戦後80年まで生きてきて― 下山田 誠子
中国東北部満州は、当時は日本が占領して統治していた。私は、父が満州国の官吏であったので首都新京(現長春)で生まれ3歳で敗戦となり、生まれたばかりの妹と3人で引き揚げを余儀なくされた。 父が出張中でその帰りを待ったため
続きを読む中国東北部満州は、当時は日本が占領して統治していた。私は、父が満州国の官吏であったので首都新京(現長春)で生まれ3歳で敗戦となり、生まれたばかりの妹と3人で引き揚げを余儀なくされた。 父が出張中でその帰りを待ったため
続きを読む私の父は隣邦人への宣教に従われていた福井二郎・沢崎堅造の後に続くことを祈りの中に示され、1945年4月24日、福井牧師の牧する赤峰(せきほう)教会に、母と4歳になった私を連れて、神戸港を発ちました。父は福井牧師のもとで
続きを読むO Mensch, bewein dein Sünde groß 2025年、私たちは戦後八十年という節目の年を迎えました。この八十年間、日本社会は目覚ましい復興と発展を遂げ、平和と繁栄を享受してきました。しかし、この
続きを読む現在、日本、そして世界で排外主義のうねりが大きくなっています。このような状況において、他者の排斥に対して危機感を抱いていることは言うまでも無く、「他者とともに生きる喜び」がほとんど語られず、他者と向き合うことの負担や義
続きを読む「戦後八十年を省みる」というあまりにも巨大な課題に対して、限られた時間のなかで何をどう語ればよいのか、正直なところ途方に暮れています。その困惑の内にある者が、しかしその主題に関してなお何かを語らねばならないとするならば、
続きを読む発題1 私たちは「和解 ― キリストの十字架による赦しに押し出されて」と題して、今年も基督教共助会夏期信仰修養会を持っています。私がお話するのは澤崎堅造についてです。日本軍国主義が大陸に侵攻する中で、澤崎が何を見据えて
続きを読むシンポジウム 発題2 一 あれは、教師になって15年目、新潟の敬和学園高校の現場を夢中で生きていた1988年の晩秋の夜だった。川田 殖先生からの一本の電話。「日本聾話学校の大嶋 功校長の後継者として立ってくれないか
続きを読む1 新潟共助会11年の歩み (1)第一回を2013年9月28日、秋晴れのもと日基教団新潟信濃町教会で開催する。飯島信委員長より「基督教共助会について」語ってもらう。森明による共助会の発足と理念、その歴史を学ぶ。出席者より
続きを読む混迷を深めるこの時代、戦争の終結に私たちは何ができるだろうか、と日夜考えざるを得ません。 プロローグとして、孫たちの姉弟げんかのお話をします。 受験が迫り、数学のテストが良くなかった姉が朝食の後、静かにテレビを観ていた小
続きを読む2021年11月8日(月)中村・三田・石川・角田夫妻の5名が中村さん宅に集まっていた。クリスチャンは、聖書を熱心に学んでいるが、部分的に読むこと が多い。聖書を通読する必要を感じつつ、一人では読み通すことはなかなか困難
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