夏期修養会:分団報告

【分団A報告】辻 光一

自分の参加したグループAは、70を超えた高齢の方3名と、30代以下の学生や社会人4名から構成される。それもあって、顔合わせの時間として持たれた分団Ⅰでは、自己紹介を一巡した後、二つの世代がそれぞれの視点から思うことを互いに聞き合うような流れとなった。とりわけ話題となったのは、いまの若者が抱えている悩みについてである。川田先生からこれを問われたことに応答して、ある者は本音で話すことの難しさを自分の世代に共通な悩みとして語り、他の者はこの問題が嘘をつかねば生き残れないような社会全体の空気として感じられることを、就職面接のような場面を思い起こしながら語った。またある学生の参加者は、自らの苦しかった時期も振り返りつつ、就活において同世代の友人たちにもたらされているものを「心の環境破壊」と表現したが、この言葉は現代社会の問題性を端的に言い表す言葉として重く受けとめられたようである。

同日夜の分団Ⅱもこの流れを引き継ぎ、各自がいま抱えている問題を自由に話すようにとの促しから始められた。若い参加者の発言では、社会に対する不信や将来への不安が再び話に出たが、そうした思いから聖書の言葉を読んで解放された経験や、何かを大切にしながらそれを奪われる可能性まで受け入れる信仰はどうしたら持てるのかという問いかけなど、信仰者の視点に立った語りが共有されることも少なくなかった。また、個々の悩みの背後にある時代の流れについて意見が交わされた際は、価値観の多様化や個の尊重が進むにつれて競争社会が徐々に退潮していることを肯定的に受け取りながらも、それによってある種の相対主義や利己主義に陥らないことが一つの課題として示唆された。後半になると、漠然とした神信仰とキリストを贖罪の事柄として受けとめるような意識との違いが言及されたことをきっかけに、罪や赦しといった、より信仰的な問題に話題が絞られていく。ある者は、罪という言葉でなくとも正しくあれない無知や愚かさは痛切に感じると述べ、その自覚に立って神に耳を傾ける姿勢が自分にとっての祈りであると語った。また、罪の可能性を逆手にとって善行を偽善と見下げる視線があるなかで自らの行動に確信を持つことの難しさを、実体験を交えて語る者もいた。個人的には、キリストは神と我々との中間ではなく誰よりも低く貧しいところにいるのだというキルケゴールの言葉に触れて、我々もまた落ちるところまで落ちねばならない、落ちきることのできない自分を断ち切らねばならないと語られた話が、特に印象深く残っている。他にも、赦しを受け入れることで罪を深刻に受けとらない開き直りに入ってしまうことが怖いという発言がされた時は、赦されたからこそ真実を求めて歩まねばならないこと、そしてそうした意欲さえも自己満足に取り込んでしまう高慢さを砕かれるためには交わりがやはり必要であることなど、それぞれの立場から真摯な応答が続いた。特に議題とされていたわけではないが、結果として「キリストに従う」という修養会の主題にも響きあうような話だったと思う。

翌日の分団Ⅲは、分団Ⅱを挟んで再び参加された川田先生からの発問により、今回の修養会で与えられた成果と課題を一言ずつ述べるということで発言が回された。個々の内容を紹介することはしないが、課題として語られたことには、具体的な人間関係を念頭に置きつつそれを生き直していくことを見据えての言葉も多かったように思う。また、それぞれの発言に対して川田先生は、年長者としての経験や恩師の言葉を呼び起こしながら力のこもった応答をされた。弱さを知るときにこそ本当の恵みに生かされること、己を捨てることは呼びかけてくれる存在への信頼なくしてはできないこと、深い祈りをもって勉強や仕事など自らの課題に向き合うことがそのまま伝道となること、どれも確信に満ちた力強い言葉だったが、なかでも「この歳になって思うのは自分の足りなさと恵みの深さ、それだけだ」とご自身について短く語られた姿には、深く心打たれるものがあった。

全体として、既定のテーマに沿って運ばれた議論というよりも、各人の自由な発話に導かれて内面的な問題を深めていくような話しあいであったため、やや抽象的な報告となってしまったが、そこで語られた言葉は、人間関係の希薄化、社会への不信と諦め、そして弱さを前にしての絶望など、現代を真面目に生きようとするときに直面する問題をいくつも照らし出すものだったと思う。現代の空気を呼吸して育った者の一人としては、そうした問題が自分のうちにも根深くあることを思わされると共に、そのような現実にあって人を真に生かす力の源がどこにあるのか、生きた証言を通してまた指し示されるような時間であった。                 

(京都大学大学院)

【分団B報告】湯田大貴

本修養会では、分団で話し合う機会が多く持たれた。分団形式で行われた早天祈祷会を含めると、分団のメンバーで集まる時間は全部で4回ほどあった。例年に比べて分団の機会が多く持たれたことは、個人的にはとてもよかったと感じている。主題講演やシンポジウムで話された内容をもとに、他者とじっくりと対話して、自分の中で考えを深めるきっかけになったと思うからだ。

それでは分団Bの報告を始めたいと思う。最初の分団Ⅰで話題になったのは「クリスチャンであることと政治的な問題にコミットすることは切り離せないのではないか」という問いである。キリスト者として、霊的な恵みを分かち合うことが基本ではある。しかし、生活の中に政治の問題が関わってきた際に、信仰的な視点からその問題を見つめ行動することも、キリスト者として求められているわけである。

具体的な問題として、香港の国家安全法の問題が挙げられた。香港にはたくさんのキリスト者が暮らしているが、中国共産党により信仰生活に大きな制限がかけられているという現実がある。国家が個人の信仰の問題に立ち入り、強制力を働かせようとする様は、戦前の日本の状況に非常に似ている。この現状に対して、日本の教会は何も具体的な行動が取れていないという問題点が指摘された。

一般的な教会や牧師は、政治的な問題についての言及を避けることが多い。しかし、教会の中で限定されたメンバーの中で分かち合いをしているだけでは、趣味の集まりのようになってしまう。より一層それぞれの教会が社会に向けてきっちりとメッセージを伝えて行動していくことが必要だという結論になった。

次に、分団Ⅱで話題になったのは、今回の修養会の主題である「キリストに従う」であった。実は私たちのグループの参加者のうち2名がこの主題に惹かれて、今年の修養会への参加を決めたと語ってくれたのだ。

この主題について考えるにあたり、私たちはまず聖書からヒントを得ようとした。福音書のイエスの言葉の中から、「従う」という言葉が使われている箇所を抜き出してみたのである。多くの箇所が挙げられたが、その中でも中心に取り上げたのは、「マタイによる福音書」の16章24節である。

「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」

自分を捨てること、自分の十字架を背負うこと。一体それはどのような意味なのか。そして私たちはそれを実行できているか。この問いに対する応答の例として、「日の丸・君が代強制」への反対運動に参加されていた方が、そのときの経験を語ってくださった。反対運動に参加する仲間を集め、東京都に対して訴訟をすると決めたときに、キリスト者として本当に祈らせられたという。この訴訟が教育にとって、子供たちにとってプラスになるのか。本当に責任が取れるのか。色々な悩みや葛藤を抱えつつも、最終的には「神様にお委ねします」というような気持ちで祈りつつ、自らも行動を起こしたということだった。私はこの方の経験を聞いて、まさに自分の十字架を背負って、キリストに従う姿が見て取れるように思われた。

最後の分団であった分団Ⅲでは、社会的・政治的な意味での「キリストに従う」ということより、もっと身近な日常の生活の中での意味を考えることになった。

上述した通りだが、私たちの分団には、「キリストに従う」という主題に惹かれて参加した方が2名ほどいた。そのうちの一人が共有してくださった悩みが「キリスト者でありながら、キリストに従えていない」というものであった。特に「敵を愛しなさい」という聖句に従うことが難しいという。職場にいるどうしても受け入れることができない人。その人を愛せない自分を見て、キリストに従えていないと感じるのだそうだ。

分団の中では、その悩みを共有してくださった方への応答として「敵なんて普通は愛せない」というようなことが語られた。また他の意見として、「自分が尊敬しているような人と同じレベルに愛することはできなくても、最低限、その人のことを受け入れようと努力したりはできるのではないか」というものもあった。敵を愛するという行為は本当に難しい行為であると思う。ただ私にとっては、「敵を愛せない」と悩み苦しむその姿自体が、本当に大きな愛の行為のように感じられた。

以上が簡単な分団報告である。繰り返しにはなるが、今回の修養会では分団の時が多く持たれたことで、メンバー同士で対話する時間が増え、より互いのことを理解したり、講演で話し合われた内容に対する考えを深める時間になった。修養会で学んだことを日々の生活の中に活かしていきたいと思う。

(日本ホーリネス教団 木場深川キリスト教会員、株式会社セールスフォース・ドットコム)

【分団C報告】江川裕士

①自己紹介(2日目午後):

参加者は、敬称略でK、T、TH、E、TK、Mの6人(教育関係者4名)。それぞれ、問いと祈り、弱さを抱えてやってきていた。主な話題はそれぞれの場所でのコロナウィルスとの関わり方だった。渦中で浮かび上がる人間集団の問題、効果のあった対処法・残った課題についてそれぞれの経験を共有した。 ②伝統の継承について(2日目夜):

以下、議事録から部分的な抜粋。僕は子供の頃、言葉が大人に誤解される経験をした。この言葉の誤解への不信は、良くも悪くも今の自分も動かしていると感じる(E)。我々は、大人になる過程で、世界に対する信頼ができなくなるような出来事に出会った時、器用に上手に生きていくのか、それでいいのかと問うのか、僕たちは選択ができる。共助会の先輩の1人は、「自分は計算ができないんだ」と言っている。森 明に「京都に残れ」と言われて迷った奥田先生の最後の決め手は、自分が終わりの時に、森先生に会ったとき、「言い訳したくない、それだけで決めたんだ」と言っていた。最後の時を考えるという、本当の真面目さ、計算のなさには、頭が上がらない(K)。そうやって「下手に」受け継がれてきたバトンだ。「頑迷さ」は、受け継ぐべきか(T)。共助会や色々なところと並んで、独立学園も、手段として、伝統のどの部分を継承するのかという問題を抱えてきた。私は、伝統継承の目的がなんなのかを、絶えず確認することは、絶対に必要だと思う。伝統や、創設者の言葉を、神聖な触れてはいけないものとして、掲げ続けるのか、そこで言われていた理念を、今よりその理念らしくここにあるように扱うのか、考える余地があると思っている。恐れ多いですが、卒論で考えたことを言えば、何かを「固定して」考えることは楽だが、危険な道だと思う。私は、大事なことは「自分を通して話すこと」かなと思っている。先輩が言ったことをどう受け取ってどう解釈するか、ということを、「ありがたいですね、守りましょう」よりは、「自分が語ること」が大事だと思う。例えば内村についても、「私じゃ絶対に耐えられないような辛い経験をしたのに『失望じゃなくて希望の世の中だ』と言った内村ってすごいね」、じゃなくて、「私が、絶望じゃなくて希望を持って生きること」が、内村に学ぶことじゃないかと思った。この共助会でも、「ちゃんと自分を通す」ということをしたい。烏 滸がましいかもしれないが、「その人が、その人らしく語っていくこと」で繋いでいけるんじゃないかな、と思いました(TK)。どうやったら独立学園は継承されていくのか、ということを考えた時、共助会でも、独立でも、先輩が「待ってくれた」のが大きな体験だった。僕が、なんか挫けそうだな、弱い方向に行きそうだなって思った時、ふと浮かんでくるのは自分と向き合って弱さを共有してくれたある生徒の顔だ。その顔が、僕に「なんかあいつのことはちょっと裏切れないな」、という存在として、感じ取れている。こんな経験が、継承には大事なのかな、と思う(M)。確かに自分に残る、自分と響き合っている言葉は、自分なりの先輩と同じような体験を通じて「私にとっても大切だ」というものでなければ、消えていく。福音書の言葉でも、記者たちの心に残った・触れた言葉が残されたんだと思う。共助会でも同じだろう(TH)。「私を通すこと」はしんどいプロセスだし、咀嚼された短い言葉でしか語れなくなっていったとしても、人間はそうせざるをえず、研磨に時間をかけなければならない(T)。もし自分が、冒頭の「言葉を使うこと、誤解されてバカにされることへの恐れ」を抜け出る道があるとすれば、自分が自分の言葉の意味を生きていることかなと思った。「話さなくても、自分の姿が言葉なんだ」っていうような、抜け道がある。話相手とお互いに、「言葉だけじゃない」「俺たちがどう生きあっているか」ということの方が大事だと言える道があれば、お互いを恐れずに生きていけるかな(E)。アウグスティヌスも、「神の存在から生まれた言葉」、「人間の存在から出て、人間の存在をもう一度生かす言葉、存在と一であるような言葉、沈黙の言葉…そこから始まるんだ」ということを言っている。ここに「立てれば」、誤解を恐れないようなことも可能か(K)。

③早天祈祷会(3日目朝)

T氏の祈りにはじまった。T氏は、聖書から「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き(……)彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ(……)てしまったのである」を取り上げ、キリストが人と人を繋ぎ止めてくれていることに感謝した。以降、心の中の「真摯さの場所」を守るような、それぞれの祈りが続いた。

④自分の課題(3日目午前)

私は、離れている人のことを、日々の中で、祈るということが課題だ。朝、祈りの本当の力、神様と対話するそれぞれの姿を見た気がした。共助会は、エネルギーを使わないと出せない言葉を、それぞれが使ってくれた会だった。そこには応答する、される嬉しさがある(M)。自分1人、オンライン読書会ではどうしようもなかった自分の軽薄さ、浅薄さを捨てさせられ、「あれ、自分の真摯さはどこに行ったのか」の虚しさを、忘れさせてくれる友人たちの姿を見させられた時間だった。エネルギーを使った言葉を使ってくれた友達というか、皆さんの姿をみて、そう感じた。コロナの影響はあるが、実際にエネルギーを使う言葉を使う友人の姿を見て、生きていきたい(E)。「共助会は、友達への信頼と、「何もできないあなた/僕」を見捨てない信頼・尊重・歓迎の驚きの中で支えられていることを思う。自分には、誰かの名前を挙げて、祈る課題がある(TH)。自分には、自分は祈りによって支えられても、人のために祈れていないという課題がある。共助会員の、具体的な、誰か1人の課題・見えない苦労を覚えて、祈る。それを通して、静かにでも、その1人と、その人の周りの人と、繋がっていきたい(T)。自分には、いかに自分の外に出るか、何と出会うか、という課題がある。Eさんの言うような信頼できる眼差しは、僕たちの経験の見えない底にあることを感じた。自分のドイツ留学時代にも感じた、誰にでもパッという、お互いに開かれた交わり、ホスピタリティの層の厚みを、自分たち日本の住人も求めていきたいと感じた。こちらが開いてないものに対して、それを開かせていくような集まり、を感じた(K)。一つ目に、基本的には面白おかしく話してる友達でも、エネルギーを使って話している姿を見ていると(受け止めきれないこともあるからその時応答するわけじゃないこともあるけど)、その人の自分の中の像が新たに、深められていくということが独立でもあったことを思い出しました。そういうことに恵まれると、どこかで「ああいう時間を経験した」って思って、普段のコミュニケーションが楽しくなってくるな、って思った。二つ目には、自分が弱いことを考えること。「真摯さの場所」を手放すことは、一緒に時間を共有してくれた友達と一緒に楽しく過ごしていく時間を捨てることにもなると思うと、できないな、と思った(TK)。

(フォルシア株式会社)

【分団D報告】齊藤 凛

グループDは、70歳以上の者が3名、40代が1名、20代が2名という構成であった。分団Ⅱは、「主にある友情」という言葉をどう考えているかという問いから始まった。若い参加者からのこの問いに対して、ある者は、人間同士の関係は、趣味や所属で繋がっている限りはそれらが失われた際にいつでも壊れ得るが、キリストと自分との関係は壊れることがないと述べ、キリストから促されてある友情を「主にある友情」と呼ぶのではないかと応答した。ずっと性格が合わないと思っていた友人が真剣に祈っている姿を見たときや、神の愛を実践しようと生きていることを知ったときに、好悪の感情を超えて「その人がその人であること」を確かに感じると同時に、相手が自分と繋がって存在していると思えたという経験が、複数の参加者から語られた。

続いて、和田 正の韓国訪問についての話し合いが持たれた。自分自身が韓国とどのように向き合っていきたいかということについて、実際に韓国の友人と交流を続けている者からは、過去よりも未来に目を向ける中で友情を築いていきたいという思いが語られた。対して、日本の歴史を背負った者として、緊張感を持って韓国の友人と関わることでいかに豊かな関係が育まれるかを考えていきたいという意見もあった。過去に拘るのではなく、忘れるのでもなく、過去を超えていく関わりの在り方が問われた。戦争責任については、過ちを反省し追究する必要はあると思うが、戦時中の行いについて日本人として謝るという行為は自分からは出てこないという声が若い参加者から聞かれた。和田の謝罪を実感を持って理解することが難しいというこの声に対して、史実として戦争を知るだけでは和田の行為を頭で理解することはできても感覚が追いつかないかもしれないが、自分の目の前に実際に痛みを持って立っている人がいるときに知らされる道があるのではないかという意見があった。そして、参加者それぞれが持つ痛みとの出会いが語られた。ある者は、友達が挺身隊として連行された傷を抱えて生きているという韓国人の祖母のことを語った。またある者は、アジアの学生の集いにおいて、フィリピンの学生から「日本がフィリピンを侵略し続けていることを思うと、日本を背負っている君とは握手ができない」と言われ握手を断られたという学生時代の経験を語った。牧師として、日本人と北朝鮮人の結婚式に関わった際に、両家族から強い反対があり何年もかけて説得を続けた経験を語った者もいた。特攻隊に志願したが終戦を迎えて生き残った父親の痛みを、「生々しい痛み」、「立ち直らない魂」と表現した者もいた。

戦争の痛みが実感を持って分からないとしても、歴史を知り過去を想像する中で、自分の立ち位置を定めていくことが必要なのではないかという指摘もされた。日本人として歴史と向き合うということに関連して、若い参加者からは、多様な背景を持った人がいることを考えるときに、そもそも日本人とは誰かという問いがうまれ、「日本人」という言葉を使うことに対して慎重になるという思いが語られた。日本人というよりは、地球市民という言葉の方が自分の感覚に近いという声もあった。自分の祖国をどう思うかという問いに対して、ある者は自身の民族性を自覚するからこそ聖書の言葉の持つ開きを実感を持って理解できるようになった経験を語った。パウロの「ユダヤ人もギリシア人もなく」という言葉は、全ての人の背景を無色透明にすることではなく、自らの民族性を自覚して生きる時に希望となる言葉ではないかと話した。また、自分が他者を抑圧しているという構造の中で生きていることを知る必要があるという意見もあった。

分団Ⅲでは、真実に人と出会うことの難しさについて語り合いが持たれた。ある者は、恐れながら人と関わると殻に閉じこもってしまうが、外から殻を叩いてくれる人との出会いがあったことで他者と本当に出会うことができたという経験を語った。そして、一人一人の前に立って門を叩いてくれているイエスに対して、自分自身が門を開いていくことの大切さが語られた。本音で語り合える場、受け止め合える場が求められているという話から、グループに牧師が3人いたこともあり、教会の在り方へと話題が移っていった。ある者は、教会学校で出会った少女が自死をしたことに触れ、世間の価値観とは違う生きる意味を語る場に教会がなっているのかと 問うた。

分団の中で、「愛や風や息は目に見えないのだから、それらを感じるような交わりを生きなければ知ることはできない」という言葉があった。2日間の話し合いでは、自らの現実の中で自分自身がどう他者と出会い、痛みを受け止め、関わっているかが問われた。自分は戦争の生々しい痛み、自殺や引きこもりなどの今隣りにある痛みをどこまで感じることができているのだろうか。世代の違う人との対話を通して、歴史のなかに自分が生きているということを深く自覚する者でありたいと思わされた。               (京都 修学院保育園 保育士)