『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945~2010』韓国側資料解説 井田 泉

【韓国側資料解説1】

『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945-2010』(新教出版社、2020年)より

■第Ⅰ部「アジア太平洋戦争敗戦から日韓基本条約締結までの交流の動き(1945-1965)

1.敗戦から朝鮮戦争休戦協定成立まで(1945-1953)

冒頭に収めたのは長老教会の「朝鮮基督教会機関誌 基督教公報 刊行の辞」(1946.1.17)である。日本敗戦、朝鮮解放から5ヵ月が経過した時点のものである。このように書き出される。

「世界を覆っていた暗黒の幕はすでに破られた。……このような悲嘆の中に包まれた世界に、万有の主がもう一度声を発し、剣と槍は折られ、朝日が東天に昇って悪魔は闇の中に伏してしまった。」

このように第2次世界大戦の終結、日本による朝鮮植民地支配の終わりを、主なる神による悪魔の克服と受けとめる。

「この間、世界の教会の傷跡は大きいが、その中でも残忍な虐政下でひどい仕打ちを受けた朝鮮教会の満身創痍こそ、隠そうにも隠しようがなく、ただただ赤面して熱くなるのを禁じ得ない。指導者たちは退けられ、多くの祭壇は汚され、すべての機関は絡まり合って機能を喪失してしまった。」

ここには日本の植民地支配、とりわけ「皇民化政策」によって負わされた朝鮮の教会の深い傷が疼いているのが感じられる。

「今や新たな世紀に当面するわれらの教会は、過去に対する一時的な弥縫策や表面的な糊塗術だけでは、決して新時代を担うことはできないだろう。そこには新たな生命的な指導力と新たな組織が要請されている。」

こうして「われわれの教会の血脈となって」新しい時代における新しい教会機関紙の使命を担おうという決意が表明され、読者の支持が呼びかけられている。後に紙名は『基督公報』となり、現在は大韓イエス教長老会(統合側)の機関紙となっている。

「在日大韓基督教勉励会青年一同 北韓CE[ChristianEndeavor 基督教勉励会]にメッセージ」(1952.6.23)は1950年6月に勃発した朝鮮戦争を色濃く反映しており、朴 永昌(パクヨンチャン)のメッセージには反共の立場が強烈である。なお朴 永昌は、1939年、日本の神社参拝強要に対する反対行動をその父・朴寛俊(パククァンジュン)と共にし、警告文を日本帝国議会議場に投下して投獄された経歴を持つ。

「歌詞の中にも祖国への懐かしさを 日本関西地方SS教師講習会を指導 神戸から安成鎮/ 僑胞の信仰指導訴え」(1958.6.16)は、在日大韓基督教総会教育部主催で開催された関西地方SS教師講習会に招待され指導をしてきた安成鎮が、その経験を生き生きと伝えたものである。当時の韓国教会と在日教会の交流の一コマを伝えるものとして貴重である。

解放後、韓国の教会機関紙では三・一運動(1910)の精神を継承・発展させる必要が繰り返し論じられてきた。『朝鮮監理会報』に掲載された「三一精神とその復活」(1948.3.20)はその初期の代表的なものである。

「一九一九年三月一日を期して、私たちは自主国民であることと独立国であることを宣言した。私たちが自主国民であろうとすることは当然のことであり、真理であり、神が人類に与えられた特権である。これは、私たちがこの特権を失うまいとするための聖なる行動であった。世界の各民族がこの権利を享有する時に平和が臨み、この権利が侵害される時に闘争が生まれる。私たちが自主国民になろうとする運動は、当然の義務であると同時に、世界平和のための聖なる叫びであった。私たちは、この正当なことを行うためには宗教、思想、階級に関わらず一致団結して外敵の恐ろしい武力にも屈せず、無抵抗によって我が民族が立ち上がった。このような独立精神と、団結した私たちの魂が今や復活してこそ現在がもたらされたのである。」

そこで「崇外思想」「事大思想」の弊害が指摘され、あらためて自主独立が説かれる。

「私たちの自主独立のためには宗教、思想、階級を問わず大同団結して生命を惜しまずに闘ったこの精神が、我らの教会に復活しなければならない。」

しかし次のように現実を嘆く。

「それにもかかわらず、現在の教会は感情、無知、教権固執により、この神聖な団結を壊し、組織に対する分裂だけではなく、精神的な愛に分裂をもたらしたことは、真に痛嘆するほかない。」

こうして教会の独立と一致が強く訴えられる。この記事が掲載されたのは、大韓民国が成立する5ヵ月前であった。

金 麟瑞(キムインソ)牧師は、解放後7年の1952年になって「日帝圧迫下に犯した罪を悔い改める」を自分の発行する雑誌『信仰生活』に公表し、次のように告白した。

「神社参拝の日に自分は逃亡し、もしかして家族が私の代りに引っ張られて行くようにさせたことは自分がこの身をもって神社参拝した以上に重罰を受けるべきものであることを何度も痛悔し、罪に服します。また洞会で神宮の名を書いた紙箱を配付したとき、それをそのまま一度十銭を払って買ったことが、その時以来私の心に傷となっており、悔い改めます。」

このような信仰的良心の痛みに触れるとき、日本に渦巻く歴史の自己正当化、嫌韓本の氾濫、ヘイトスピーチの現実を恥ずかしく思わずにはおれない。(日本聖公会司祭)