「わたしは道である」説教 木村葉子

■2020年5月10日(日)復活節第5主日

■聖書 ヨハネ14:4~11

14

4 「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」

5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、

9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

 

コロナで休校になっている新5年生ら少数が教会に集まって、ハーバリュームを作りました。瓶の中に、芝生や、花の枝や、キラキラしたグラスファイバーなどを入れて、一つの世界、風景を造ります。それぞれに素敵な風景が出来ました。そして来週は、この中に、教会の建物を入れたいといいました。教会のある風景、教会をとても良いものとして感じていることをうれしく思いました。子どもたちの信仰がすくすくと成長するようにと祈りました。

 

使徒言行録によれば、教会の始まりは、ペンテコステに、使徒たちと人々一同が集まって熱心に祈っていた時、天からの聖霊に満たされた時からです。しかし、イエスに選ばれた12使徒は、イエスの十字架の苦難の時、ユダは裏切り、他はペテロをはじめみな逃げてしまったことを思うと教会が始まるなんて不思議すぎます。彼らは師イエスを失って、その期待希望は、無残に打ち砕かれ、まったく挫折し途方に暮れていました。女性の弟子たちから、空の墓の中にいたみ使いがイエスの復活を知らしたと聞いても、弟子たちは、「たわごと」だと全く信じませんでした。

この状態から、彼らが立ち上がった力は何でしょうか。 
主イエスの復活を信じ、グループを回復して、自分たちも同様に死刑に会う危険の満ちたユダヤの街に出て、大胆にイエスの復活をのべ、師の死刑の責任を名指し、キリストの福音を述べ伝える群れとなるには、非常に大きな力か働かなければ起らない出来事だったといえます。

マタイ福音書28章13節に記されている話のように、「弟子たちが夜中イエスの遺体を盗ん」で、新しい宗教を作りあげたのだとしても、それで今日まで2千年間、一貫した教えを伝えるエネルギーを持続することが出来るでしょうか。とても疑問です。

 

使徒言行録では、それは、復活した主イエスご自身が、自分が生きていることを数多くの証拠をもって使徒たちに示し、昇天するまで40日間、彼らに現れ、神の国について話された(使1:3)ことによると記しています。弟子たちが、復活の信仰をえて、生き生きとしたキリストの福音を述べ伝える原動力となったのは、何よりも復活のイエスが、直に弟子たち一人一人に出会ってその疑いと不信仰の硬い殻を砕き、信じる者へと180度変えて下さったからです。落胆しきってエマオに帰ろうとしていた2人の弟子に、イエスは歩みを合わせ、聖書に書かれた苦難を受ける主の僕などのメシア預言とご自分について説明をされた時、彼らの心が熱く燃えたこと。エルサレムで捕まるのを恐れて鍵をかけて隠れていた弟子たちの所にイエスは復活の姿を現し、魚まで食べて見せて下さった。そこにいなかった疑い深いトマスのためには、主イエスは再び来て、十字架の「傷跡に指を入れてみなさい。信じるものになりなさい」という愛の言葉で迫り、トマスは、魂の底まで揺さぶられて、イエスの復活を信じ、神の子であり、神の王座に着かれた救い主キリストであるという信仰を与えられました。

 

このトマスは、最後の晩餐の席で、(ヨハ14:5-6)「主よ、どこへいかれるのか わたしには分かりません。」と質問し、イエスは、「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通らなければ誰も父のもとに行くことはできません。・・今からあなたがたは父を知る。いや、すでに父を見ている」といわれた弟子です。今やトマスは、復活信仰を得て、このイエスこそ、わたの力の源、従うべき主、導かれ共に行くべき「道」であり、イエスこそ真理そのもの、父なる神の内にあり、神と一つである、死に勝利した方だと悟りました。

 

ペテロも、トマスも他の弟子たちも、そして後に、教会の迫害者パウロも、復活のイエスに出会って、生きる向きを変えられ福音ために生きるものとなりました。主は求める一人一人に親しく会い育ててくださいます。救われたクリスチャン、わたしたちは、神は神の栄光を表すために、この闇の世に、「世の光」「地の塩」として派遣されました。神様はそれにふさわしい信仰を鍛えようとされています。主の道を行くため、弟子たちの経験から学びましょう。

 

弟子の代表格であったペテロは、3度も主を知らないと否みました。このペテロのために、復活のイエスは、ガリラヤ湖のほとりで3度「わたしを愛するか」と尋ね、ペテロが「愛します。それは主がよくご存じです」と3度答えることを通して、彼は、恥じと罪を赦され魂の深い傷に触れていただきをいやされました。そして、ペンテコステの聖霊によってさらに、力強く勇敢に、だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」と宣言する力をあたえられ、人々に悔い改めとイエスの名による洗礼を勧めて多くの救われる人を起こしました。(使2:36-」

 

ペテロも、トマスも、他の弟子たちも、イエスが、祭司長たちに、逮捕される前までは、勇敢な熱血漢で、主と一緒に死にますといっていました。トマスは、過ぎ越しの祭りに危険なエルサレムへ、師であるイエスと共に行き、「わたしたちも一緒に死のうではないか」といいました。(ヨハ11:16) ペテロも最後の晩餐の時に、「たとえみんながつまずいても、わたしはつまずきません。」といい、イエスから、「3度わたしを否むだろう。」と言われると、力を込めて言い張り、『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』皆の者も同じように言った。」のです。(マコ14:31)

 

しかし、このように頼もしい弟子たちも、イエスの十字架の時には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」のです(マコ14:50)。では、「3度否む」と予告したイエスは、ペテロを非難しているのでしょうか。 そうではありません。

それは、その前の言葉、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ』(マコ14:27-)と示されたことから分かります。これは、ゼカリア書3:7∼9からの引用で、その意味は、「わたし(神)は、弟子たちの羊飼いであるイエスに死の苦難を与える。するとイエスの羊である弟子たちは、逃げ去り散ってしまう」です。続いて、主イエスは、不安にある弟子たちに希望の約束を与えています。「 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」。わたしの死で終わるのではない、わたしは復活し、ガリラヤで再び会うのを待っているよ。わたしはあなた方の羊飼いだ、あなたたちが苦難の中でどんなにつまずいても待っているよ、と約束されたからです。心の目を開いて、準備をしなさいとあらかじめ忠告したのです。

 

聖書には、預言とその成就が記されていますが、では、旧約の預言が起こり、あなた方はつまずくと予告されることは、弟子は予告に支配されたロボットなのでしょうか。

そうではありません。イエスは、保身の恐怖のために弱く、誘惑に弱い人間のありのままの姿を知っていて、弟子を慈しみ注意を喚起しているのです。

 

では、弟子たちが、自分は、決して先生を捨てませんと口々に言ったことは何でしょうか、それは弟子の純真な師に対する敬愛より出た言葉で、それにウソ偽りはありません。本当に決死の覚悟で誓いました。

しかし、自信のあった彼らは、現実に直面するとそうできませんでした。ペテロは、大祭司の庭で女中から「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいた」と言われると、あわてて「何を言っているかわからない」といい、次には「イエスを知らない」といい、最後には、イエスを呪う言葉まで云ってしまいました。そして、驚き、何という、卑怯な自分だろう。こんなに弱虫だったのか。もうイエス先生に合わせる顔はない。恥と汚れに満ちた自分に直面して。深い挫折の真っ暗闇にいた。その時、彼は、イエスの言葉を思い出して涙が溢れました。彼は泣いても泣ききれませんでした。他の逃げた弟子たちも、それぞれに同じ思いを経験していたに違いありません。弟子たちは、自分の人間としての弱さ危うさを知りませんでした。そして今それに直面したのです。

 

一方、この同じ時間を過ごした、イエスはどうだったでしょうか。イエスは、ユダに裏切られ、祭司長・律法学者、長老の手下に捕えられた時、抵抗しませんでした。「わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」(マコ14:49)。

そして、最高法院の大祭司から尋問され「『お前は、ほむべき方の子メシヤなのか』と問われると、『そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。』と、答えられた」とマルコは記しています。(マコ14:61)。このイエスの答えにより、神に対する冒涜の罪として、死刑の決議を受けることになりました。彼ら宗教指導者たちは、イエスの「宮清め」において、神殿を「あなたたちは、祈りの家を、強盗の巣にしてしまった』と言われたことに激怒し、イエスを憎み殺そうと謀っていたのでした。

この悪意に満ちた権力者たちの前で、イエスは、人々に神の言葉を説かれた姿と変わらず一貫して真理を曲げることはありませんでした。

 

ところが、ゲッセマネの園での祈りにおいては全く違うお姿でした。イエスは、弟子たちにそばで祈っているように言い、「わたしは、死ぬばかりに、悲しい」と、弱さをかくしませんでした。「そしてひどく恐れて、「地面にひれ伏し、できることならばこの苦しみの時が、自分から過ぎ去るようにと祈り」ました。(マコ14:33-35)

 

十字架刑はローマ帝国の極悪人の死刑です。撃たれ、あざけられ、罵倒され、市中を十字架を負って引き回され、十字架に釘撃たれ、見世物にされる苦難の極みです。

 

主イエスは、十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マコ15:34 詩22:1)」と大声で叫ばれました。そして息絶えました。 この十字架上の言葉は、特別に、当時、語られていたアラム語で福音書に記されている数少ない言葉の一つです。主イエスの言葉として、弟子たちの心の底に忘れがたく深く刻まれたといえるでしょう。

 

イエスにとって神に見捨てられることは、肉体への暴力やあざけり等の精神的痛みにも増して、霊が父なる神より捨てられ、引き離される霊の痛み、その苦しみは比類なきものであったことでしょう。ヨハネ福音書が記すように、神の子イエスと父なる神の関係は、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」(ヨハ14:10,11)という切っても切れない親密なものと、イエスはここで教えられています。

故に、その苦しみはいかばかりであったでしょうか。神を神として認めないこと、イエスを神の御子救い主として認めないことが、人の罪の根底にあるといえます。

 

主イエスはこのように、全く人と等しく成って罪人となり、すべての人の罪を担って死なれ、高い代価を払ってくださいました。人の弱さも傲慢も偽りも頑なさも不信仰もすべて引き受けられたのです。

 

「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。

そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」 (1ペテ2:22-24)

ペテロの信仰は、後年、ますます、主イエスの十字架の苦難と死は、罪なき方が私たちの罪を負って死に、救いの道を開かれたことを語り、そのたぐいない愛に感謝する信仰へと成長させられました。

 

主イエスにより、ペテロは、自分の弱さ認めない傲慢を正され、トマスは疑い続ける頑なさから解放されました。

信仰は、自分のありのままの問題のある姿を認め、主に導かれ真理と命に至るためのものです。自分のありのままの姿を無視し、認めないTき、大きな信仰の妨げとなっているのではないでしょうか。

 

ゲッセマネにおいて、主エスは悶え苦しみの中でこう祈られました。

「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マコ14:36)

 

主イエスは、人間としての弱さを心底から味わい、そして、神に真実な祈りを捧げました。激しい苦しみの中においても 主イエスは、父なる神に信仰をもって祈ること、神の正義と慈しみに全幅の信頼をよせて、神にお任せすることをクリスチャンに教えておられます。 そして、この祈りは、多くのクリスチャンの祈りとなり、どんな迫害の時代、どんな困難の中でも祈られ、信仰の力真理となり生きる力となってきました。 わたしたちも、どんな苦難、先の見えない苦悩の中でもこのように祈り、死に勝たれたキリストに希望をもって生きたく願います。

 

5月3日の憲法記念日前夜に、NHKテレビで、「義男(ぎだん)さんと日本国憲法の誕生」という、戦後、日本国憲法作成のために大きな仕事をした、鈴木義男という、法律学者・弁護士の番組がありました。

彼は、子どものころ、伝道師の親から、キリスト教は、弱い立場の人や貧しい人を助ける宗教だと教えられたそうです。ドイツへ官費留学の後、東北大学で力強い授業は学生に人気がありましたが、満州事変や、日本の国際連盟脱退、という日本が軍国主義に傾斜する時代の中で、辞職を迫られ、弁護士になりました。彼は、貧しい人苦難にある人を弁護し、堕胎罪の女性や、治安維持法に訴えられたマルクス主義経済学者の森戸辰雄等を苦労を省みず弁護して、赤い弁護士といわれました。しかし、いつも、聖書の言葉を覚えそれに従い、また、法廷で聖書の言葉をかかげて、熱心に数時間も弁護して減刑を勝ち取りました。そこに平安と喜びがあったというといいます。

戦後、日本国憲法の制作に携わり、アメリカGHQの原案に対し、彼は、「積極的平和主義」を提案して、平和を憲法と教育の根本精神としました。また、「25条 生存権、国の社会的使命、すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」を加えました。

それは、敗戦で、日本人310万人の戦死者を出し、2つの原爆を受け、東京の都市も廃墟、家族を失い住む家を失った人々、多くの戦災孤児がさ迷っていた悲惨な現状を深く心に留めていたからでした。彼の提案は熱心な議論あと多数の支持者を得て、憲法の条文となりました。こうして、20世紀にふさわしい憲法はできたということです。

 

戦前の暗い時代から耐えつつ闘ってきた鈴木義男さんは、このような誠実なクリスチャンの生き方を貫いて、主に用いられました。

わたしたちも、コロナの苦難の中でも祈りつつ励ましあって希望をもって歩んでまいりましょう。

(ウェスレアン・ホーリネス教団 ひばりが丘北教会)