第四回韓日キリスト教共助会修練会を終えて(2008年4月号) 飯島 信
そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」(ルカによる福音書 13・18―19)
第1回韓日キリスト教共助会修練会の記録の序文で、李仁夏は次のように述べている。 「1992年3月、ソウルで開かれた『歴史に生きるキリスト者』を主題とする 韓日共助会修練会で、韓国サイドの共助会員から、韓国キリスト教共助会の発足を知らされた時、私は表現出来ない感動におそわれた。一粒の(京都の地で蒔かれた)からし種は、(戦争という)激動の時代を貫いて、知られないままに、芽 ばえ、静かに育っていたのだ。」
冒頭の御言葉は、アジア・太平洋戦争の最中、和田正のもとに李英環、洪彰義、李仁夏らが集った聖書研究会「芥種会」発足にあたって、祈りの中に覚えら れた聖句である。そして、戦後半世紀にわたって「土にうずもれるように、視覚では見えないものになっ」ていた韓日の間に蒔かれたからし種は、韓国キリスト教 共助会発足をもって見事に成長して枝を張る木となっていたことを知らされたのである。神の不思議な摂理の御業であった。
爾来五年に一度、韓日修練会は開催され、15年の歳月を積み重ねた。四回にわたって開かれた修練会の交わりに参加した者は、韓日両国で延べ300名を優に超えるのではないか。「キリストのほか自由独立」「主にある友情」という、森明が生き、それに応えた先達らがまた生死を賭けて生きた共助会の精神が、さらに韓日を超え、台湾・中国の未だ見ぬ友らへと広がる幻を思い描くのである。いや台湾・中国だけではない、かつての日本が犯した過ちの犠牲となったフィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどのアジアの友らとも、いつの日か「主にある友情と共同宣教」の業を共に担いたいと願うのである。
この夏の夏期信仰修養会で、私たちは台湾から高俊明先生、また韓国から知己の友らを講師として迎える。東アジアの平和を造り出すべく、日韓台のキリスト者の進むべき道を共に祈り、学び、語り合うためにである。京都の地で蒔かれた一粒のからし種が、韓日を超え、さらに日韓台のキリスト者の間で確かに芽生え育ち、さらには、アジアの友らとの間に大きく枝を張る日が来ることを夢見るのは私だけであろうか。
神の導きを切に祈る。