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台湾との出会い(2001年5月) 川田 殖

 ことしの正月、私たちは、東京台湾教会長老で立正大学客座教授の李慶忠先生をお招きして、台湾の教会の信仰に学ぶ集いを持った。周到な準備の上になされた先生のお話のすばらしさもさることながら、初対面 とは思えない先生の親近さに、何か不思議の感さえ抱きつつ、身を乗り出して聴き入った。

 伺うほどに私などは、60年前、小学生として教わった台湾の製糖産業や原住民に首狩りの習慣を止めさせた呉鳳の話など、やや長じては、近松の国姓爺こと明末清初の鄭成功の話、日清戦争後日本領となり、1945年日本の敗戟によって中国に復帰、49年蒋介石政権がここに移ったこと、60年以降の著しい経済発展など、皮相かつ断片的な知識しか持ち合わせていなかったことにいたく恥じ入った。信仰関係といっても井上伊之助、新渡戸稲造、矢内原忠雄など、思い浮かぶのは日本人のことばかりで、現地人や中国人のことなど全く念頭になく、その無知は犯罪的とさえ感じさせられた。

 しかし神は思いにまさる計らいをされる。休憩時間中李先生と話すほどに、かつて北白川教会に出席され、共助会の友とも親しい関係にあった呉振坤先生のことに話が及ぶや、李先生は居ずまいを正され、「呉先生は私の恩人です」と言われる。聞けば李先生が田舎から出て大学を受験される際、しかるべき保証人が必要であったが、呉先生が、ただ一度の面 接で、一面識もない李青年の保証人を引き受けられたという。ここに両先生の出会いの息づかいが思いやられ、最初に記した、初対面 とは思えぬほどの李先生への近しい思いの背後にあるものに気付き、台湾が一挙に私のうちに入った思いであった。

 しかし出会いは大切であるが、さらに大切なのはその出会いを育てる交わりである。その余裕はもはや私には残されていないとしても、幸いに私たちには、昨年『共助』誌12月号に「霧社事件」を執筆された北村嘉恵さんのようなホープがいる。このような若い世代を通 してこれからの台湾との出会いが、これまでの韓国同様、さらに豊かな主にある交わりへと成長させられることを強く希わずにはいられない。