大きな喜びを告げる 李相勁

【説教:2021年度クリスマス 於立川教会】

ルカによる福音書2章1 ―14節

「地には平和」、すべての人々にクリスマスの喜びと平和がありますように祈ります。共助会クリスマス礼拝に共にあずかることができる導きと恵みに感謝いたします。

それぞれのクリスマスの思い出があると思いますが、私は韓国でのキャロリングを思い出します。とくに雪の日のクリスマスイブの夜中、教会員の家々を訪ねて、クリスマスの讃美歌を歌い、救い主の訪れの喜びと恵みを分かち合いました。12月の韓国の寒さの中で、街に讃美歌が響き渡り、喜びと希望の温もりを感じるひと時でした。教会員からはたくさんのお菓子などプレゼントをいただき、教会学校で分かち合ったものです。

私はクリスマスに関して、日本に来てから気づいたことがあります。日本では12月25日が休日ではないということでした。韓国においてクリスマスが休日として制定されたのは、解放後の1949年であります。当時の政府のキリスト教に対する理解と影響があらわれていると思います。

学生時代、授業の中で、さまざまな例が紹介され、物事を考えるときにいわゆる「社会通念」に流されるのではなく、相手の立場になって考えることの大切さを教えられました。本田哲郎先生は著書『小さくされた者の側に立つ神』(144頁)の中で、「メタノイア(視座を移す)」について「人々の痛み、苦しみを共感できるところへ視点、立場を移すということです。(中略)日常的に痛み、苦しみを強いられている人々、社会の中でいつも弱い立場に立たされている人々の側に立つということであり、苦しむ人々の側に視点を移して、そこからすべての物事を判断するということではないでしょうか」と説明しています。

聖書の「十戒」の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記20 :3〜4)ということの意味を考えさせられます。それは「基督教共助会」の標語の一つである「キリストのほか自由独立」につながるのではないかと思います。私は「韓日基督教共助会修練会」などで、李イ 仁イン夏ハ 先生はじめ多くの方々の、互いに尊重し合う「主にある友情」の証しを通して「和解の福音」を教えられ、感銘を受けました。

先ほどルカによる福音書の「最初のクリスマスの出来事」を読みました。「イエスの誕生の時代的背景」と「羊飼い」に救い主の誕生が知らされるという出来事です。ここでは、イエスさまの誕生の時点を皇帝アウグストゥスの在位期間に設定しています。これは年代的事実を伝えることに加えて、その背景に福音のメッセージがあると思います。皇帝アウグストゥスはローマ帝国の内乱を終息させ、人々からは「ローマの平和(パクス・ロマーナPax Romana)」をもたらした人物として評価されていました。当時の人々からはいわゆる「救い主」であると呼ばれていたということです。しかし、本文はその皇帝アウグストゥスによる「ローマの平和」は力によって押し付けられたものであり、その中で生まれたイエスさまの誕生を通して、真の平和のはじまりを記していたと思います。

イエスさまの誕生直前の出来事には、ローマ皇帝が自分の統治基盤を確固たるものにするために行った「住民登録」の勅令のために、平穏な日常生活のすべてを中止して、自分の意志とは関係なく、移動しなければならないという理不尽なことがおこりました。その多くの人々の列の中にマリアとヨセフがいました。ナザレからベツレヘムまでは、歩いて3日ぐらいかかる距離と言われ、人々は住民登録を強いられる状況におかれていました。また、旅先には泊まる宿もなかったと語られています。「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカによる福音書2:7)イエスさまは低いところ、かつ「無力」とも言えるような状況の中で、お生まれになりました。それは、帝国の皇帝とは対照的な状況であったと言えるでしょう。「イエス自身は、(中略)誕生のときから底辺に立つしかない、『いちばん小さくされた者』のひとりでした。(中略)このイエスをとおしてしか、わたしたちは神を知ることはできないのです」。(本田哲郎訳『小さくされた人々のための福音―四福音書および使徒言行録 ―』728頁)

また、救い主の誕生の喜びのお知らせが真っ先に伝えられ、迎え入れられた人々は羊飼いでした。当時、羊飼いは雇用されて夜通し羊の群れの番をする過酷な労働であったと言われています。イエスさまは、いわゆる「日雇い労働」などで安息日を守れないということから、「宗教指導者」から差別されて、心細い思いをしている人々に対して、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコによる福音書2:27)と、神のみ心を示し、福音を宣言しました。

「民族神学者」の崔亨黙(チェヒョンムク)先生は講演の中で韓国における「民衆神学」形成を次のように説明しています。「民衆神学が韓国の民衆運動における証言で形成されたというのはよく知られた実である。その民衆神学が一つの明確な神学的傾向として形成されて、広く知られるようになったことには一連の過程がある。民衆神学の萌芽は1973年『韓国キリスト者宣言』で明確に示され始めた。それは経済開発が本格化される中、次第に権威主義に走り、ついに維新体制を確立して正常な憲政を中断した朴正煕(パクチョンヒ)政権に対する韓国キリスト教の全面的な抵抗宣言で、以前から展開してきた韓国キリスト者の社会的実践の根拠を神学的に明確にした。ここでイエスが(『圧迫されている人々』『貧しい人々』『弱い人々』『蔑視されている人々』)と共におられたように、韓国のキリスト者もその人々と運命を共にしなければならないと告白した」(明治学院大学キリスト教研究所紀要第54号「韓国民衆神学の歴史と現在」304頁)と、時代における民衆の問いかけに、キリスト者は「小さくされた人々」と共に連帯していく宣教方針を見出していたと思います。在日大韓基督教会は1967年第23回定期総会において「宣教60周年標語」を「キリストに従ってこの世へ」と決定して「社会参与」の実践を訴えて、「神の宣教」のわざに参与し、その中で、三つの特徴が与えられました。

「それは、『マイノリティ性』『多様性』『エキュメニカル性』であります。いのちを大切にする『神の宣教』に参与するマイノリティ教会、多様性を祝福し、『和解のしもべ』となるために改革し続ける教会、合同(Uniting)を続けるエキュメニカル教会として、宣教方針を共有して歩んでいます。」(「在日大韓基督教会宣教100周年宣教理念」抜粋、在日大韓基督教会ホームページ参照)

社会の「小さくされた人々」の側に立って「神の宣教」に連帯し、解放の福音にあずかる恵みの分かち合いは、在日大韓基督教会「信仰告白前文」の中にも示されています。「歴史の中で救いを起こされる神は、かつてイスラエルの民をエジプトの奴隷生活から救い出し、約束の地に導き入れられたように、み子の十字架と復活の恵みにより、故郷を離れてさすらった祖先の内よりわたしたちを、個人と国家が犯した罪の縄目から解き放ち、今や主の霊に支配され導かれた新しい神の民としてこの地に遣わし住まわせてくださいました。わたしたちはイエス・キリストにおけるこの希望を共に抱き、それをあらゆる民に証しする使命をわたしたちに委託された神を賛美しつつ、教会の信仰を表明し、ここに代々の聖徒と共に使徒信条を告白します」と、解放と希望の福音を告白しています。

在日大韓基督教会川崎教会の歩みの中で、1970年代の状況がこう書かれています。「70年代の川崎教会を語る、もう一つの流れは外からの挑戦として現われ、神のその出来事を用いて、宣教60周年の主題『キリストに従ってこの世へ』を証してくれた。それが世にいう『日立就職差別闘争』と完全勝利の出来事であった。この運動は神から委託された宣教のあり様を問うだけでなく、在日同胞を差別と抑圧による屈折から解放し、日本社会と国家に問いかける質を内包していた。これ故に、教会にとってこの物語は旧約聖書の出エジプト事件とも関わらせることができる」。(『川崎教会50年史』64頁)

「普遍的福音が、その時代の個別の状況にどう関わるかの大きな課題を提起した。別の言葉で言えば、福音的テキストと時代のコンテキストとの間の緊張関係を欠く時、キリストの体なる共同体の亀裂が起ることである。原始教会からの教会史はこの問題を抱えており、川崎教会の『神の宣教』物語も例外でなかった」。(前掲書、65頁)

在日大韓基督教会川崎教会礼拝堂の正面にあるステンドグラスは、「正面の十字架とブドウの実りとイエスのペテロ洗足物語は教会の交わりと徹底的な奉仕の働きを意味する。それは川崎教会が現在をどう生きるかをいつも指し示す」(前掲書、79頁)と説明されています。

李仁夏先生は、1995年「在日大韓基督教 川崎教会・日本基督教団桜本教会」世界聖餐日合同礼拝説教の後に、「あなたのあわれみのみが、私ども一人一人の罪によって与えられた傷をいやしてくれます。和解の働きの故にいよいよ私たちの罪責の全貌が全てさらされます。私どもはそれから逃げるすべはございません。あるがままの自分の弱さ、罪責をしっかり告白しながらこの時代の中にあって本当に主にあって、この新しい共同体を築き上げ、(中略)それぞれの歴史的な立場を踏まえながら、これからもどうぞ和解の福音によって生かされる日々でありますように」(『世界聖餐日礼拝合同文集』8頁)と祈っています。

イエス・キリストのご誕生の出来事を通して、解放と希望の福音にあずかり、小さくされている人々と連帯し、正義と平和の実践と、和解の福音を分かち合いたいと願っております。

(在日大韓基督教会川崎教会 牧師)

*2021年12月27日(月)共助会クリスマス礼拝説教に加筆修正を施して掲載しました。