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小さな群れよ、恐れるな (2008年2・3月号) 佐伯 勲  

 今号には、2007年11月の京阪神共助会修養会の報告がなされていることと思いますが、それに関連して与えられた幻を語ることを許されたいと思います。今回の修養会は台湾基督長老教会の元総幹事であった高俊明先生をお招きしてのものでありましたが、その修養会には、韓国から朴炯圭牧師(元韓国基督教長老教会総会議長)夫妻も出席してくださいまして、それぞれの国の戦前・戦後の苦難の歴史の中で、戦後、民主化の闘争を戦われたお2人は、長年月ぶりの出会いでありました。そのいきさつは、一カ月前の10月にソウルで行われた第四回韓日基督教共助会修練会で、朴炯圭先生とお話をした際に、11月の京阪神の共助会の修養会に高俊明先生が来られるのでお誘いしたところ、是非にと言われて実現したものでありました。

 台湾、韓国は私ども日本が植民地支配をし(中国には侵略戦争を行い)、それぞれの国の戦後の歩みにも、私たち日本の教会は、そして共助会も責任があると考えるものです。しかし、今日、日本の共助会の私たちと、お2人の先生方が出会い、キリストの平和と人権を希求する集まりを持つことが許されているということは、本来ならば、絶対に考えられない集まり、出会うことのないそれぞれでありましょう。キリストの十字架の贖いがあればこそであります。

 また、熱河宣教に関わって、共助会の先輩たちから信仰を伝えられ、迫害の中にあっても信仰をはぐくんでこられた中国のキリスト者の方々が、それぞれ、家の教会、三自愛国教会に属しながら礼拝を献げておられ、私どもと消息を確かめ合いつつ、昨年は、教会を牧する御夫婦が共助会に関わる教会で礼拝を献げてくださいました。イザヤ書35章「荒野は……番紅(さふらん)の花のごとくに咲きかがやかん」(沢崎堅造の文章に出てくる言葉)であります。

  韓国、中国、台湾、また沖縄にも、それぞれに共助会の私たちが戦前・戦後を貫いて関わりを持っていることに驚き、畏れ、歴史を通して今も働きたもう主の御前に責任の重さを感ずるものです。 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、……こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」(エフェソの信徒への手紙2章14―17節)

  いつの日か、皆さんと一緒に一つになって、主にある交わり・友情、キリストのほか自由・独立、主の平和を心から喜び、共に礼拝を献げる日を主が備えてくださいますことを信じるものです。 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ福音書12章32節)