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遠くにいる友を思う(2007年5月号) 中西 博 

 昨年十一月中旬に川西さんから挨拶状を頂きました。「十月三一日を持って関西電力病院を退職いたしました。一九九六年の赴任以来十余年余にわたって神経内科の楽しく有意義な臨床に携わることができました。-中略- これからもより良き臨床医を目指して自分なりに励みたいと思います。具体的には少し別の視点から学びたいと考え、しばらくの間ウガンダのある地方の病院でボランティア医師として働くことにしました。いま少し体調を整えてから出発する予定です。-後略- 欄外に北川さんが働かれたチオコ病院へ行きます。」

 この葉書を読んで、一瞬どうしたことかと二、三日、考えてしまいました。

 小生も一歳八ヵ月にポリオになり、五、六年前から杖を着いていますので、川西さんのように今アフリカに行けるかどうかを考えると、決断できないと思った次第です。さらに、電話を掛けて聞きますと、八月に良い足の方を疲労骨折して、車椅子生活後リハビリ中であり、ウガンダには単身で行くとのこと、いくら楽天家の彼でもと思いつつ、人の思いは神の思いとは異なるのかと思った次第です。

 川西さんの年賀状に『友人が送ってくれた論文の著者である整形外科医を訪ねました。床に胡坐をかき、両手で私の足を取って診察され、「足底板をつけて杖歩行の練習をすれば、大丈夫ウガンダへ行けます」とおっしゃる先生に暖かく強靭な臨床の力を実感しました。今、歩ける喜びを噛みしめています。』と書いてあり、小生にとって何が出来るのかと思い巡らし、献金か、彼はそれを断ったと聞き、最後は神に祈るのみかと思ったのです。 雑誌共助2・3月号に佐伯先生が書いておられますが、川西さんが一月十五日に日本を旅立ち、一ヵ月二ヵ月と日が立つにつれ小生はE-mailをしなくてはと二ヵ月半後になり、ようやく出しましたが、すぐ返事が来ました。「早2ヵ月半が過ぎました。何とか元気にやっております。足の方も足底板付の補装具靴とロフストランド杖で、今のところ大きな支障なく来れています。」

 北白川通信第31号を読み、川西さんの決心を始めて知ることが出来ました。即ち、北川さんから「チオコ病院でHIV陽性児のプログラムを共に担っておられるウガンダ人アルフレッドを守って欲しい。」の言葉を聞いて川西さんはアルフレッドを守ることは出来ないが、友達になることはひょっとするとできるかもしれないから、そのために行きます。

  友の健康とその働きの上に神様の豊かな恵みがありますように。