共に祈ること H.U
今年の夏も修養会に参加する機会が与えられたことを感謝します。また、修養会に来ようと思ったのは誰かと祈りを共にしたいと思ったからです。誰かと共に祈る時間が今の自分に必要で、そのことを切に感じていました。留学から帰国して以来は教会や集まりにはほとんど行かず、聖書を一人で読む日々が続き、それ自体は自分にとって豊かな時間でありましたが、自分の言葉を誰かの言葉と共に自分の心に抱くような時を持ちたいと願うようになりました。
私は自分の言葉を人に伝えることに対して強い恐れを感じるために人前で話すことからは逃げてきたのですが、共助会では少しですが自分の心の言葉を他者に向けて発するということができるような気がします。その言葉がずっと自分の奥で反響し続けるような、自分の人生における灯であるように思え、暗い場所に沈んだ時に帰って行けるような、祈りができるような気がします。そしてそのような祈りがただ自分のみに発せられたものではないこと、他者と確かに生きている空間において発することができたことは自分にとって本当に大きいことです。
講演でのお話と皆様のお祈りを聞き、聖書の神様は私の神様なのだという気持ちが強められたような気がしています。自分の人生でずっと自分の言葉をささげ続けて生きたいと思えるような神様なのだと思いました。共助会で皆様とお会いし、言葉をかわす時間を通して、自分が神様の前であり続けたいと願っている自分に向かって、神様に向かって歩み続ける励ましが与えられているような気持ちがいます。この歩みは自分のものではありますが、共に歩く他者が与えられていることの恵みを感じました。