追悼

工藤さんがいるから大丈夫だよ! 金美淑

2020年10月3日(土)、午前8時半ごろ、順夫人が娘さんの恵里さんが住んでいる大阪の施設に入られる日であった。青森空港で待っている教会の方(空港内の部屋を借りて青森教会の方と小さな祈祷会を持つそうで)のために恵里さんが急いで順夫人を迎えに来た。私には順夫人が青森の施設に入られ、ちょうど1年目になる日に再会とお別れが同時にあったのである。施設の玄関先に車椅子の順夫人が現われ、恵里さんが順夫人を車椅子から車に乗り移してあげた。オレンジ色のセーターを着て微笑みながら手を振っている順夫人の姿が今でも鮮やかに目に浮かぶ。順夫人の派手な服装を見たのは初めてであった。車の順夫人を囲んで工藤さんがお祈りをした。その後、車が出発する寸前に私は順夫人の胸に抱かれて大きく泣いた。「大丈夫、ミスクさん! 工藤さんがいるから大丈夫だよ!」と順夫人はあたたかく私の背中をなでてくださった。順夫人を乗せた車が見えなくなるまで私たち夫婦は手を強く振っていた。

順夫人が大阪に行かれてからは恵里さんとよく連絡するようになった。順夫人の安否をはじめ、子供たちの話、韓国の話、きれいな風景の写真交換などなど、順夫人がいない寂しさが感じられないほど楽しかった。もう一つの家族ができたようでうれしくてたまらなかった。毎年、韓国にいる親友の秀蓮(スヨン)も、順夫人へのお見舞金を送ってくれて恵里さんとも連絡をとるようになった。順夫人へのお土産などは恵里さんを通してからでなければならなかったのでお菓子や服、手紙など恵里さんにはたいへん面倒をかけてしまった。そして去年のお盆の頃、恵里さんから奥さんの体調が悪くなったという電話をうけた。風邪がこじれて呼吸困難になり、酸素マスクが付けられたというお知らせであった。その後、年末からは食事をとるのが難しくなり、ついに今年の3月に入ってからは看取り介護となり家族との立ち合いを勧められたという。そして先日の3月15日の午前9時20分頃、天に召されたという訃報に接した。

さっそく私たち夫婦は、青森空港で夕方6時10 分の飛行機に乗って青く赤く輝く地平線の空が宝石になって名古屋を照らしている上空を通り大阪に着いた。夜7時40分頃であった。そしてリムジンバスで天王寺駅まで行き、電車を2回乗り換えやっと車で迎えに来た恵里さんご夫婦と会うことができた。今度は迎えに来てくれた恵里さんと抱き合って大きく泣いた。恵里さんご夫婦に順夫人が安置されたホールに案内され2年半ぶりの順夫人の顔を拝見した。薄い化粧でとても美しい顔であった。化粧の順夫人を初めて見たのである。施設にいる間、順夫人は背が低くて優しくしてくれる職員にミスクさんと呼んだという。お棺の順夫人の服も私からの服であった。亡くなった順夫人の顔を通して私は天国にいる幸いな者の顔を見るようであった。物静かさと全てを成し遂げた者の顔であった。

「だから、奥さん! 今度は小笠原先生がいるから大丈夫ですよ! いつまでもオレンジ色のセーターと化粧をして先生の前で走り回っていいですよ。先生がいるから大丈夫ですよ!」

(日本基督教団 藤崎教会員)