発題 2)キリストの中での日韓間の真の和解 — あるキリスト法学者の経験を踏まえて 高鉄雄(ゴウ チョルウン 韓南大学法学部教授)
第8回目を迎える今回の韓日基督教共助会修練会で発表することができ、個人的に大変光栄です。私は韓南大学法学部で学生たちに仕えている高 鉄 雄です。韓国共助会の会員である裵貞烈(ペチョンヨル)先生が推薦してくださって、ありがたくも今日この場に立つことになりました。
今回の修練会のテーマは「キリストの中での日韓の間の真の和解」です。これと関連して私は日本に15年間住みながら思ったことをいくつかお話しさせて頂きたいと思います。今日の発表の内容の一部は前回の共助会雑誌に掲載された内容と重なる部分があり(共助2023年第5号)、基礎的な知識に関しまして日本の方は既にご存知の内容も多々ありますが、韓国の聴衆のためにご了承をお願い致します。
ある日本人先輩の謝罪と韓日関係に対する自覚
私は韓国で高校を終えて日本の大学に行くことになり、学生及び教授として日本に合わせて15年間住みました。法学者の父が韓国法を勉強するためには日本法を真面目に勉強しなければならないと推薦してもらって、学部の時から日本に留学しました。日本は毎年4月に学期が始まりますが、4月の一ヶ月間は新入生たちが受験勉強に苦労したのでお祝いの時間を持ちます(日本語では〝新歓期〟といいます)。寮・サークルなどでこんなイベントを行いました。2年生以上の先輩たちがサークル加入勧誘をしながら、1年生に食事をもてなしてくれます。私もいろいろなサークルを見て回り、先輩たちと食事をしたのですが、初めて会った2年生の先輩が食事の後、私に近づいてきて挨拶をしてから、突然ひざまずいて昔の日本が韓国を支配し、悪いことをした点について謝罪しました。楽しい時間に厳かな謝罪を受けた私は、先輩の突然の行動にとても驚いて先輩を起こし、「私には植民地時代に日本から直接被害に遭った家族がいないので、あえて私に謝罪する必要はありません」と言いました。振り返ってみると、その先輩がキリスト教徒かどうかを聞いておけばよかったと思うのですが、当時の私は信者ではなかったので、それは考えられませんでした。20代前半だった私にとっては、今まで教科書で学んだあるいはメディアでみた韓日関係の実際の問題を肌で感じることができた事件でした。
在日コリアン及びキリスト教に対する関心
このような思いは自然に在日コリアンに対する関心につながりました。今日本に住んでいる在日コリアンは、私のように本人の意志で日本にやってきた第1世代ではなく、上の世代が日本に来たことによって日本で生まれ育った人たちです。彼らが現在どんな考えをもって生きているのかが気になりました。それゆえ、在日コリアンに直接会って話を聞いてみたかったです。ちょうど私の住んでいた寮の近くに朝鮮大学校がありました。朝鮮総連系の同胞が運営する学校の中で、最高教育機関が朝鮮大学校です。在日コリアンとして日本社会で生活しながら感じることについて、朝鮮大学校の教授一人と学生二人をインタビューし、大学で発刊する留学生雑誌に寄稿しました。日本で生まれ育って日本人と変わらないが、帰化せずに今でも熱心にアイデンティティーを保っている姿をみて、「国籍とは何なのか」をより深く考えるようになりました。
大学院の修士課程のとき、ある在日コリアン牧師の氏名権関連訴訟を通じて在日コリアンが日本社会で暮らしながら経験する困難さの一断面を伺うことができました。NHK日本語発音訴訟(NHK日本語読み訴訟)と呼ばれる訴訟です。在日大韓基督教会1 小倉教会で牧師として仕えていた崔昌華(チォエチャンホア)牧師(元在日大韓基督教総会長)がNHKに出演することになりました。その際に崔牧師が本人の名前の発音をチォエ・チャンホア(Choe Changhwa)と呼んでほしいと言ったにもかかわらず、NHKが「サイ・ショウカ」と報道して問題になりました。
当事者が漢字の読み方を韓国の発音通りに報道してほしいと言ったにもかかわらず、当時の社会慣行だった日本式に発音して報道したからです。これに対し崔(チォエ)牧師が抗議および訂正を申請しましたが拒否されたため、人格権を侵害されたとしてNHKを相手に1975年に民事訴訟を提起しました。九州大学で国際法専攻で博士号まで取得された経歴もあってか、弁護士なしに本人訴訟を致しました。最高裁まで争って最終的に訴訟は負けましたが、名前の呼称に人格権があることが認められました。この訴訟が日本社会に広く知られ、在日コリアンの名前を日本式ではなく韓国の発音通りに報道する方向にマスコミが変わった点で大きな意味がありました。その他にも崔(チォエ)牧師は外国人の指紋押捺拒否など、在日コリアンの人権向上のために多くの努力をなさいました。私は崔(チォエ)牧師がいかなる信念を有していて、このように大変な過程を乗り越えることができたのか、その理由がとても気になりました。この点につき崔(チォエ)牧師は、「日本に住んでいる私たちは人間らしく生きるということが、必ず主の摂理によって導いてくださると信じています。それを信じて一歩一歩歩いていけたらいいですね」と説明されました。2
当時、まだ主を信じることができなかった私は、主の摂理が一体何なのか、このような難しい戦いに力をくださるということなのかよく理解できませんでした。こんなことを考えていたとき、ちょうど親しくしていた韓国人留学生兄弟が導いて(主がこの兄弟たちを使って)在日大韓基督教会所属の東京中央教会に足を運ぶことになりました。東京中央教会は今は立派な建物において礼拝を行っていますが、2007年当時は独自の礼拝堂がなく、早稲田大学近くの日本キリスト教会館内の会議室を借りて礼拝を行っていました。日曜日の朝早く、信徒たちが集まって力を合わせて会議室の机、椅子などを再配置し、マイクスピーカー、ドラムなど各種楽器を設置しました。礼拝の後は、これらすべてを整理して掃除し、再びきれいな会議室に戻しました。私はこの姿を見て衝撃を受けました。外国という慣れない環境で平日の間、各自一生懸命生活をして週末にゆっくり休むだけでも精一杯のはずなのに、主日にここまで教会のために汗を流しながら熱心に奉仕する力が一体どこから出てくるのか気になりました。教会に通って間もなく、その力はまさにキリストに向けた信実な心によって出てくるという事実を知りました。ありがたいことに、この教会で私は主を信じることになり、洗礼を受けることができました(林イム 泰テ鎬ホ担任牧師〈現ハヌルソマン教会担任〉)。在日大韓基督教会所属の一教会を建てることに日本基督教団が場所を配慮してくださり、さらに色々な方面で積極的に協力しているという事実も感動的でした。
東京大学で博士号を取得した後、立教大学に勤務する際には、柳赫秀(ユヒョクス) 横浜国立大学教授(現神奈川大学教授)や文京学院大学の金彦叔(キムオンスク)教授らと共に、在日本法律家協会を設立し、外国人人権等マイノリティに関する研究を行う機会がありました。国籍および在日コリアンの人権を研究されている学者および弁護士の方々と交流しながら、韓日間の関係をより良い関係にするために最前線で努力されている姿を垣間みることができました。
個人的な経験はこれくらいにして、より一般的な韓日間の和解及びキリスト者としての和解について話をさせて頂きます。
韓日民法上の和解に関する共通認識及び謝罪広告に関する認識の違い
私が専攻している韓国民法上の和解とは契約の一種として、「和解は当事者が相互譲歩して当事者間の紛争を終止するこを約定することによってその効力を生ずる」と規定します(731条)。日本の民法も内容はこれとほぼ同じです(695条)。韓日間の真の和解を考えるとき、両国の法がこうした前提を共有していることを認識することは非常に重要だと思われます。和解が成立するためには紛争が存在しなければならず、当事者の一方だけでなく互いに譲歩し、これを通じて紛争が終息しなければなりません。ここで私たちが注目すべき点は、相互譲歩が必要だということです。一方の努力だけで和解が実現することはできず、お互いが本人の主張ないし利益を譲歩し、手放す必要があります。韓国の立場からも被害者として主張ばかりするのではなく、譲歩して手放すべき部分を探さなければならないでしょう。この場合、一緒に考えなければならないのが韓国も加害者でありうるということです。韓日間の場合に限れば、日本が加害者で韓国が被害者という図式が成立しますが、韓国―ベトナムの場合は韓国もアメリカなどとともに加害者(側)に含まれるでしょう。ベトナム戦争で韓国の軍人が村の民間人に傷害を加え、家族を殺害したとして、ベトナム国籍の女性被害者が大韓民国を相手に損害賠償を求めた事案で、事件発生から55年が過ぎた去年、ソウル中央地方裁判所は加害者である韓国に3000万ウォンの損害賠償を命じました。3
近代国民国家が成立した以降、国籍を有しながら生きている私たち市民が国籍というくびきから逃れることは、現実的に非常に難しいのですが、韓日間の真の和解は、韓日間の政治・外交・司法的問題としてのみ捉えるのではなく、より広く民主・平和・愛といった人類愛的観点から捉えるべきでしょう。
一方、民法には「謝罪広告」という制度があります。謝罪広告とは、加害者が被害者の名誉を傷つけた場合、裁判所が加害者に強制的に謝罪をさせる手段として、具体的にはマスコミに謝罪広告を載せて、被害者の名誉を回復させる制度です。ただ、日韓の間では謝罪広告を眺める見方が異なります。1991年の憲法裁判所の決定により、謝罪広告を命令することは憲法上良心の自由に反するため、その後韓国で謝罪広告を命令することはできなくなりましたが4 、日本では逆に良心の自由に反しないとした1956年の最高裁の判決が維持されていますので5 、今もなお裁判所が謝罪広告を命令することができます。
キリスト教徒として韓日間の和解のために
法的な(世俗的な)和解は今まで申し上げた通りですが、キリスト教徒としての和解は紛争当事者間で新しい関係を設定することはもちろん、イエス様の十字架を眺めながら神様との関係をどのように設定するかについても深く考えるべきでしょう。コリントの信徒への手紙二5:18〜21は、下記のように述べています。
「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができた。」
本文では和解のための主体があくまでも主であり、決して人間ではないという点を強調します。人間はイエス・キリストを通じた神様の和解を受け入れるだけです。また、主は私たちキリスト教徒に和睦させる職分を与えたので、キリスト教徒としては加害者であれ被害者であれイエス・キリストを通じて世の中と和睦しなければなりません。私たちはこのような姿をすでにキリスト教徒の先輩たちを通じて確認できます。
和田 正牧師は、韓国を訪問されて韓国人に対して心から謝罪したとき、幼い頃に父親を暴行した日本軍に対して憎悪心を持っていたある韓国人牧師がむしろ日本人を憎んでいた自らの罪を許してくれと和田牧師に謝罪したという経験を告白されました6 。澤 正彦牧師(松岩ソンアム-教会協力牧師、小岩教会)は、日韓の往来が自由でない時代にも、キリストの贖罪使役(贖罪的求道)に参加され、キリストとともに隣国である韓国と和解の道を追求されました。その他にも、朝鮮初の日本人プロテスタント宣教師、乘松正康牧師(水原東信-スウォンドンシン-教会)、日本統治時代にひたすら朝鮮人の伝道に一生を捧げた宣教師、織田楢次牧師(福岡教会・京都教会)、朝鮮孤児の慈愛に満ちた父であった曾田嘉伊智(鎌倉保育病院長)、朝鮮山野を造林する事業に従事して朝鮮伝統の陶芸保存活動に一生をささげた浅川 巧(京城-キョンソン-教会教徒)、謝罪と和解の使役を一生担われながら昨年末召天された尾山令仁(東京聖書キリスト教会長)、今も謝罪と和解の使役を担っておられる吉田耕三牧師(ソウル日本人教会)など多くの宣教師の方々が韓日間の和解の架け橋になってくださいました7 。キリスト教徒として韓日間の和解の真の姿を生で実践して見せてくれた先駆者たちです。
韓国キリスト教共助会創立記念8 、第1回修練会閉会礼拝で「十字架の下に新しい共同体の創造」という題名で尹鍾倬(ユンジョンタク)牧師(初代教会)は、韓国共助会が「和解」と「友情」と「宣教」の性格を合わせ持つ共同体でなければならないとおっしゃいました9 。また、1992年に韓国共助会が発足した際、日本基督教共助会は「韓国の共助会の友人たちへ」という声明を発表されました10。その一部は以下の通りです。
「私たちは、これらの良き先輩たち( 李台現(イテヒョン)、堀 信一、澤 正彦、和田 正)の足跡を学び、私たちの罪責を具体的に直視し、福音による日本の民主・平和・人権のために努力し、韓国の民主・平和・人権、さらには南北統一のための友人とともに祈りを捧げたいと思います。さらに、後日、両国を越えてアジアや世界の主にある真の民主・平和・人権のために手を携えて仕える日が来ることを心よりお祈り申し上げます」。
ここでは、「後日」と表現されていますが、今はもはや後日ではなく本格的に世界に向けて、主のなかで真の民主・平和・人権のために手を繋いで仕える役割を果たすときが来たと思います。韓南大学は1956年、米国南長老教会の宣教師たちが福音伝播のために建てられ、印敦(インドン)・啓義敦(ゲイドン)・徐義必(ソイピル)など多くの宣教師たちが韓国の民主・平和・人権のために努力してこられ
ました。昨年召天された徐義必(ソイピル)宣教師の場合には、日本の外国人指紋押捺拒否運動に参加した米国人宣教師アルトマン(Harry Altmann)は四国学院大学教授を激励し、助けました。
このような歴史と伝統を継承している韓南大学の構成員たちと韓日共助会の会員たちが今回の韓日共助会第8回修練会を契機にこのような考えを共に分かち合って共有し、一歩前に進む時間になればという思いでございます。
最後に聖書のお言葉を申し上げます。
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。」(マタ6: 14 〜 15)
「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェ4:32)
以上で、私の拙いお話を終わらせて頂きます。ご清聴、ありがとうございました。
脚注
1日本共助会会員でいらっしゃる李相勁先生が社会委員長を担っていらっしゃる在日大韓基督教会は長老派、メソジスト派、バプティスト派など、教派を超えた統合キリスト教教団として1908年に設立しました。
2崔昌華『かちとる人権とは―人間の尊厳を問う』(新幹社、1996)305︱ 306頁。
3ソウル中央地方裁判所2023・2・7、宣告 2020ガダン5110659 判決、控訴。
41991年4月に憲法裁判所は月刊誌がある女性の名誉を傷つける記事を作成した事件において、被告会社に謝罪広告をするよう裁判所が命ずるのは、憲法第10条で定める良心の自由を侵害するものとして許されないと決定しました。憲法裁判所は「良心の自由には広く事物の是々非々や善悪のような倫理的判断に国家が介入してはならない内心的自由はもちろん、このような倫理的判断を国家権力によって外部に表明するよう強制されない自由、すなわち倫理的判断事項に関する沈黙の自由まで包括する」と前提した上で、「謝罪広告の強制は良心でもないことが良心であるかのように表現することの強制であり、人間良心の歪曲・屈折であり、表と裏が異なる二重人格形成の強要であって、沈黙の自由から派生する良心の自由に反する行為の強制禁止に抵触する」と判断しました。
5 最大判1956年(昭和31)7月4日民集第10巻7号785頁。
6 韓日共助会『専らキリストの十字架を眺めながら』(2015)11頁。
7 詳しくは、中村哲著、朴チャンス訳『韓国のために橋となった日本人10人愛でもって繋ぐ』(BJBOOKS, 2021):尾山令仁著・金ソンミン訳『キリスト人の和解と一致』(クムラン出版社、2013)参照。
81992年3月31日創立。李 英 環(李凡医院院長)委員長、尹 鍾倬(初代教会牧師)総務、洪彰義(ソウル大学病院長)、裵 興 稷(慶安高等学校長)、金 允 植(鐘岩教会牧師、韓国NCC会長)、郭商 洙(延世大教授)、朴 錫 圭(ソウル貞陵教会牧師)、金 泰 文、徐順 台(大神大教授) 以上、委員。9 共助1992年10・11月号60頁。
10韓日共助会 『専らキリストの十字架を眺めながら』 (2015)134頁。