「イエスの焼き印」(2011年 2・3月号)  原田 博充

 二〇一〇年の京阪神共助会は、十一月二十二―二十三日(月・火)、「小笠原亮一先生を覚えて」を主題に、北白川教会で行われた。ありし日の先生を覚えて、幾人もの方々が説教、講演、感話などを語られたが、先生の偉大で、豊かで、柔和な多方面の働きの故に、どの方のお話も味わい深く印象に残るものであった。「神は、……わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」(Ⅱコリント二・一四)、「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香り」(同二・一五)のみ言葉通り、先生は北白川教会をはじめ、七条の部落でも、大谷高校でも、青森でも、キリストにある良き香りとなって周囲に感化を及ぼして来られたことを改めて感じた。集会の中で、先生が子どもを愛し、可愛がり、柔和に接してこられたことが幾度も語られたが、これはむずかしい議論の多い大学の哲学・宗教の研究室で、学究者・探求者としての先生に接することが多かった私にとっては、新鮮な驚きであり、主イエスが、「子供たちをわたしのところに来させなさい」(マルコ一〇・一四)と言われたみ言葉も思い出されて、晩年の柔和な温顔と共に懐かしく思われた。

  いろいろお話を聞いたなかで、土肥研一氏が、小笠原先生の信仰と生涯を

  「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」(ガリラヤ六・一七)

というみ言葉に集約して語られたことが、印象にも残り、また先生の信仰と生涯の深みを見事に語り得たものとして、深い共感を覚えた。土肥氏は、日本基督教団出版局の職員として、小笠原先生の遺稿となった『北国の伝道』の編集・出版を担当された由であり、くりかえし原稿を読まれたとのことで、さすがに小笠原先生の信仰と働きの深みを把握されたのだと思った。

  そして、このことこそ私共が小笠原先生から受け継いで自らの生きざまとすべきことと思い、身のひきしまる思いを覚えた。イエスの焼き印を身に受ける、というようなことは、言葉は簡単でも実際に自分の人生に重ね合わせてみれば、恐ろしいことで、及び難いことである。しかし森明の贖罪愛の信仰を受け継ぐ共助会の会員においては、知識・信仰・行動のすべてを動員して、「イエスの焼き印を身に受ける」生きざまを生き抜くことが求められているのであろう、と思う。