真実を求めた歴史哲学の詩人にして伝道者 藤井 武 内坂 晃
佐藤全弘著
『わが心の愛するもの 藤井武記念講演集Ⅰ』
『聖名のゆえに軛負う私 藤井武記念講演集Ⅱ』
著者はカント哲学を中心に、長年西洋哲学全般を講じてこられた方である。しかし世間では何よりも新渡戸稲造研究の第一人者として知られている。そしてもう一人、著者が渾身の力をこめて、長年研究してこられたのが藤井武である。藤井武といっても、今はキリスト教界の中でもその名を知る人は少なくなった。ましてや藤井の著書を読む人は……。
『わが心の愛するもの』の帯には、次のように記されている。
「……内村鑑三の高弟にして、激動の時代を預言者のごとく駆け抜けた藤井 武。42年の生涯に限りない愛惜と敬慕を込め、その実像を今に伝える働きをライフワークとしてきた著者の講演集第一巻」。彼は内村鑑三をして「藤井は神様の外に恐い者を知らない」といわしめ、塚本虎二は「彼の生涯は、言葉通りに血みどろな生涯でありました。私はこれ以上長く生きていて呉れという勇気を有ちません」と言った。南原 繁は「藤井 武氏を知るほどの人は、彼の生涯が何よりも闘いの生涯であったことを知らぬ者はないであろう」と書いた。その闘いとは、何よりも神の前に真実を求める戦いであった。義弟矢内原忠雄は「彼の遺したるものはただ香り高き真実の人格と底深き純真の信仰、これこそ姦悪の世にありて……永遠に輝く空の明星である」と記した。矢内原が大学を追われる決定打となったのは彼が藤井 武記念講演で述べた「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」という言葉であった。関東大震災の折、藤井は家の前に次の様な一文を貼り出した。
「今度の出来事に際して、多くの自警団が同情すべき朝鮮人に対し、また軍隊が無力な社会主義者に対して取りたる態度は、赦しがたき人道的罪悪である……」と。またキリスト教の「歴史哲学的長詩『羔の婚姻』」の中で、「日本人は古代から天皇への忠義を尊んできはしたが、天皇も神ではないから、天皇に依り頼んでもこの国の精神が真理に目覚めることはありえない、それは幻である(28頁)」ことを歌っていることは、1920年代の終わりという時代背景を考える時、驚きを新たにせざるをえない。私達は「羔の婚姻」において、聖書の歴史観が古今東西の人類の精神史に対して、どれ程深く理解と評価と批判の視点を与えうるかを知って驚く。そこではカント哲学、フランチェスコ、マルキシズム、ルーテル、武士道、日本の仏教史、国学等が取り上げられ詩に歌われる。藤井武の教養の深さ広さに驚く。しかしそれが詩文であるだけに一般読者にはきわめて難しい。それを解きほぐして解説してくれる人が必要である。その人は藤井以上に深く広い教養と詩人的素養とを備え藤井の思想の現代への適用をしうる人でなければならない。現代世界の諸問題への鋭い洞察の出来る人でなければならない。著者こそはまさにその人であり他に考えることは出来ない。著者の博学の広さ、正確さは驚嘆の他はない。そして何より筆者の心を打つのは、批判も含めて著者の藤井への敬愛の念である。読者は本書によって、古今東西の歴史や思想について、真に良き学びをすることが出来よう。しかしそれ以上に著者が読者に願っておられるのは、藤井武という真実一途に生きた人格の息吹に触れることであり、それを通して神を讃美することであると思う。(聖天聖書集会牧師)