いまこそまことの福音を (2011年 4号) 川田殖
今から八八年前、関東大震災の折、森明は焼野原の東京に立ち、被災者を見舞い、慰め励まし、「生命の道」と題するおおよそ次のような要旨のパンフレットを手渡した。
「生き残った」事実、「生きて行く」課題、それは自分だけの力ではない。儚い執着や物質にのみ頼る不安な生活から目覚め、確固たる拠り所に立つ新生活を拓きたい。国や社会を危うくするものは、天変地異に劣らず、人心の軽佻腐敗である。その危機から救いうるのは、正しく聖い神の愛の力による信仰の生活である。
信仰とは信頼であり依存である。ともに生命の原則であるが、その依存はパンのみによるのではない。人の思いを超えた神の広大無辺な愛に信頼して魂の平安を得、儚いものへの依存から自由にされた心で生きて行くことである。
人生は刺繍のようなもので、現世はその裏面である。糸は、乱雑を極めているが、表に返せば美しい花鳥風月がある。このように心を転回させ、神の壮大な計画を仰ぎ信じて生きるところに、強く正しい生活の鍵がある。
その神はどうしたら分かるか。「求めよ、さらば与えられん」。まず自分の心に浮かぶ神に向かって静かに祈りを捧げることだ。聖書のキリストが示した宇宙の神は、偉大なばかりでなく、愛と救いの神である。心から信頼して行く者にはかならず真の光と現世限りでない永遠の生命を与える神である。この難局の中、相共に正しい神を信じ、限りなき生命の道を雄々しく進みたい。(『森明著作集』五三―五七頁参照)
このたびの東日本大震災は、その範囲と震度において、関東大震災をはるかに凌ぐ未曾有の大災害である。加えてそれが誘発した原子力発電所の事故もまた深刻な脅威である。風評災害も少なくない。私たちは復興に全力を尽すとともに、さらに踏み込んで文明社会ことに人間のあり方そのものに思いを致し、前途に光明を見出さねばならない。森明の時代よりはるかに深刻な形で顕在化しているこの人類的課題をいかに担い、行く手を指し示すことができるか。この切実な課題を胸に、詩篇四六(神はわれらの避け所)、ヘブル書一二・二六―二九(震われない国)、一三・七―八(先輩の信仰と生活)などに励まされ、生活を通して福音を伝える者となされたい。(二〇一一・三月末)