けるとか、自らが認める価値観だけが「真理」でありそれに反するものはすべて「虚偽」として切り捨てるなど、今ロシア/ウクライナで起きていることは、これまで40年余り取材してきたカルト宗教の特徴と付合する。

破壊的カルトの例としては、オウム真理教事件が理解しやすいだろう。「グル・尊師」麻原彰晃は国家権力がオウムを攻撃しようとしていると仮想敵をつくって内部の危機感を煽り、自衛策として教団の武装化や過激なテロを先鋭化させていった。地下鉄サリン事件の実行犯らは、逮捕勾留された後にマインドコントロールが解けて悔悟する者と、マインドコントロールされ続けて最期まで尊師に忠誠を誓う者とに分かれた。

近年、韓国や中国から流入して来る「キリスト教異端」とされるカルト団体の多くも、教祖が絶対的・独裁的な力をふるって異論を許さず、疑惑を追及する言論を「フェイクニュース!」「陰謀だ」と決めつける。批判者を徹底的に敵視して内部のメンバーに「敵」だと思わせ、教祖への忠誠へと誘導して反社会的な行為や攻撃さえ使命遂行のために正当化するなどの特徴が共通する。それらの多くが、マインドコントロールによって教祖を「再臨のメシア」と信じさせる団体であることは示唆的だ。「再臨のメシア」とは、キリストが世界の王として再臨するという信仰を利用するもので、メンバーにとっては世界中がそのメシアに従うようになることを希求する強烈な「使命感」をもたらす。

じつは筆者自身が今、そのような「再臨のメシア」を密かに信じさせる韓国系カルトの一つから、名誉毀損で損害賠償を求める民事訴訟を起こされている。プーチン氏の言動がその韓国系カルトから私への攻撃の手法とあまりにも似ていることが、現実の世界情勢がカルト化へ向かっているのではないかという感覚を呼び覚ましたことは否めない。そのカルト団体はメンバーらに、教祖を秘密裏に「再臨のキリスト」と信じさせているが、そのことは対外的にはおくびにも出さない。イエスが十字架で処刑されたために達成できなかった「神の国」実現の使命を、再臨のキリストである教祖が達成する、その時までは迫害を受け妨害されないため絶対秘密にしなければならない、と内部では教えている。メンバーらは地上に「神の国」を実現するために無休で働き、アルバイトで得たわずかな収入も大半を献金し、足りないと言われればカードローンを組んで100万円単位で上納するような生活に追われる。

世界各国のメディアがこのカルト団体の実態解明に向けて報道し、ブログなどで真相を究明してきた牧師・信徒らもいるが、団体はそれらの批判者やメディア関係者を次々と民事・刑事裁判に訴えてきた。疑惑は事実無根だというなら、彼らは関連メディアを持っているのだから事実をもって反論記事を書けばいい。だが、客観的に反論できる証拠があるはずもなく、反撃する記事は「根田氏が異端捏造の黒幕であることが判明」とか「(韓国メディア)×××××× の責任者は(北朝鮮の)主体思想信奉者」など、疑惑及記事の信憑性を貶めようとする個人攻撃の作り話に終止している。これも「市民への攻撃はウクライナが捏造したフェイクニュースだ」「ロシア系住民をウクライナのネオナチの攻撃から解放する戦い」などの苦しい強弁と相通じるものがある。だが、荒唐無稽な陰謀論のようなものであっても操られて信じてしまう人たちが、専制国家のみならず民主社会にもキリスト教界にもいる。情報を自分の目と頭でファクトチェックし峻別するメディアリテラシーが問われている。

世界支配をめざす擬似「救世主」

プーチン氏と「再臨のメシア」に共通するものは何か。それは壮大なファンタジーに基づく「救世主」自認だ。プーチン氏は自分をロシア帝国を復興した皇帝の姿に重ね、「大ロシア主義」を志向しているといわれる。軍事力で隣国を屈服させ強引に領土を拡大するという前時代的な手法に驚きを禁じ得ないが、旧ソ連時代には一体だったウクライナがロシアから離れてNATO(西側)の一員になることが容認できなかったと見られている。ウクライナとロシアは一体だと主張する彼の発想には、栄えあるロシア帝国のもとに統合しロシア化することを「善」と見る世界観がうかがえる。これは「再臨のキリスト」を自認するカルト指導者が、「神の国」を実現して自分が世界を統合し支配することを夢見る壮大な虚構に似ている。

世界のメディアは、今回の戦争を専制主義と民主主義との戦いと捉える傾向が強い。だが果たしてそうだろうか。「カルト化」の観点から見れば、米国のトランプ政治もまた、非常にカルト性の強い社会現象だった。「アメリカファースト!」というアジテーションに民衆が熱狂し、自らの主張にそぐわない報道には「フェイクニュース!」と一刀両断に罵声を浴びせる。それでは対話も議論も成り立たない。ただトランプ支持か、反トランプかという二者択一の分断しかない。白か黒か、善か悪かと単純化する二元論は、カルトの特徴の一つである。二元論は必ず「敵」をつくり、それと敵対することで扇情的に熱気を煽り、求心力を生み出そうとする。自陣営が絶対善なので、崇高な目的のために嘘も正当化する。この手法を繰り返したトランプ前大統領は政権末期、大統領選挙の票が盗まれたとデマを撒き散らし、群衆を焚きつけて連邦議会議事堂への暴徒乱入という未曾有の事件を引き起こした。その光景はまさに「破壊的カルト」そのものだ。

連邦議会への抗議デモの中には、現実のカルトリーダーである文鮮明(ムンソンミョン)の七男・文亨進(ムンヒョンジン)氏の姿もあった。彼の率いる統一協会の分派「世界平和統一聖殿(サンクチュアリ協会)」は、ライフル銃を携えて集会に参加する異様な光景から別名「ガン・チャーチ」とも言われる。文亨進氏は頭にライフルの弾を連ねて作った王冠をかぶり(つまり「王」だ!)、「世界平和」のために聖戦を呼びかける。彼は「トランプ大統領のために死ぬ覚悟はできている」と公言して憚らない。

この他にも、トランプ氏は昨年9月、統一協会(世界平和統一家庭連合)関係の大会でゲストとしてスピーチしたり、カルト性が問題視されている新使徒運動の「預言者」ポーラ・ホワイト牧師を大統領特別顧問に迎えたり、ホワイトハウスでの聖書研究会や祈祷会に新使徒運動の中心人物を招いて「預言」の言葉を受けたりもしている(ウィリアム・ウッド『新使徒運動はなぜ危

険か』)。民主主義の牙城であるはずのアメリカ合衆国の中枢が、一時期カルト集団の本拠地のような様相を呈したのだ。トランプ氏がリモートでスピーチしたイベントでは、日本の安倍晋三元首相も、文鮮明の妻で後継の「再臨主」を自称する韓鶴子(ハンハクジャ)総裁を称賛するスピーチをしたことを付記しておく。安倍氏をはじめこの国の保守政治家たちが統一協会と深く結びついてきたことは既知の事実である。

歴史で繰り返されてきたカルト化

ここで指摘しておきたいのは、荒唐無稽なファンタジーが現実の政治を動かしてきたという点で、世界のカルト化現象は今に始まったことではないということだ。「大ロシア主義」は、かつて大日本帝国が掲げた「大東亜共栄圏」のファンタジーとも呼応することに気づかされる。大東亜共栄圏が天皇を「現人神」「世界の王」とするカルト的な虚構に基づいていたことは示唆的である。大日本帝国が軍事力でアジア各地を侵略し、独善的な正義を振りかざしてアジア諸国に皇民化を押し付け、多くの命を奪い多大な犠牲を強いた姿は現在のウクライナの現状とも重なる。天皇を「世界の王」と見るようなファンタジーは、擬似的な救世主(聖書の表現では「偽キリスト」)信仰だ。共産主義革命の英雄であろうが、「現人神」を担ぐ国粋主義者であろうが、専制政治の大統領であろうが、カルト宗教の教祖であろうが、その動因は「支配」への欲求に他ならない。とすれば世界のカルト化は、いわゆるカルト宗教や専制国家だけにとどまらず、人類が繰り返し陥ってきた「罪」の問題ということになる。神から世界を管理するよう委ねられた人間が、それに満足できず神に代わって世界を支配しようとした、という意味の罪性である。

ウクライナ市民が「21世紀にこんなことが起こるなんて!」と嘆く姿がテレビで報じられたが、人間が本来的にもっている罪の性質である支配欲(自己中心性)が、専制政治、原理主義、テロリズム、極右勢力の躍進など、さまざまな破壊的カルトの様態で噴き出しているのが現在の状況ではないだろうか。

闇に輝く光

ロシアもウクライナも正教会が多数派の国である。正教が最も重んじる復活祭には、プーチン大統領はロシア正教会で、ゼレンスキー大統領はウクライナ正教会で礼拝する姿が報じられた。だが両大統領が同じ神に祈りをささげたその日も、戦火が止むことはなかった。教会が民族宗教と化したとき、イエスを主とするよりも時の権力と結びつき、世の光としての役割を果

たし得ないことは歴史が証明している。「プーチンの戦争」を持したロシア正教会は、旧ソ連政府の代弁者でもあった。

それと好対照なのが、ロシア福音同盟の総主事が3月に、自国によるウクライナ侵攻を謝罪する書簡をウクライナと世界に向けて発信したことだ。同月、旧ソ連時代に迫害された地下教会=バプテストの指導者たちも連名で、プーチン大統領に公開書簡を出した。「戦争を今すぐやめて、交渉の席に着くべきだ」と。その中にはロシアをはじめ、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、ジョジア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、アルメニア、アゼルバイジャンの教会代表が名前を連ねている。ロシアとウクライナは戦争中。ベラルーシはロシアに味方している。モルドバはウクライナ難民を支援しているが国境地帯ではロシアから攻撃の脅威にさらされている。ジョージアはかつて民族紛争で内戦になった際にロシアの軍事介入を招いた。中央アジアの「○○スタン」諸国ではソ連崩壊後にイスラム民族主義が高まり、少数派のキリスト教徒たちは冷戦後も圧迫を受けてきた。そんな違いを超えて、彼らはキリストにあって一致し、命を最優先するワンボイスを出したのだ。

今のロシアで、大統領を批判して戦争に反対すれば弾圧されるような中で出されたこれらの書簡は、権力に忖度することなく、弱者を尊重し正義と公正を守るようにと教えたイエスに倣うメッセージを発信している。民族や立場の違いから生じる「隔ての壁である敵意」を打ち壊す、キリストの平和(エフェソ2・14)に生きる人々が戦火のただ中にも存在するのだ。この光は社会の中では小さなものかもしれないが、確かに世に輝いている。1世紀に少数キリスト者がローマ社会の一隅を照らした福音の灯が、世界を変革していった。自らを神格化したローマ皇帝による迫害を耐え抜き、3〜4世紀に疫病が大流行した中で、死の恐怖に怯える病者やその家族を隣人となって支えたキリスト者たちの証しは、やがて力による平和(パックス・ロマーナ)の支配を覆すに至った。

21世紀の今、自らを絶対化するカルト的リーダーたちの暴挙に対して、どうしたら「キリストの平和」を実現することができるだろうか。

(クリスチャン新聞顧問、異端・カルト110番編集顧問)