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夏期修養会感想

共助会というキリスト者の会があることを知ったのはつい最近のことで、6月発行の共助誌を友人に送っていただいたのがきっかけでした。共助誌を開いて「なぜ」と問うことを止めずに生きるという小友 聡氏の巻頭言にとても共感して、「赦しと和解」というテーマの信仰修養会に参加させていただきたいと思いました。私たちを取り巻いている問題の深さにどこから、何から取り組めばいいのか暗澹たる思いでいますが、この時代でさえも私たちたちを見捨てない神様がコントロールしておられると思うことでしか希望を見出すことができません。共助会が韓国の方々との交わりを大切にしながら、超教派の方々でここまで紡ぎ、守り続けてくださったことにも感動を覚えました。

開会礼拝で荒川朋子さんがアジア学院の取り組みをご紹介くださり、アジア学院がアジア諸国との和解を願って、日本の教会の具体的な贖罪(しょくざい)の形として創設されたことを知りました。

その活動が50年間神様の守りによって続けられていること、共助会もまた100年の長きに渡って、神様のお導きによって活動を続けられていること、そこに私は小友氏の語られた希望を見出しました。赦しと贖罪のために神様は小さな祈りのエクレシアを点点と守り続けくださっていること、そこに連なる私たち一人一人を見守り続けてくださる神様の愛を、深く感じる時を本当にありがとうございました。

(愛農ケ丘集会)

●自己紹介

東久留米教会から参加の吉井悠起です。

同教会の石田真一郎牧師の紹介で今回の夏期修養会に初参加しました。

私の家族や学校等はキリスト教とはまったく関係なかったのですが、縁あって同教会で2023年イースターに受洗をしました。共助会について今回は塩尻での修養会開催との話で興味が湧きました。

塩尻は私の父の実家がありまして、私は幼少の頃から毎年正月お盆に帰省をしていて馴染み深い場所です。神様に誘われているんだと感じ、実家に住む叔母宅から通い参加の予定で応募しました。

●不思議な導き、交流に感謝

ところが参加直前に叔母が突然の夏風邪、通い参加は難しくなりました。参加は諦めようかと思いながら、宿泊可能か共助会 鈴木幸江さんへ確認したところ、突然の問合わせにも快く対応頂き、すぐ「宿泊は大丈夫!」との連絡が来て助かりました。共助会の方々、宿泊先「塩嶺体験学習の家」の 村上博志さん、神様の不思議な導きに感謝いたします。

初参加でしたが、共助会の皆さんは気さくで配慮が深く、私の初歩的な質問にも優しく答えて頂き助かりました。

また普段は私の教会では上の世代と交流は深まっていましたが、同世代のクリスチャンとの親睦は機会が少なかったので今回は新鮮でした。

風呂場やラウンジで刺激的な話題《日本と韓国での無教会、キリスト教保守・LGBT、哲学・数学とキリスト教、AIによる効率的な社会と哲学、旧約聖書サムエル記等の戦記物の捉え方等》について語り合いが起こり、難解でしたが貴重な交流でした。機会を与えてくれた神様にやはり感謝です。

少しでも吸収して今後に活かしたいと思い、講義・分団に臨みましたが理解しきれてないと感じています。これから時間をかけて読み解いていきたいです。

●キリスト教詩人 島崎光正さん

今回は修養会の自由時間で、福岡生まれ・塩尻育ちのキリスト教詩人 島崎光正さんとゆかりがある、島崎家住宅を外から見学、光正さんと母の早苗さんについて思い巡らしました。

私は光正さんについて初めて知りましたが、障がい「二分脊椎(にぶんせきつい)」を持って生まれ、歩行などに困難があった中で詩作を行いました。

光正さんが生後1か月の時に父・光頼さん(塩尻出身・医師)が急死し、未亡人となった早苗さん(長崎出身・当時23歳)とは離れて暮らすことに。光正さんは塩尻の祖父母に預けられます。半年後、二人は束の間再会し、数日は母子仲睦まじく過ごすも、同居は事情があって難しかったのか別れることに。

早苗さんは悲しみの余り気が動転し、後に光頼さんが勤めていた福岡の病院・精神科で余生を送ったそうです。

早苗さんは愛する夫や我が子と別れることになった自分自身に「ゆるし」が訪れたのだろうか。私は祈るばかりです。イエス様なら「疲れたもの、重荷を背負うものは私の元に来なさい、休ませてあげよう」と言ったでしょうか。私は彼女の身を削るような強い愛を感じました。

後年、光正さんは「私ども障がい者の仲間には、生まれ持った障がいについて親に反発する人もいるし、その気持ちは半端では無いし、そういう所(悲しみ)を乗り越えていく。私は幸い、母の愛の前に沈黙せざるを得ない。自分に先んじて母が痛みを負っていてくれる。その事実の前に私は沈黙せざるを得なかった。そのような障がいをもっていようとも、生きる責任を私は感じた。〈一部抜粋〉」(島崎光正『星の宿り』筑摩書房60 〜67頁)

光正さんは犠牲の愛によって「ゆるし」が訪れたと私には思え、神様による救いを感じます。

どうか子ども、両親が生きやすい社会になりますように。どうか病の中にある人、大切な人を亡くされた人、困窮している人、紛争地の中にいる人に、守り、慰め、救いと癒しがありますように。アーメン。

(日本基督教団 東久留米教会員)

はじめに、お声かけくださった飯島信牧師、会に参加された皆さまに心より御礼申し上げます。基督教共助会の何も知らず参加いたしました。緊張しましたが、あたたかい雰囲気にだんだんと和み、集中して参加できました。本当に久しぶりの夏の修養会で、全過程を楽しみました。プログラムも大変興味深く、主題講演、シンポジウム、聖研、分団のそれぞれに「つながり」が感じられ不思議でした。お聴きするうち、だんだんとみ神のご計画とその痛みについて考え、キリスト内在による無条件の赦しへと心開かれ、主の用意されたご平安の中に共存する者へと変えていただく恵みへと運ばれて行きました。帰宅後、朴大信牧師の文章(共助誌2024年第3号「主の祈り第七回」)「神を讃えるとは、起きている事象の中に目を遣るのではなく、その終わり、つまりはそれが向かう目的地、あるいは神が完成させてくださるその最後の姿から今を見つめることだ」に接し、ああそうか、この集いは心から讃美することを求める方々によって為された会だったのだと思いました。長年奏楽者としてご奉仕させていただく中、少しずつ信仰を深めさせて頂きましたが、この3日間は、百回の礼拝に匹敵する時でした。感謝いたします。

(日本基督教団 福島教会員)

信仰はかくも人を強くするのか! 修養会で、最も強く感じたことです。過去の戦争責任を、日本で生きる個人として、どう果たしていくかを長年祈りながら問い続ける方々、ガザの虐殺を、リアルに自分が係わる事柄として何を感じ、どう行動するか、心の底から悩みもだえている若い方々。アジア学院に携わる方々の、無私という言葉以外当てはまらないような年中無休の献身。これらの方々の全人的なあり方に出会い、驚嘆しました。そして飯島さんのお説教で、「人は、心の奥底で平和を願うよう、そのように作られている。」という言葉を聞いたとき、思わず嗚咽しました。強い希望の感覚が貫いたと同時に、私は絶望していたのだ、と気づきました。この世に絶望すると同じくらい、自分に絶望しているのだと。ずっとそこにいたのかと。

大学時代に自己否定に苦しんでいた私は洗礼によって救われましたが、まだ絶望は心の深いところに根を張っていたのでした。イエス様は、共助会という全人格的な交わりの中でありのままの私を語る場所へと導いてくださったのだと思います。

希望に生きるために、目を背けずに絶望と向き合わなくてはならない。「勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」。

キリストにある希望が見いだせることを信じて、私自身の心の絶望と、世界の理不尽に向き合って生きたいと思います。 

精神科医師として、社会のひずみの中で「自分自身を生きる」ことの困難さに苦しむ人達と向き合っていきたいと思います。

本修養会に対するふたつの批判 藤坂 一麦

パレスチナに対するイスラエルの罪は語られた。韓国に対する日本の罪も語られた。しかし、パレスチナに対する日本の罪、そして他ならぬ「私」の罪はほとんど語られなかった。G7の一員として、またアメリカの同盟国として、日本はイスラエルに深く加担している。消費者として、また行動を呼びかけられている者として、我々個々人は虐殺の片棒を担いでいる。

本当はここから始めなければならない。我々は加害者なのだ。その視点が無かったが故に、他人事のような議論が多くなった。

もうひとつの批判は赦しについてである。

パレスチナにしろ、韓国にしろ、我々が加害者である問題が今回のテーマである。しかし、加害者が赦しについてこのようなニュアンスで語っても良いのだろうか、と思う場面が多々あった。

加害者にとって赦しは「存在しないはず」のものである。

我々は「赦される」と口にしてはならない。赦されたときに初めて「本当は赦されるはずのないことなのに、なんと赦された」と語らなければならない。それは感動と感謝の前に、驚きととまどいを持って受け止められるものだ。

高橋哲哉氏はこの部分を非常に慎重に語られた。「無条件の赦しとは、この私が赦されることなどあるはずがないのに、しかし私は生かされている、ということなのだ」

どれだけの参加者にその峻厳さが伝わっただろうか。

この視点に立たねば、歴史はいずれ繰り返される。いや、パレスチナに対して、我々の歴史は「すでに繰り返されている」。

(京都大学生)