キリストを愛し キリストに愛された人生 下村 喜八

 【誌上 京阪神修養会 講演1】

この誌上修養会の主題にある「一筋の道」は、奥田成孝先生(以降、故人の人名には敬称を付けずに表記)が、かつて雑誌「共助」に自身の歩みについて書いた記事のタイトルである。ただこのタイトルは執筆者自身が付けたものではなく、編集長の島崎光正が付けたものと聞いている。しかし奥田の生涯を表現するのに、これ以上にふさわしい言葉はないように思われる。この記事の最後の箇所で、学生時代に心中に願った一事が書かれている。「将来如何なる道を歩むかはわからないが、棺の蓋を蔽うとき自らも周囲の人々からも、私が何ものであったといわれるより、『この人は生涯キリストを愛しキリストに愛されて人生を終わった人である』と自他共に認められて生を終わりたいと心に願ったことである」と。奥田は実際に、その願いを成就する「一筋の道」を歩んだ。

いたましい不治の病の中にありながら、主にある家族の愛情に支えられて20年の信仰生涯をまっとうした山谷清彦さんへの追悼文で次のように述べている。同君は根本的なものを私共に伝えてくれたが、「一言にしてこれを云ふならば人生は事業ではなく人格であり、更に信仰であり神への従順といふ事につきるといふ事を生ける事実を以て示してくれました。同君はこの一筋の道を通して実に意外なまでに多くの人々に大きな意義をもたらし大いなる神の栄をあらはされました」と。ちなみにある人は、清彦君の生涯は自分にとって第二の聖書であると言ったという。

私自身の生涯を振り返ると、多くの先達の導きと友たちの祈りの支えを受けながらも、あらぬ方に彷徨っていた感が深く、心中、悔いの念に苛まれる。しかしそのような者にも、いや、そのような者にこそ共助会は不可欠な意味をもったと思われる。私にとっての共助会、そして今後継承されることを心から願う共助会の信仰精神について述べたいと思う。

奥田は、生涯、牧師として教会とは何かを考えるとともに、共助会の存在意義についても考えつづけていた。教会の外に明確な信仰主張をもった共助会のような団体が存在することは教会形成の邪魔になるという批判がなされてきたようである。それに対して事実をもって答えてきたと書いている。「共助会に参加したために教会を去ったという例は殆どなく、むしろ教会の中に疲れ足どりの弱っていた人、更に教会を遠ざかっていた人々が共助会の交わりの支えによって祈りを新たにして教会生活に励むに至った人々があることをもって答としてきた」。この文章は、そのまま私にあてはる。

私は京都大学の共助会聖書研究会に参加することを通して北白川教会に導かれ、約八年お世話になった。さらに川田殖先生宅での聖書研究会および佐久聖書学舎で学ぶ機会を与えられた。それらは筆舌に尽しがたい恵みであり、私が今あるのはそのお陰である。しかし問題なのは、京都を去ってからの歩みである。勤務地の関係でいろいろな教会の礼拝に出ることになった。そこで経験したことをいくつかお話しさせていただく。

母が危篤の状態にあったとき、牧師に、母のためにお祈り下さいとお願いすると、信仰を持たない人の魂は救われないのでお祈りしても意味がない、と言われた。私は二の句が継げなかった。それはその通りであるかもしれない。しかし、イエスが十字架上で「父よ、彼らをお救いください。自分が何をしているか知らないのです」(ルカ23:34)と、自分を十字架につけた人たちのために執り成しの祈りをしておられる。このことを牧師はどのように受けとめておられるのであろうか。また、ある教会では、牧師の辞任にともない代務者にお願いした牧師は、事前に役員会で諮ることなく、最初の聖餐式で、いきなりパンを半分に切るように指示された。そして未受洗者をも含めすべての希望者にパンを配られた。またこの牧師は、説教で毎回のように「憲法9条」「憲法9条」と、その重要性を訴えられた。さらに週報に、役員会や総会の了承を得ることなく、いわゆる「9条の会」の催しについて記載された。ここでは憲法9条の意味については言及しないでおくとして、社会の他のどこよりも、一人一人の人格が重んじられるべき教会においてこのような強権的な組織運営をなされることに私は深い疑念をいだかざるをえなかった。聖餐をオープンにするのが良いと考えるのであれば、まずは信徒の自覚に訴えるべきであろう。またある牧師は、たとえばノアの箱舟に関する箇所をおよそ次のように解釈された。「洪水のあとに出た虹はごめんねという反省の印である。神はあんなことをしなかったらよかったと思った。神も間違いを犯すことがある。間違う神だからこそ私は信頼している。神も間違い、反省するから、それを自分の反省のよすがとすることができる」と。さらにイエス・キリストもときどき間違いを犯すと語られた。そのような事情もあって私には教会から遠ざかっていた期間が何度かある。その期間、共助誌、修養会、そして共助会の交わりが、弱い私を聖書の信仰につなぎ止めてくれた。

この3年の間に北白川教会で何度も信徒説教をする機会を与えられた。それは福音を語る喜びと苦しさを味わう貴重な体験であった。しかし回を重ねるうちに、自分の説教が講義や講演のようなものになってはいないかと不安になった。そこで日本キリスト教団出版局から出されている「日本の説教」シリーズを中心として、再読をも含めて十数冊の説教集を読んだ。それぞれ個性があり興味深く読んだが、聴衆に分かりやすくする努力が過ぎるためか、贖罪的福音が伝わりにくいと思われるものもあった。また没時間的で、時代状況とはまったく関わりのない説教もあれば、逆に時代状況に関わる話題が内容の多くを占める説教もあった。驚くべく多種多様である。そのなかには共助会の先達のものも含まれている。浅野順一、小塩 力、福田正俊、さらに、数年前から京都共助会で読んでいる奥田成孝の「共助掲載記事選集」を加えると4名になる。読むうちに、他と比較して共助会の先達の説教には共通する特徴があることに気づいた。それらをごく簡潔に列挙しておきたい。

(1)神の前に立つ人間の張りつめた緊張感が伝わってくる。聖にして義なる神の前に立たされたおそれ、自己の存在の危機感である。(2)贖罪の信仰に堅く立っている。「常に新しく神の前に罪人として立つ」(福田)という実存的な罪の認識と、そこからくる絶対的な謙虚さがある。罪はキリストの贖いによってすでに解決済みであるとは考えられていない。(3)時代、歴史、思想、国民性、個の実存等、ひろく人間の営みとしての文化の問題と真摯に関わるなかで福音の真理性を弁証しようと努めている。(4)相互のこまやかな主にある交わりと相互啓発がみられる。

一連の説教集を読むなかで、以上のような特徴をもつ共助会の先達の信仰と歩みは日本のキリスト教史において、もしかして非常に大きな意義をもつものではないかと思うようになった。今はほとんど確信に近い。人生の終わり近くに、ようやくそのことに気づくとは、私は何という愚か者であろうと、後悔の念が深い。

ちなみに小塩は贖罪信仰に関して興味深いことを語っている。「森 明先生による贖罪論講義にはじまるともいうべき共助会は、代々の教会の正統の流れに棹さして、その信仰思想の鍵を贖罪論に見いだそうとしてまいりました」。森 明の贖罪論講義というのは、1924年に森 明が帝大共助会の東京・京都連合集会で、5時間半にわたって語った「贖罪論」を指していると思われる。共助会が発足したのはそれより5年前の1919年であるため、史実と符合しないが、あるいは小塩は、この贖罪論講義が青年たちの人生に根本的な変化をもたらし、彼らをしてキリストのために生きんとする決意を新たにさせる画期的な出来事であって、共助会の実質的な活動は、ここから始まると言おうとしているのかもしれない。いずれにせよ、小塩は、共助会の信仰思想の中核は森明の贖罪論にあると語り、奥田は、異なる福音の発生は贖罪経験の不徹底に基づくものと言わなければならないと語っている。いずれも正鵠を射た指摘であると思われる。

奥田は、キリスト教の神について次のように語っている。それは人間にとり深い断絶のある神である、いやそれどころか敵対関係にある神である。人間存在にとって最大の、最後の手ごわい相手は神である。この経験のないところには福音も意味をなさない。敵対関係は絶えざる緊張と不安とおそれとの関係である。内村鑑三と森 明を通してそのような神を教えられた。同時にこの神と和らぎ、敵対関係をまぬがれる道をも示された。イエス・キリストによる十字架の贖いであると。そして奥田は聖なる生きる神に対して「アッバ、父よ」と呼びうる平安と喜びを繰り返して語る。

同時に信仰は「全人格的信頼という関係」であると奥田は言う。その意味で次の森 明の文章はきわめて重要である。「キリスト教の根本は友情である」、「キリストと我とはもちろん友人同志である。キリストは生命を賭して信じてくださる。友がこれだけの信用をおいてくれるとすれば、ありがたいことではあるが、また実に心苦しい。ゆえに友たることは練磨が必要である。友から真に愛されるとき、その友をあざむくに忍びず、もだえ苦しみ、励んで悔いて応えるのである。決して圧迫によるのではない。生命のない悔いではない。かく、信ぜられるところに責任が生ずる。生命を賭けて信じ給うキリストに、われわれは責任がある」(「キリスト教の朋友道」)。キリスト教の宣教内容は時代と共に教理や使徒信条という形に整備されてきたが、信仰がそれらの内容を知性的に承認することになり神と人間との人格的信頼関係を欠けば、もはや信仰とは言えないものとなる。信仰は、われわれの罪にもかかわらず生命を賭してわれわれを信じ、罪を贖ってくださったキリストに対する信頼である。キリストの愛からわれわれの悔いが生まれる。その悔いを通してキリストの命がわれわれの内に流れ込む。「信仰とはイエス・キリストの命にあずかること、彼の命の中に迎え入れられること、彼によって捕らえられ改造されること」(ブルンナー)である。したがって「イエスに対する純粋の態度を取ると否とが根本の問題である」と奥田は言う。受けた愛と信頼に対しては責任が生じる。「十字架の聖愛に対する節操! 十字架の聖愛に対する自己尊重! 我らは己が身ながら寸時もおろそかにすることを許されぬ。基督者としての栄光と光輝ある誇、また識見!我らは神のものとして之を汚し傷つけてはならない」。

旧約聖書の神は「義」の神であり、新約聖書の神は「愛」の神であると言われることがある。決してそうではないと私は思う。キリストの十字架において、われわれの罪がおざなりに扱われているのではなく、義なる神による裁きが厳格に実行されている。およそ命を賭してわれわれを信頼し愛する神ほどおそろしいもの、聖なるものはないと言わなければならない。イエスの愛と信頼は、利害の打算か、せいぜいのところギブ・アンド・テイクで動いている世界を打ち破る異次元の力である。

罪もまた人格的関係のなかで理解される。「罪の本質は愛慾、エゴイスティックな人間の本性というにとどまらず本質的にはもっと深く人格と人格との信頼、愛の関係その真実を裏切り破るという点にある」と奥田は語る。イエスの第一、第二の戒め(マタイ22:34─40)のいずれも重要であるが、第一の戒めを破ること、すなわち神の愛を裏切り破ることが本源的な罪であり、そこから第二の戒めを破る罪が生まれて来る。

信仰が人格的な関係である限り、相手をどのように理解するか、すなわちキリストをどう解釈するかによって信仰の質が変わる。奥田は、「神は人の自覚の程度に応じて自らの姿を示し給ふ」と言う。これはゆゆしい、恐ろしい事態を表現している言葉であると思われる。「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」(ロマ5:20)というパウロの言葉はこの消息を表現していると言える。罪が増せば恵みも増すのであれば、大いに罪を犯そうではないかという考えは、人格関係のなかでは成り立ち得ない屁理屈である。イエス・キリストの教えと人格に出会ってはじめて、真の意味で罪とは何かが分かる。罪の自覚が深まればキリストの愛の深さが分かる。つまり、罪の自覚が深まれば神の恵みも増し加わり、神の恵みが増せば罪の自覚が深まる。そのようにして贖罪経験が深まり、徹底されてゆく。

森 明の『霊魂の曲』の最後の場面で、キリストの前に立って顔をあげることのできない霊魂に対して、キリストは次のように声をかける。「お前を私は憐れみ愛いつくしむ。お前はもう仰ぎ見るがよい」、「お前の罪のために、お前よりも深く私は苦しみ傷つけられている……お前を愛するから……」。人間の罪は、それを悔いることすらできないほどに深いけれども、キリストの愛はなお底なしに深い。私たちは、頭をたれ、胸を打ちながら、「神様、罪人のわたしを憐れんで下さい」(ルカ18:13)と言う以外にない。そのとき、私たち以上に深く苦しみ傷つけられているキリストに出会い、私たちの心は光明と感謝と命に満たされる。キリストの愛がそのようなものである限り、私たちの状態がどのようなものであれ、何物も私たちをキリストの愛から引き離すことはできない。

キリスト教のすべての概念は人格的関係のなかで理解されなければならない。奥田はキリスト教を次のように定義する。「キリスト教はイエス・キリストの人格とその生涯の事実とそれをかこむ弟子達との人格的出合いの事実をさぐり、その中に自らも参加することである」。このような理解は、教義信仰や権威信仰、さらにまた福音の単なる悟性による理解から私たちを守ってくれるであろう。奥田は、講壇から何度も、ヨハネ福音書17章、いわゆるイエスの大祭司の祈りを踏まえて、信仰とは、父なる神と子なるイエスとの愛の内にある一つなる交わりのなかに、弟子たちと共に迎え入れられることであると語った。そしてその一つなる交わりが、本来的な意味での教会であると。

ヨブ記を読み解く鍵は「利益もないのに(求むるところなくして)神を敬うでしょうか」(ヨブ1:9)という一節にあると奥田は言う。一般に、あまたの宗教のなかで、ご利益宗教ないし応報思想でない宗教はキリスト教であると言われる。しかしキリスト教もご利益宗教に堕することがある。それは私たち自身についても言えることである。「自己の修養のため、家庭の幸福のため、社会改良のため、自己の生命のため、これ凡て求むるところの信仰といはねばならぬ」。福音とは、そのような利益を得る得ないを超えて、神との一つなる交わりのなかに招き入れられることであり、それに尽きる。「求むること無くしてただ彼のために彼を信ずることが無上の喜びとなる。(……)この純粋な絶対的信頼の信、これこそ人の子の最も崇高なる生の姿ではないか」。

奥田は、ある時ふと内心をもらされた。「イエスですらその弟子は十人余であった。礼拝にこのようにたくさんの人が集ってくださるのは望外の恵みである」。ちなみに礼拝出席者は80人ほどであった。ブルンナーは「福音をそれを聞く者に気に入るような方法、感情を害さないような方法で説くことは民主主義国における教会の最も大きな危険の一つである」と述べている。奥田は決して耳に快い言葉を語らなかった。むしろその反対であった。奥田の説教は、この人は今まさに生ける神に出会っているということが如実に伝わる説教であった。現に今、この人の中で「キリストと共に死に、キリストと共に生きる」という出来事が起こっていて、聞く者もその出来事に巻き込まれてゆくものであった。彼は説教について次のように語っている。「説教者は、第一義的には、会衆を教え導く者として立っているのではない。語る者自身が何よりも先ず、神の前に立たされているのだ。神の前に立たされるとき、自分は呻きなしにはそこに立ちえない。この呻きそのものの中に立って、会衆を神の前に追いやること、それこそが説教者としての自分の使命なのだ」。

教会員が「森先生のことを思うとキリストのことを思わずはいられない」と言ったという。そのように、キリストの信頼に応えて生きる創立者の生き方が真実であったゆえに、それは彼に接する人々をもキリストに追いやり、キリストは畏れるが他のいかなるものも恐れない、キリストに従うが他のいかなるものからも自由であるという自由独立な人格、共助会でいう「福音的人格」「贖罪的自由人」として立たせることができたのだと思う。私たちもまた、先達たちに導かれ、友の祈りに支えられて、神の前にひとり立ち、神の愛の内にある命を生きたいと思う。そしてこの福音を他の人たちにも分かち、彼らをも共にこの命のなかに招きたいと思う。そうすることでキリストの信頼に対する責任を少しでも果たしてゆきたい。

(日本基督教団 馬見労祷教会員)