3年ぶりの韓国訪問 金美淑(キムミスク)
3年ぶりに母の国へ
コロナの制限も少し緩和され、念願の韓国訪問が実現されたことは恵みにほかならないのでしょう。青森から仁川までの直行便(コロナにより2020年3月4日を最後に仁川までの飛行機が運休となった)の代わりに羽田経由で金浦に着いたのは11月7日、風もなく気温17度ぐらいの温かい晩秋のソウルが待っていました。間もなく90歳を迎える母のことがずっと気になっていた私は夏に一回コロナにもかかったし、韓国に行く1週間前は4回目ワクチン接種を終え、万全の準備をしたつもりで勇気を出した訪問でした。3年ぶりの韓国は目まぐるしいスピード感が感じられ何でもカードで決済される電子化が進んでいました。3年の間、デリバリーと宅配の事業は好調産業となり特に宅配の場合、ソーシャルディスタンスの影響下、お留守の際にも配達が出来るような仕組み(配達員は注文者のスマホに配達完了のメッセージを送るだけで済む、どこの家の玄関にも配達箱が置いたままだった)となっていました。
皆さんもご存じのように、私が韓国に行く1週間前は、ソウル市内の繁華街「梨泰院(イテウオン)」で路地に密集した大勢の人々が折り重なって倒れる雑踏事故(11月29日時点で死亡者158人、負傷者196人)が起きました。韓国にいる間、事故の真相究明と責任の所在を問う警察側と区役所側との攻駁の場面が毎日テレビに映っていました。残念ながら、いまだに原因の究明や責任の追及は進んでおらず、犠牲者へのご冥福をお祈りする黒い旗(1)が悲しみを募らせていました。
尹鍾倬(ユンジョンタク)先生のお墓に献花
11月10日木曜日、朝5時に母の家を出て韓国基督教共助会の会長であった尹鍾倬先生のお宅(東大邱駅)へ向かいました。尹先生は2019年11月24日に亡くなり、まもなく3周忌を迎えようとしていました。お宅に着いたら、尹先生の奥さんが笑顔で大歓迎、冷たい私の手は奥さんの手の中でぽかぽかとなりました。奥さんは3年前(最後にお会いしたのは2019年11月30日で、尹先生のお葬式が終わったばかりの頃だった)より気力を戻され、私たちの教会(藤崎教会)のために熱いお祈りをしてくださいました。奥さんとのあっという間の時間が過ぎ、尹先生のお墓のある安東(アンドン)へバスで出発、安東市外バスターミナルには尹先生の長女である尹聖姫(ユンソンヒ)さんご夫妻が迎えに来ていました。そこから車で30分ほどを走り禮川(イェチョン)郡新豊(シンプン)里という村が眺められる小高い畑の隣に先生のお墓(2)がありました。家を出発してから5時間半、ようやく先生との6回目の再会ができました。お墓の前に供えた白い小菊の小さな花束が20度の暖かい日差しにダブって見えました。そして先生のお墓から遠くに、ある教会が見渡されました。長女が言うには、その教会(新豊教会(3))は尹先生のお父さん(尹先生のお墓のすぐ横にお父さんのお墓もある)がつくられたそうです。それから尹先生が引き継いで牧会され、今は長女の尹聖姫さんが通っているそうです。夜も昼も、雨の時も風の時も、お二人に見守られている教会ってなんという幸いなものでしょう。畑の前にある長女の家で一服し、先日とれた落花生をいっぱいもらって帰りのバスに乗りました。まる一日かかる距離ではありましたが、足が痛いことなく、その日の夜、私は両足を伸ばしてぐっすり眠ることができました。今もここ藤崎町の空と新豊里の空はつながっており、お昼のお星のように尹先生はおられます。
100歳となった洪彰義(ホンチャンイ)先生の白髪の冠次の日の11月11日金曜日は、親友の崔秀蓮(チェ スヨン)と香隣教会の設立者である洪彰義先生(4)のお宅を訪問しました。洪先生は長男ご夫婦と住んでおられ、お嫁さんとはたまにメールをしながら先生の安否を聞いたりしていました。先生のお年も今年で100歳となり、午前中はほとんど寝ておられるそうです。そして昼間一回起きたらまた眠られるということで、今回は先生が確実に起きている時間帯の午後2時半に約束をしてお訪ねをしたのです。コロナも気になり、玄関口で短い挨拶だけでもと思いましたが、お嫁さんの歓待のお誘いで中に入れてもらいました。洪先生は相変わらず、やさしい声と微笑みの顔がそのままでした。私たちが帰る際に、先生は椅子から立ち上がり玄関まで歩き出て「カムサハムニダ.チャルカヨ.ありがとうございます。気をつけてお帰りください。」とはっきりとした語調で挨拶をしてくださいました。来年はどんなことがあっても、主人とあいさつに来ようと心に指をかけながらお宅を後ろにしました。そして11年前、私たちの結婚の報告の際に、先生からご馳走してもらったあの中華料理屋に一緒に行き(おんぶをしてでも)、今度は私たちの方から先生にご馳走させていただきたいと強く思いました。
11月13日の日曜日は、堤岩里(チェアムニ)教会に行って姜信範(カンシンボム)先生ご夫妻と一緒に礼拝を捧げる予定でした。それがなんと土曜日の夕方から右腕にひどい痛みを感じ、一睡もできないまま日曜日の朝を迎えました。さっそく先生に電話をかけて事情を言いました。3年ぶりの再会を待ちに待っていたお二人に大変申し訳ないことをしてしまいました。急いで日曜日もやっている整形外科に行って検査したところ、病名は石灰沈着性腱板炎でした。超音波で石灰の位置を確認し、針と注射で石灰の穿刺吸引の治療をしてもらいました。一日が経ったら痛みもだいぶ感じられなくなり、今は完全に回復しております。
今回の韓国訪問はとても短く感じられました。コロナで3年間、抑えられていた感情を十分吐き出すことができず、もう一度我慢を強いられて帰って来たような気がいたします。それでも大切なお二人の先生に再会ができたことは天の宝を見つけた(マタイ13:44)大きな喜びでした。
藤崎は昨日初雪が降り、今日もしんしんと降っております。腕の激痛を先に味わい尽くし、人類への最大愛を示してくださったイエス様のご降誕の日が近づいています。イエスのわき腹の釘跡を見ずに信じたお二人の確固たる信仰に見倣い、ここ白い藤崎の地に祈りの足跡を少しずつ残しながら歩んで参りたい、そのように思うものです。
(日本基督教団 藤崎教会員)