み旨を仰ぐ (2008年5月号) 川田 殖  

 私がまだ四十半ばの頃、聖書の学びと祈りの群に参加すべく、四国からはるばる佐久に馳せ参じたひとりの京大生がいた。足の不自由な医学生であったが、いささかの暗さも見せず、真剣な学びの姿勢と暖かな人柄で皆の信頼と敬愛を集めた。早朝小高い丘で開かれる祈りの輪に加わる時、その白晢の顔は紅潮した。まさに健気に登る健登君、川西さんの若き日の姿であった。

 あれから三十年、彼は医療の道を究めつつ、米国にも学び、家庭を作り、病む人びとを看とり、信仰の道を粛々と歩んだ。不精な私の目から神は彼の日々の消息をも覆い、暫時その足跡は杳として知れぬ時もあった。それだけに共助会の集会などで思いがけなくもお会いした時にはまさに久闊を叙する喜びがあった。

 その川西さんが一昨年、アフリカ・ウガンダでの五年にわたる医療奉仕を終えて帰国された北川恵以子さんの後を継いで現地に赴かれると聞いた時には、正直、虚を衝かれた思いであった。しかも聞けばかつての沢崎賢造さんが同志と共に祈りをこめた瓜生山での同様な祈りがあったという。出発間近に経験された骨折事故を聞いた時、私は絶句した。その時の彼を支えたのは「主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない」という詩篇(三四 20)の一句であった。

 果たせるかなウガンダでの川西さんの歩みは、思いをこえた課題山積の日々を、悩みつつ、祈りつつ、しかも守られ導かれて、よき先輩よき友に出会う日々であった。黙々と現地で奉仕されていた根本神父様との出会い。北川さんから引き継いだアルフレッド君との交わりは、神が彼に与えられた喜びと課題のプレゼントであった。私はここにも計りがたい神の「知恵と知識との富」(ロマ一一33)の巨大さを仰がざるをえない。

  思えば私たちの群は、重い病の中から「人を恐れず神を仰ぎ友を信じ決死の一途を歩ん」だ森明先生を囲む一握りの学生たちから始まった。その流れの中に神は島崎光正兄のような恵みの賜物を与えて下さった。病苦の中に十字架のキリストを絶筆として昨秋帰天された金子健二兄もその一人であった。神の力は人の弱きの中に全うされる。計り知れぬ神の壮大なご計画を仰ぎつつ、終わりまで仕えまつる心を新たに致したい。     (二〇〇八・三)