子どもの権利条約勧告に思う (2011年 3号) 木村葉子

 敗戦後、新生日本の教育のため、田中耕太郎、南原繁らはキリスト者の心血を注いで「教育基本法」を作り、個人の尊厳の尊重を土台とする教育の目的を明らかにし、行政が教育に介入することを厳しく禁じました(旧・教育基本法第一〇条)。これを受けて当時の文部省も次のように反省しています。「教育においても教師と生徒との間に封建的な関係があると、教師は自分の思うままに一定の型にはめて生徒を教育しようとし、そこに生徒の人間性が歪められる。」「生徒が無批判に従うのでなく、自ら考え自ら判断し、自由な意志を持って自ら真実と信ずる道を進むようにする。」ところが安倍内閣の時代に政府は、旧教育基本法の特に第一〇条を改悪して新法のいたるところに行政介入を正当化する条文を入れました。これは結局、人間の尊厳に対する無視が根本にあるといえます。

  しかし一方、二〇一〇年六月、国連子どもの権利委員会から日本政府に勧告が出ました。日本の子ども達は国連に、「わたし達は、学校で家庭で、大人の言うとおりになることを強いられ、性格まで評価され、話を聞いてもらえず、頼れる大人を持てない。自分の意見を表明する場がない。しかも、友達は競争相手、本心を隠し、心に蓋をして互いに孤立している。私たちを評価する人でなく、本音でぶつかり合える人がいれば、私たちは感情を殺して生きる必要がないのに。しかし、大人は子どもの苦しみに無関心だ」と訴えました。権利委員会は「驚くべき数の子どもが幸福感の低さを示し(ユニセフ調査、日本の子どもの三三%が孤独感を訴えた。諸国の平均八%弱)、その要因が、子どもと親、および教師との関係性の貧困にある。」新自由主義的施策が、労働や、経済、教育によって、家庭を直撃し、総がかりで人間関係の質を劣化し、豊かな子ども時代を奪っている。本委員会は、「子どもを権利を持つ人間として尊重しない伝統的な見方が、子どもの意見に対する考慮を著しく制約している。」「学校、家庭、裁判所、行政、政策の全てにおいて、子どもがその意見を十分に表明する権利を促進強化するよう勧告する」と日本の子どもたちが置かれている過酷な状況を厳しく勧告しています。「人間の尊厳」は神の愛に由来していることを私たちは聖書に聞いています。

  「イエスは、……群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『……収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい』」(マタイ九・三六―三八)。収穫の主に声をそろえて祈り求める私たちの共助会でありたいと願います。