困難な中で与えられる平安【ミャンマーの友の証し】 ケナン(仮名)
おはようございます。本日は、皆様にお会いできて大変嬉しく思います。
私はケナン(仮名)と申します。ミャンマー出身の小さな村で育ちました。
私の働いている団体は、農村地域の生計向上に焦点を当て、有機農業を含む農業支援と農家への技術指導を中核としています。教会では日曜学校の教師と補助トレーナーとして、コミュニティの人々の自立支援に努めています。
今、皆様の前に立ち、興奮と緊張が入り混じった気持ちです。というのも、証をさせていただくのは初めてのことです。光栄であると同時に、ミャンマーでも日本でも経験のないことなので、大変気が重く感じます。私の思いを共有させていただくにあたり、皆様のご寛大なお心に感謝申し上げます。
本日、与えられた御言葉は、ヨハネによる福音書16章33節です。イエス様は弟子たちに言われました。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
キリストにある兄弟姉妹の皆様、ミャンマーに生きる若い女性として、私は夢と重荷の両方を抱えています。
私は平和と団結、そして私たちの世代が恐れることなく生きることのできる、希望に満ちた未来を切望しています。しかし、紛争と不確実性に苦しむ祖国を目の当たりにするとき、私の胸には無視できない痛みがあります。家族や家、友人、青春、未来、希望を失った人々がいます。彼らの家はミャンマー国軍によって破壊されています。クーデターにより、多くの若者は国外へ逃れたり、革命組織に加わったり、市民不服従運動に参加したりしています。これは軍事政権への抗議手段であり、ミャンマーの市民、特に大人にとっこの国がもはや安全ではないからです。
一例を挙げますと、ある公立学校で起きた出来事です。武装組織がその学校を爆破しようとしました。しかし、手作りの爆弾の扱いを熟知していたのは、その夜集まった者のうち、たった一人だけで、他の者たちは無知であったため、投げようとした際に爆発し、10代の少年1名と20代の若者2名の計3名が命を落としました。その夜、生き残ったのはたった一人だけでした。その後、午前1時から4時頃にかけて兵士たちと警察官が現場に現れ、罵声を浴びせ、脅迫的な言葉で威嚇し、銃声を轟かせたのです。
さらに、私の経験ですが、ある日ヤンゴンへ向かう直前に、幼なじみの友人を亡くしました。彼はわずか5ヶ月前に結婚したばかりでした。奥さんは妊娠中でしたが、軍事政権への抵抗活動の最中に命を落としました。あの時、私は深く悲しみ、「もしこの戦争が起きなかったら、私たちの友人の何人かは今も生きていたかもしれない。」と思いました。
また最近の出来事ですが、ある市街地で、兵士たちが市民を検問し発砲しました。その日、30歳の男性市民が腹部に銃弾を受け死亡しました。出血しているにもかかわらず病院へ搬送せず、兵士たちは彼の頭を銃で数回殴打しました。その後ようやく病院へ運ばれましたが、間もなく息を引き取ったのです。さらに市民の女性2名が負傷しました。
誰かの命を失うたびに、私たちの心の重荷は増すばかりです。ミャンマーでは他にも多くの出来事が起きており、これ以上にひどいこともたくさん起きています。その結果、街に残っている若者はごくわずかです。
こうした事態が続く中、生き残った者としての罪悪感も耐え難いものとなっています。眠れない夜、私は神様に問いかけました。「なぜこれほどの苦しみがあるのですか? いつになったら終わるのですか?」
そんな時、ヨハネによる福音書16章33節のイエス様の「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」という言葉に慰められます。この力強い言葉には、私の心に深く響く3つの重要な真理が込められています。
1つ目は、苦難は現実であるということです。 イエス様は苦しみの現実を決して美化しませんでした。「この世であなたがたは苦難に遭う」と率直に告げられました。ミャンマーにいる私たちにとって、苦難は至る所に存在します。政治的混乱、経済的困難、家族が引き裂かれる現実。多くの若者が安全を求めて国を去らねばならないと感じています。こうした圧倒的な嵐の前で、私はしばしば自分自身を小さく無力に感じます。それでもイエス様は、私たちの苦闘は神様にとって驚くことではないと確信させてくださいます。神様は私たちが直面する戦いを知っておられるのです。
2つ目は、平和は実現可能であるということです。イエス様は約束されます。「あなたがたはわたしによって平和を得ることができる」と。この平安は政府や富、ましてや自らの力によって得られるものではありません。主によってこそ見出されるのです。それはあらゆる状況を超越した平安であり、周囲が揺らぐ中でも私たちを支え続ける平安です。娘として、友人として、信仰者として人生を歩む中で、私は祈り、礼拝、そして主の約束をしっかりと握りしめることによって、この世が損なうことのできない平安を見出すことができるということを学びました。
3つ目は、勝利は確実であるということです。 最後に、イエス様はこのような約束をして私たちを励ましてくださいます。「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
これが、私がミャンマーのために固く握りしめている希望です。
私たちの物語は戦争や痛み、分裂だけで定義されるものではありません。十字架におけるキリストの勝利は、闇が決して最終的な支配権を握らないことを保証しています。
私は国全体を変える力を持たないかもしれませんが、隣人を愛し、許しを差し伸べ、希望を育む(特にそれが見出しにくい状況下で)ことにより、彼の勝利を体現する道を選びとることができます。
たとえ状況がなかなか変わらないように思える時、困難な時でも私たちは独りで歩んでいるのではないと、ヨハネによる福音書16章33節は教えています。苦難は現実に立ちはだかっていますが、平安は手の届くところにあり、勝利はイエス様を通して約束されているのです。
共に希望を握りしめ、祈りの中で心を高く上げ、この世に打ち勝った方が、私たちの愛する国にも癒しをもたらしてくださると信じましょう。
神様が皆さま一人ひとりを祝福し、私たちの心に平安を注いでくださいますように! 地の上に平和が満ちますように!
(日本の教会にて 翻訳 阿部真希子)
