第8回韓日基督教共助会修練会特集

感想(韓国側)

裵貞烈(べ チョンヨル)「修練会の準備に関わって」

8回目の韓日キリスト教共助会の修練会が韓南大学で開催されましたことを嬉しく思います。韓南大学はアメリカ人宣教師たちによって、韓国戦争が終わったその次の年に創立されました。創立以来、現在までキリスト教の雰囲気を維持していますし、全教職員はクリスチャンです。

私は昨年の3月に、共助会の会員となりました。当時入会式を行ったその場所で1年ぶりに第8回韓日キリスト教共助会修練会が開催されましたことを光栄と思います。私の共助会の韓日修練会の参加は3回目で、第6回の済州道の時と第7回目のソウル香隣教会での時、通訳で参加しています。そして、2012年頃と思っていますが、日本で開催された夏の修養会の参加が初めてです。日本の共助会の皆様との交流は私の信仰生活の中で忘れることのできない大事な思い出となっています。

皆様の深い信仰心、日常の生活態度、聖書についての学習熱、その上、共助会の歴史を知ることによって韓国と日本の歴史の歩みの上に、キリスト教関係者たちの深い友情と協力があったことを知り深く感動し、共助会に入会を申し込みました。

第8回韓日共助会修練会の準備過程についての報告です。飯島委員長からの修練会のスケジュールなどの連絡をいただき、発題、質疑応答者を学外の専門家にお願いをしよう思っていましたが、郭カク 魯ロ悦ヨルさんと高鉄雄(ゴウチョルウン)さんと3人で2、3回の相談をして、できるだけ学内関係者にお願いすることになりました。礼拝の説教から、発題、質疑応答、讃美歌の伴奏など皆さんが快く引き受けてくれました。そして、修練会の場所と食堂も学内で解決し、宿所だけは大学近くのキリスト教関連の施設に頼む

ことになりました。すべてのことが頼まれることを待っていたかのように、一人一人が快く引き受けてくれました。神様の導きに感動しながら準備することができました。驚きです。

特に郭さんと高さんが所属しているゲーテ宣教会(韓南大学で一生を献身なさったアメリカ人宣教師を記念したお祈りの集い)の会員の皆様の協力に深く感謝します。そして、初日の夕食会には日語日文学科の教員たちとの愉快な出会いが、二日目の夕食会ではゲーテ宣教会の会員と案内役の学生3人との有意義な触れ合いがありました。多くの韓南大学の構成員との付き合いができましたことも神様のお恵みで、とても嬉しいことです。

大学内での修練会の後は、天安の独立記念館に寄り、ソウルに着いてからは、西大門(ソデムン)刑務所、南山(ナムヤン)の安重根(アンジュングン)記念館、植民地時代の歴史館など、近代の暗かった時代の歴史学習をかねた見学でした。皆様方の熱心な学習意欲に驚きました。

皆様が韓南大学を離れた後、ある牧師さんが、皆さんと一緒に水曜日の朝の教職員礼拝を守られたことで、礼拝の雰囲気と品格が上がったと、また来てくださる機会があればと懐かしがっていました。また、二日間皆さんが昼食をとった食堂の関係者は皆さんの食事マナーを褒めてくれました。たったの三日間でしたが皆さんの薫香がキャンパスのあっちこっちに残っていることに感謝しています。

第8回の韓日キリスト教共助会修練会を終えて、今まで韓日の友情のために和解のために尽力してくださった共助会の先輩たちに感謝を覚えます。

70、80年代の憂鬱な時代に、韓国の民主化のため、キリスト教的先進社会の建設のため、献身なさってくださった先輩たちのおかげさまで今日の共助会があること、神様に感謝します。クリスチャンとしての韓日間の真の和解を乗り越えて、真の友情と神による真の兄弟愛のため、お祈りします。

姜裕彬(カン ユビン)「思いやりと平等を学びました。」

修練会に参加された日本の方々に、わが韓南大学と大田(テジョン)市の名所を紹介するために参加しました。案内をしながら感じた点についてお話します。

3月19 日、〈キリストの中で韓日間の真の和解〉というセミナーに参加しました。セミナーの雰囲気は静かで厳粛でした。セミナーの雰囲気に圧倒されてとても緊張しました。昼食後、案内のために初めて会って挨拶を交わした時は、セミナーの雰囲気とは違って穏やかさと安らかさを感じました。自己紹介をしてから、日本語で案内をしなければならないためとても緊張しました。率直に緊張していると言いました。

紹介の後、4組に分かれて移動しました。移動中に校舎や十字架、そして校訓が刻まれた象徴物などを紹介しました。バスで市内まで移動しましたが、大変混雑していました。心配になって「ご不便はないですか」と伺うと、「東京はこれよりずっと複雑です」と和ませてくださいました。

近現代史博物館を見学しましたが、過去の建築様式や文様などが不思議でした。博物館の見学後、カフェに移動中にカフェ周辺の街路樹の種類を知りたいとおっしゃって、Eメールで知らせてほしいと、一人の方が名刺をくださいました。日本人の名刺を受け取ったのは初めてでした。お名前と電話番号、そしてメールアドレスだけのさっぱりとした名刺でした。韓国では名刺をやり取りする文化はほとんどなくなったのに、日本はまだアナログ文化が残っていると感じました。お茶を飲んだ後、大田(テジョン)の代表たる伝統市場である中央市場を案内しました。私が案内した方の中のお一人が〈朝鮮ニンジン〉の購入を希望しました。最初に「ニンジン」とおっしゃったのでニンジンかと思ったのですが、検索してみたら「高麗人参」でした。私の日本語の語彙力不足を感じるとともに、韓国では〝高麗〟人参なのに、なぜ日本では〝朝鮮〟人参なのかが気になりました。市場のあちこちを全部探してみましたが、高麗人参の店がなかったので、商人の方に伺って見つけました。市場の入り口の薬屋で売っていました。市場見学を終えて夕食の場所に移動しました。

夕食の場所では全部で4つのテーブルでしたが、私の席は韓南大学の先生たちと年配の方々とご一緒でしたので、会話に参加できず静かに座ってばかりいました。そのとき、右側に座っていらした日本人女性の方が、京都の銀閣寺近くの哲学の道について話してくださいました。 哲学の道は季節ごとの美しさが

あるところで、日本に来たらぜひ立ち寄ってみるように勧めてくださいました。

食事が終わる頃、自己紹介の時間がありました。今日一日を気楽に一緒に過ごせたことに感謝しますとお伝えしました。国籍、言語、年齢、学歴、所属など多くが異なりますが、配慮してくださり、平等に接してくださる姿が記憶に残ります。私自身の足りないところを知ることができる時間でしたし、おかげさまでたくさん成長できた日でもありました。またお会いできることを心から願っております。

呉受珉(オ スミン)「とても緊張しましたけれども幸せで楽しかったです。」

韓南大学日語日文学科2年生吳受珉です。私が3月19日に韓日共助会修練会に参加することができたきっかけは、同じ学科の姜裕彬(カンユビン)さんのお勧めでした。最初は日本人留学生たちを案内するものだと思っていましたが、修練会の当日に直接行ってみたら留学生ではなく、日本のすごい方が20人以上もいらっ

しゃって本当に驚きました。正直に言って、私は初対面の人たちとすぐに仲良くなれない本当に小心者です。留学生でもすごく緊張したと思いますが、日本のすごい方がいらっしゃってとても緊張していました。

しかし、私は小学生の頃から日本が好きで、小さい頃から日本語に興味がありました。それで大学に進学して日本語を集中的に学んで、日本人たちと一日中、話をしてみたいという夢と目標ができました。それで今回の機会にぜひ参加してみたかったのです。

そのように自分で覚悟をしましたが、みんな集まった席で日本語で自己紹介をするとき、すごく緊張しました。そして日本人の方とバスに乗って目的地まで道案内をする時や、大田の伝統市場に行って市場にある品物を紹介したり、日本人の方が私に知りたいことなどについて日本語で質問されたとき、このようにお話をするのが正しいのか、日本語一つ一つを話すときに間違った単語はないかと心配になりました。しかしながら、日本人の方々がよく聞き取ってくださり、私のことについてもたくさん知りたいと思ってくださったようで、私に対する質問もたくさんしてくださって本当に嬉しかったです。私も自分が日本人の方々と直接会話ができるという事実と、会話に憚りがあまりないということに自分自身も驚いたりもしました。しかし、伝統市場の品物について日本語でうまく説明できなかったので申し訳なかったし、市場にある品物もたくさん勉強しなければならないと思いました。市場案内の中で、修練会の翌日に日本人の方々がソウルに行かなければならないのに、汽車の切符の予約方法について知らないとおっしゃったので、私が直接予約をしてあげたら、とてもありがたいと本当に喜んでくださいました。

市場を見学した後、皆で夕食の席に集まったとき、案内したチームだけでなく名誉教授と牧師先生のようなすごい方々がたくさんいらっしゃって、私がこんなところにいても良いのか本当に信じられませんでした。そのすごい方々の前で自己紹介をするとき、最初にした自己紹介のときよりも、もっと緊張をしたあまり言葉が滑り恥ずかしかったです。しかしこんなことも経験だと思って次は緊張しないように自分に対してもっと努力すべきだと約束した契機になりました。

夕食を食べながらも私個人についてのことや韓国の文化についてたくさん質問されましたが、日本語で直接話すこと自体が私は本当に楽しくて幸せだという感じを受けました。下手な日本語でしたが、こんな私にもたくさん質問をしてくださって、別れるときも私がたくさん役に立ったと感謝の挨拶をしてくださった日本人の方々、そしてこんな経験と機会を導いてくださった裵貞烈(ペチョンヨル)先生に感謝のお言葉を申し上げます。

尹美晶(ユン ミジョン)「私たちは愛の帯で一つになりました。」

昨年末、韓南大学教会におけるタイへの宣教準備で忙しかったある日です。私は〈韓南大学の冬休みのスタディー〉というプログラム進行も同時に受け持っていたので、チーム員たちと指導教授との連結のために日語日文学科の裵貞烈先生に連絡を致しました。会議の直後、先生は3月中に日本からクリスチャ

ンたちが韓南大学を訪問する予定なので、一緒に迎えることができるかを尋ねられました。先生は時折言及されましたし、研究室の机の上に冊子の形でいつもあった「コンジョフェ(共助会)」、その名前が親しみをもって近づきました。神道と仏教が根強く定着した日本だからかも知れませんが、信仰を守っていらっしゃるクリスチャンがとても貴重に感じられました。そんな方々と交流できるという期待をもって、3月が来るのを待っていました。

冬休みをタイ宣教と日本旅行で充実して過ごし、3月に新学期が始まりました。学期の初め忙しい時間が終わったら、もう中旬が過ぎました。校内に共助会修練会の垂れ幕が掲示されたのを見て、最初は信じられませんでした。いよいよ私も修練会にご一緒に参加することになったのです。

修練会は「キリストの中での韓日間の真の和解」というテーマで2泊3日間行われました。まず大田市内ツアーの日程をご紹介しますと、大田(テジョン)近現代史展示館(旧忠清南道庁-チュンチョンナムド-)→ 大興洞(テフンドン)聖堂→中央市場→泰華荘(テファジャン)です。二日目から参加した学生たちは先生がくださった役目を抱いて会員たちを大田市内に案内しました。円滑な進行のためにチームを分けましたが、結局一つのバスにびっしり乗車することになり微笑みました。姉と二人きりで日本に行ったときもここまで緊張しなかったですが、今日会った人たちがあまりにも大切な気がしてドキドキワクワクしました。しかし、バスの中で楽しい談笑が行き交うのをみると緊張が和らぎました。その日一日中、天気が晴れて歩きやすかったです。本格的に始まった大田近代文化探訪の中で、共助会の会員の方々は場所が持っている歴史、建物の姿、模様が持つ意味などをもれなく観察して刻み込もうと致しました。また、並木道にそびえ立つ木プラタナスをご覧になって、その名を知りつつ、そこからみえる「強さ」について感じたことを話してくださった方もいました。私はこれらを平凡なことと思っていましたが、慎重に考察するお姿を拝見しながら、人生の姿勢を学ぶことができました。泰華荘(テファジャン)でゲーテ宣教会の先生たちもいらっしゃいました。

テーブルごとに順番に自己紹介をしていたところ、生徒たちには一発芸を許してくれました。私はどうせなら私が一番好きなJ・POPを歌って上げたくて、それは井上陽水の「夢の中へ」を熱唱しました。1973年にリリースされたこの曲は、未来を悩みながら忙しく生きていく人々の心に安らぎをプレゼントします。歌った後になってようやく恥ずかしさが訪れましたが、多くの方々が私の年のときにたくさん聞いた歌だと共感し、喜んでくださってとても嬉しかったです。井上陽水は、韓国でいうと趙容弼(チョヨンピル)さんだそうです。それを不思議に思っていたとき、委員長が「少年時代」という曲をお勧めくださり、感想を聞かせてほしいとメールアドレスが書かれた名刺を渡してくださいました。このように音楽でもって国籍と世代がつながり生きてきたお話やキリスト教徒の人生について交わすことができ、とても幸せな一日でした。しかし、私の役割がこれで終わるような感じがして、心の片隅には依然として残念な気持ちが残ったりもしました。しかしながら、そのとき何があったのでしょうか。本当にありがたいことに、翌日、裵ベ 先生の連絡を頂き、授業を終えた直後に駆けつけて閉会礼拝を一緒に守ることができました。それまでには日程を合わせるのが難しくて、開会礼拝や発題および応答時間に参加できなくて残念に思っていましたが、最後に一緒に礼拝を献げ、交流することができて本当に良かったです。実は日本語で礼拝をするのが初めてだったし、日本語を学んだ期間が長くなくてほとんど理解することが難しかったのですが、言語の限界を超えてキリストのなかで一つになって、私も共助会に強い連帯感を持つようになりました。移動する前にメンサ・クリスティー(学食)で最後の食事をし、国民(クッミン)銀行(オジョンコル支店)で両替を手伝った後、手を振って別れの挨拶をしました。

いよいよすべての活動が終わって数日後、じっくり考えてみました。以下は、私がこの長い文章を書きたかった理由になると思います。 日本は、韓国の戦犯国として、戦争による豊かさと全盛期を享受し、韓国に取り返しのつかない傷を負わせました。そのような子孫である日本の人々を厚かましいと思い、韓国は無残に支配されたので彼らを死ぬほど嫌うのが正当だと思い、結局そのような問題による互いの嫌悪によって韓日の真の友好は難しいと断定していたときがありました。しかし、昨年、尹鶴子(ユンハクジャ田内千鶴子)さんの一生を綴った本『真珠の涙』を読んだとき、私はとめどもなく泣きました。日本国籍として、裕福な環境で生まれ育った夫人は、名前と生活様式を韓国人のように変えるほど韓国を愛していました。また、解放後、日本人女性であることが逆に弱点となり、韓国人に迫害されましたが、木浦(モッポ)の孤児たちをあまりにも愛し、日本を離れて韓国に戻ってこられました。夫の尹致昊(ユンチホ)先生が戦争中に行方不明になった後も、一人で共生園のために最善を尽くし、一生を過ごしました。

こんな真心のこもった先生の姿をみて、私のなかにあった「日本には誰一人も韓国に謝罪する気がないだろう」という偏見が完全に破られました。両国を愛する夫人に似た皆さんにお会いできたということは、主の導きです。神様の愛が小さな一人を通して多くの人を救うことを感じます。

最後に、私は今回の共助会修練会を通じて、韓日友好関係のためにもっと影響力を及ぼす人になりたいと決心するようになりました。もちろん、この分野のために努力している夫人の息子ユンギ牧師、修練会を共にした先生方、共助会の会員の皆様……。皆様が真摯な心をもって行うそのような美しさは私が望んでいる姿です。私が今後どのような姿で韓日をつなぐ橋になっていくでしょうか。とても期待したいところです。この気持ちが変わらず、友情でもって宣教を行い、和解を図り、手を組んで進んでいく日韓になるように祈ります。長文を読んでくださり、心より感謝申し上げます。お元気でいてください。神様のお名前でもって愛しております。

黄雲(ファン ウン)「参加した思い出」

大田韓南大学で教養日本語を講義している黄雲と申します。

日本語教育史を専攻しており、主に近代韓国における日本語教育の意義と様相が 時代的背景によって変化する様子を見ています。

母がクリスチャンであったため、生まれた時から教会に通っていましたが、自分がクリスチャンという感覚はあまりありませんでした。しかし、日本留学中、言語知識を活用し、様々な活動を展開した近代知識人(聖書を韓国語に翻訳したジョン・ロス宣教師 やイ・スジョン牧師など)について調べているうちに、聖書を勉強したいと思いました。それで韓国に帰国した後、一生懸命に聖書を勉強し、2022年には洗礼も受けました。最近仕事が忙しいという言い訳で教会に出席することはできませんが、自分のために祈ってくださる方々がたくさんいらっしゃいまして、いつも心強いです。

2024年3月18日、韓南大学の裵貞烈(ペチョンヨル)先生のご招待で、「韓日基督敎共助会修練会」の食事会に参加しました。場所は、同春堂(トンチュンダン)公園の敷地に位置している食堂でした。同春

堂公園は、大田市大徳区松村洞にある公園で、公園内には朝鮮時代の学者、 宋浚吉(ソンジュンギル)先生の別堂が残っています。その別堂の名が宋浚吉(ソンジュンギル)先生の号であった同春堂(いつも春のようにという意

味)であることから同春堂公園と名付けたそうです。現在は保存価値の高い建物として、1963年1月21日、大韓民国の宝物第209号に指定されており、多くの市民が訪れる観光スポットとなっています。

このように歴史的にも意味深い場所で、暖かい方々と食事しながら話し合うことができ、とても有益な時間でした。またお会いできる日を楽しみにしています。

朴文式(パク ムンシク)「友情と和解に関する私の思い」

私は日本語を学んだことはありますが、話すことはできません。もしその時に、日本に旅行に行ったら、今はどうなったでしょうか。おそらく今とは状況が大きく変わった可能性があります。その時は海外旅行はとても難しかったからです。

友情をもって和解を実践していらっしゃる皆さんの韓国訪問を歓迎します。私もいくつかの友情を分かちあうための集まりに参加していますが、大人になってからはなかなか友情の集まりができません。その理由をこの世の中の世態のせいにしたいのですが、私自身にも問題はあるようです。

そんな時に皆さんが来てくださり、新しい友情が生まれることを期待しています。韓国と日本とのことを考える時はなかなかうち解けない宿題のようなものがあり、胸が塞がるような時が多いです。それらの解決策を和解というのでしょう。現在は国家的に法律を通じて、これらの解決を試みようとしていますが、大きな困難に直面しているようです。キリスト教を含む宗教でも難しいことは同じです。法律と宗教の世界は和解のために努力をしていますが、現実はむしろ難しくなることばかりを私たちは経験しています。

ところが皆さんを通して、それが人と人の間で小さくても少しずつ実践になっていることに希望と感謝を感じます。

今日はまさに一本の木を植えるときのように、その希望を確認しているようです。 簡単に私の思いを伝えました。

愈天星(ユ チョンソン)「修練会に参加して」

昨年3月、日本基督教共助会関係者3人がゲーテ宣教会の水曜日の朝、祈祷会と教職員礼拝を共にして、そのとき初めて日本の共助会について知ることになった。今年、韓南大学で韓日キリスト教共助会の修練会を開くとして裵貞烈(ペチョンヨル)先生がゲーテ宣教会に参加と協力を要請した。私たちゲーテ宣教会も大学の福音化のために新しい変化を模索する中、一緒に参加することに大きな意義があると考えて参加することにした。実にありがたいことだった。

私個人も日本留学をしながら感じた点だが、日本でキリスト教徒は本当に貴重な存在であり、福音伝道のために重要な役割をしている方々だということをよく知っていた。私にとって今回の修練会は私自身の過去と現在の信仰を振り返る良い機会だった。日本キリスト教共助会の多様に構成された会員たちと彼らの多様な活動を通じて、私個人の信仰の成長のための意義深い機会だった。老若男女を問わず多様な背景を持つ人々が集まり、各自の話を交わしながら考えを共有することができ、より感動的だった。今度の日本共助会は私に多くのことを教えてくれた。単に日本のキリスト教徒たちに会って交流する活動を越えて、信仰的により深まる経験ができたし、新しい友達とも深い交際を交わすことができた。特にお互いの考えを分かち合いながら彼らの信仰をより深く理解することができた。何よりも神様のみ恵みにより親しくなることができた大切な時間だったし、これから私の信仰生活にも大きく役に立つだろう。韓日キリスト教共助会の修練会がさらに成長し、神様に栄光を捧げる健康な集まりとして持続していくことを期待している。キリスト教信仰に基づいた韓日両国の交流と理解のために、このような機会が持続することを心から願う。そして韓日キリスト教共助会修練会は神様の志を叶えるための旅程にきっと貴重な経験になるだろう。今後も元気な姿で会えることを願っている。神様の恩恵と祝福が日本基督教共助会とゲーテ宣教会会員の皆さまに共にあることを祈る。

郭魯悦(カクロヨル)「キリスト教徒としての醸し出す聖徒の香りに感激しました。」

2024年3月18日~20日に開かれた第8回韓日キリスト教共助会修練会を終えた次の週、大田は白い木蓮の花が満開し、純潔で純白の花が噴き出す香りに取り囲まれました。しかし、修練会のために我が大学にいらっしゃった日本共助会のクリスチャンたちの聖徒方々の美しい姿と、クリスチャンとして醸し出す聖徒の香りとは比べ物になりませんでした。日本の共助会の会員の皆様が韓国にいらっしゃって、韓国の聖徒たちとキリストの中で友情を分かち合ったり、キリスト教徒としての模範を共助会の会員の皆様が見せてくださって、私には感激かつ感謝する時間でした。

日本共助会会員たちと食事を共に会話を交わしたこと、 そして食後にも自分たちのことについてより深く紹介したこと、最終日に修練会を終えて会員間で懇談会を交わすときの真剣さ、かつ聖霊の中において率直にお話を交わすこと、 自分たちの先祖の過ちを明らかにして懺悔する姿などの時間を一緒にしながら、私は私自身のことを振り返ってみながら省察するようになりました。聖徒に対しての自分自身の皮相性と軽薄さを深く振り返ることになり、深く反省をしました。今後は私自身が日本の聖徒たちが私に見せてくださった姿のように、聖徒として付き合う時間が与えられたときに、交際の席に臨在される聖霊を頼りにして、謙遜かつ率直に開かれた心をもって、対話ができてクリスチャンとしての人生についてお互いに交わしあえるよう、力を尽くしたいと思っています。

今回の修練会において日本の聖徒と交際を交わしながら、23年前私が日本の大学で研究生として勉強していたとき、日本の青葉台教会で礼拝を守った際の牧師と聖徒たちとの交際時間が思い出され、そのときの感動が同じく押し寄せてきました。

飯島委員長牧師の高い人格と主の僕としての献身が心に刻まれました。今回の修練会での、コリント後書の言葉を通じて、和解を具体的にどのように実践するかに対する悟りを受けた修練会となり、頂いた貴重な悟りを人生の中で実践していきたいと思います。

特に、韓国韓南大学に在学中の学生たちが経験する最も大きな困難が何かについて総長に質問される共助会会員のお姿の中で、そして日本青年たちが体験する困難に対して同じように胸を痛めながら教育者として彼らの悩みに寄り添うお姿と、日本による植民地時代、韓国に住んでいたおじいさんとお父さんが当時韓国民に行ったことに対して涙で謝罪する会員のお姿を通じて、純粋な人生と信仰のお姿が大きな感動となりました。

今回の修練会のために責任を持って準備してくださった裵貞烈(べ チョンヨル)先生の献身と日本会員たちの韓国での最後の日程まで一緒にしてくださったご苦労に感謝し、高鉄雄(ゴウチョルウン)先生が発題および応答文のすべてを皆様が読めるように翻訳し冊子を作ったご苦労にも感謝します。

定期的に集まって一緒にお祈りし、一緒に韓日クリスチャンの友情を築いていく集いの大切さを痛感しただけに、これから与えられる出会いと神様が繰り広げてくださる私たちの未来についても期待することになります。私自身この部分を大切にして神様にお祈り致します。日本共助会の会員の皆様が私たちに与えてくださった友誼に応えられるように努めます。また会えるときまで、韓日共助会会員の皆様が主の中で強健で平安であることをお祈り致します。

(2024年4月13日記)

高鉄雄「主の中での友情を通じた感動と感謝の時間」

2024年3月18日(月)から20日(水)まで韓南大学において第8回韓日基督教共助会修練会[テーマ:キリストの中での韓日間の真なる和解]が行われました。15時から修練会行事がスタートするはずでしたが、予定より遅れて17時過ぎに開会礼拝がスタートしました。2時間も遅れていましたが、神様のお導きのおかげで、私はイライラすることなく平穏に皆様をお待ちすることができました。裵貞烈(ペチョンヨル)先生も「神様が何とかしてくださるでしょう」とのお言葉でもって落ち着きを与えてくださいました。先に韓国に着いていらした朴パク 大テ 信シン先生が早めに大学にいらして色々とお話を伺うことができたことも幸いでした。その後、日本の皆さまが空港からのバスから笑顔で降りていらしたため、初めてお会いしたにもかかわらず、それほど緊張せず接することができました。

潘信煥(パンシンファン)先生の説教による開会礼拝が始まりました。コリントの信徒への手紙第二5章18〜21節のお話をされたためびっくりしました。私の発題においてもその聖書の御言葉をお話しするつもりだったからであります。これも主の導きだろうと思いました。発題と応答は19日に繰り越しとなり、その後、大田の由緒あるお宅に移動して夕食会が行われました。ダットリタン(鶏肉の炒め煮)という辛くて熱いスープ料理であったにもかかわらず、日本からの皆様が美味しく召し上がる姿を拝見して安心しました。食後の自己紹介の時間は主の中での信仰の理解を深める上での貴重な時間でありました。初めて会う人々もいる中で、皆様が真摯に自己紹介や信仰のお話をされまして感動を覚えました。

翌日の朝早くから宣教館において発題と応答がありました。神様がお待ちされているため小高伝道所に行かれたお話、金大中元大統領のお話などをされた飯島信委員長の発題はとても感銘深かったです。郭魯烈(カクロヨル)先生は2冊の本からの教訓や使徒

言行録の御言葉から真摯な応答をされました。

私の小さな発題に対して、片柳榮一先生は個人的なご経験を紹介されながら、日韓の歴史上の文脈での位置づけないし対比というスケールの大きい応答をされました。その後の木村葉子先生の訴訟のお話も、前もって共助誌で読んではいましたが、実際先生のお声で直接聞くと心の奥により深く響きました。その後の夕食会では、韓国の他の先生方や日文科の学生たちも一緒に交わり、交流をより深めることができました。

最終日の閉会礼拝において石川光顕先生は日韓の歴史教材のご紹介をされ、ぜひ読んでみたいと思いました。その後の皆様の感想のお話を述べる時間もとても心に残りました。2泊3日間、神様に導かれて主の恵みを感じる貴重な時間でありました。

皆さま、ありがとうございました。また是非会いましょう。