第3回「シーベリー青年の夕べ」発題・殺すな Mark
マルコによる福音4・26―34(新共同訳)
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。
私はこの半年間、毎日怒りと悲しみで気が狂っていました。
この「青年の夕べ」向けの文章に限らず、たくさんの文章を書いては捨ててきました。今日の「青年の夕べ」のためにも4度目の原稿を書き始めたのは6月15日(昨日)の22時20分です。みなさんと喧嘩してもしょうがないので、99%くらい感情を抑えて書いてます。90%くらいしか感情を抑えなかった同じ「殺すな」というタイトルの文章を1か月前に飯島先生に送りましたが、あまり反応が良くなかったのでこれでもさらにより穏健な文章に書き直そうと努力しました。また、この1か月で世間の風向きが変化したことを感じていることもあって、なるべくなら建設的な方向性が良いと思い書き直しています。もとの本心に近い文章は「我が兄弟姉妹」というタイトルで公開しておいたので、もし読んで不快な気持ちになっても構わない人は読んでください。
最終的にもまとまりがなく自分でも何を言っているか混乱した文章のまま発表の場を迎えています。なぜこんなに文章を書くことに失敗し続けているか言い訳させてほしいです。僕がこの今の現実に対して何か追加で書き足すことも、言い足すことも何一つないからです。
そして、何を話しても、どういうコメントや態度が返ってくるか、だいたいわかっているからです。半年以上も失望を繰り返してきたからです。そこにポジティブなイメージを全く持てないからです。この9か月間、私たちパレスチナ連帯者たちは、自分たちがこの76年間パレスチナ人を置き去りにしてきた罰を身に受けました。私たちの言葉は無視されます。大声で叫ぶと過激だと言われます。優しく話せばやっぱり無視されます。丁寧に説明しても紳士的なみなさんがバリエーション豊かな言葉の脱価値化を私たちの言葉に施してくださいます。
世界史上これだけ多くの人間がその殺害を正当化し、殺害者の肩を持ち、殺害者に配慮する言辞を口にし続けた、あるいは心の中で述べ続けた大量殺人事件はなかったと僕は断言します。世界史上最も力の非対称性のある、最も残忍なイジメです。
原子爆弾投下を正当化するのはアメリカ人くらいです。ナチスのホロコーストを正当化したのは当時のドイツ人くらいです。大日本帝国による虐殺を正当化するのは一部の日本人くらいです。シリア市民を虐殺しているアサド政権を支援しているのはロシアくらいです。スーダン市民を虐殺している準軍事組織RSFを支援しているのはアラブ首長国連邦くらいです。ロヒンギャを虐殺しているミャンマー軍事政府を支援しているのは日本くらいです。コンゴ市民を虐殺している武装組織M23を支援しているのはルワンダくらいです。
しかしパレスチナの人々については、いかに彼らが殺されても仕方がない存在なのか、どうして私たちはその殺害を支援したままでいてもしょうがないのか、どうしてイスラエル国を咎めるべきでないか、制裁すべきでないか、イスラエル国の虐殺を止めようとする活動がどのように偽善的か、そう言ったことを語る人々は、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、イタリア人、カナダ人、フランス人、日本人に大量におり、これらG7と呼ばれるジェノサイド支援主要7カ国から、虐殺に必要な物理的・精神的援助がふんだんにイスラエル国に送られ続けています。
一体どのような言い訳を毎時間自分に言い聞かせる努力をすれば一言もこの巨大な虐殺と虐殺支援プロジェクトに抗議せずに過ごすことがただの一日でもできるのでしょうか。構造的な搾取の話ですらないのです。全くどこも難しい話ではないです。ただ純然たる直接的な殺人と直接的な殺人幇助(ほうじょ)に関する話です。
これに対して沈黙を一日でも貫くことは自分の人間性を殺すことだと思います。その魂の自殺行為を250日間続けられた「強靭な魂」に対して私は語る言葉を持たないです。
とは言っても私もこれからも何かは語り続けたいと思っています。なぜなら私もその自殺行為を30年間に渡って続けてきた人間の一人であるからです。きっと人それぞれがそれぞれの価値観において絶対に許せないことと出会った時に、この世界には全霊をかけた闘争が必要であったことを理解するかもしれません。私はそれを理解していませんでした。例えば飯島先生が多くの社会問題に身を投じてきたことの意味を理解していませんでした。そういうことは向いている人がやるべきことだと思っていました。私はそもそもが分業主義者でした。向いている人が向いていることを、それぞれの価値観に応じてやれば良いというのが基本の考え方でした。しかし正義までも他人に外注してきたことを悔いています。正義のための闘争を他人任せにしてきた自分を悔いています。
世界には闘争が必要でした。でもみなさんや人々と喧嘩してても仕方ないというのも事実ですから、快い言葉を選び、また「マジョリティさま」たちの共感を得るための努力を私たちもこれからしていこうとは思っていますし、怒りを鎮め、効果的な動きを作れるように自分を調整しようと思っています。
私は昔から、人間の動機に正義や不正義というものはなく、ただ快と不快だけが存在する。従って社会を良くしていくための活動には、何よりも共感を広げることが大事である、という原則を知っていました。しかし、まさかパレスチナ人の子どもたちを白日の下で9か月も毎日、毎日殺し続け、更には殺人者集団に金と武器と食糧と祈りと配慮を払い渡し続けること、についてさえも「正義と不正義」を説くことが力を持てず、あくまで「快と不快」という基準しか通らないとは、正直言って全く知らなかったのです。
ですが、このふんだんに「援助」された虐殺も、「感じ方は人それぞれ」「評価は人それぞれ」「数ある出来事の一つ」という相対化を受けるトピックの一つであったということを今は事実として受け容れています。
どこからは絶対許せない不正義であるかは、確かに人それぞれです。そして、日本国民やクリスチャンの9割の人々にとって、ガザ虐殺は「絶対許せない、わけでもない」ことであったということを知りました。そして、私にとって、社会にこれまで現に存在してきた多くの不正義を、「絶対に許せない、わけでもない」こととして扱ってきたことを反省させられました。
私はいつも、物事をなんでもおよそ30%と70%に分ける見方をしていました。フィフティ- フィフティの対立というものは存在しないけれど、絶対善も絶対悪も存在しない。多くの事物に善性が隠れている。だからより劣勢と思われる側になるべく立つが、かといって中立点からあまり離れたところまではいかない。
30%の力しか持たない弱い側に70%肩入れし、70%の力を持つ強い方に30%だけ共感を示す。これが僕の生きる原則でした。
「私は常に対立の間に立ちたい。」と、私は去年の10月にここで、この「青年の夕べ」でも、言っていました。私なりに私の30年を詰めた原稿をここで読んだつもりでした。今読めば、なんと、愚かで無意味な人生だったのでしょう。書いたことのほとんど全てがどうでも良くなりました。何を主張しても射殺されることもないのに、虐殺を支援している、先進国の「貴族さま」同士の高尚なイデオロギー対立を仲裁して一体何になるのでしょう。今日のご飯がどこまで旅しても得られない経験をしたこともないのに、虐殺に投資している、先進国の「貴族さま」たちの実存的なお悩みに寄り添って何になるのでしょう。
「間に立つ」などというバカげたことを、「対話を重視する」などというバカげたことを、「目の前の愛やら平和やら友情やら勉強やら幸福やらハートウォーミングな先進国の日常を大切にする」などと言うバカげたことを私は2度と言う気はありませんし、そのような言葉に絶対に与くみしません。
私は今後、虐殺を肯定した人々と虐殺に抗おうとした人々の中間になど決して立ちません。私は100%、虐殺に抗おうとした人々の側に立って抗議し続けます。
カトリックとプロテスタントとの間になど立ちません。100%、キリスト教が結託して殺害した人々の側に立ちます。リベラルと保守の間になど立ちません。
100%、リベラルと保守が結託して殺害した人々の側に立ちます。
科学と宗教の間になど立ちません。100%、技術とイデオロギーが結託して殺害した人々の側に立ちます。
たとえば、国旗の前で国歌をみんなで歌っていることの暴力性は、全員でそれに従っている間、全く可視化されません。70%と30%の力の分配で対立構造の間に立つなどというのは、言うなれば、この巨大な暴力の不可視化、隠蔽工作に加担することでした。社会が言う平和とはこれのことだったのです。国旗の前で国歌を歌っていることがマジョリティを構成する人々にとっての平和であり、暴力のない状態であったのです。それに従わない人はうるさい存在であり、うるさい人々をたしなめ、黙らせ、不正義を温存することが、人々が対話と呼ぶものだったのです。
誰かが不服従を表明した時、社会全体がどれだけ不正義を愛していたか、どれだけからし種ほどの神の国すら一切の成長を望まない荊に覆い尽くされていたのかが、やっと初めて明らかになります。
国歌斉唱で起立しない人が現れた日に、大学の「お庭」にテントを張る学生が現れた日に、役所の掲示板に落書きをするノイズアーティストが現れた日に、国連安全保障理事会にしつこく停戦決議を提出する非常任理事国たちが現れた日に、虐殺国家を援助する物資を乗せた船の航行を妨害するイエメン人が現れた日に、一人の男の子が戦車の前で石つぶてを手に取った日に、一人の女の子が生き残った家族を助けるために声を上げ続けた日に、脚を奪われたおじさんが、占領軍が禁じた旗を、占領軍の目の前で高く掲げた日に、この人たちは、この世界がいかに巨大な不正義に覆われていたのか、いかに不正義を愛する人々だけによって成り立っているのかを明らかにしたのです。
パレスチナ人が何万人もの命を犠牲にして白日のもとにひっぱりだしたこの不正義について、私は一生かけて取り組もうと思います。私にとって、あくまで私にとってですが、どんな妥協も許されぬ不正義と出会ってしまいました。
私は怒りと孤独で気が狂っていますが、この3週間くらいは、少しだけ風向きが変わってきていることを感じています。どうかこれから一緒に闘ってくれる人はいないですか。ほんとに多くの人に助けてもらえなかった私たちは、ほんとに少しの助けでもありがたく思う準備ができています。
虐殺を緊急で止めなくてはならない。けれどこの問題は、停戦できたら「めでたし」としてはならぬ、非常に長期的な問題です。イスラエル人が殺されたり人質に取られたりすれば戦争が宣言されますが、パレスチナ人は戦争など関係なく平時でも簡単に殺され、簡単に人質に取られます。2023年10月7日のハマス党の軍事部門アルカッサム旅団によるイスラエルへの越境攻撃が起こる前の段階で、2023年だけで200人以上のパレスチナ人がイスラエルによってパレスチナ領内で殺害されていました。なぜかこれは越境攻撃とは呼ばれないのです。その境界線はパレスチナ人を閉じ込めるためだけに存在し、イスラエル人はいくらでもこの境界を踏み越えて暴力を〝平時〟から振るっているのです。私はイスラエルの占領体制がここまで酷いことになっていることを恥ずかしながら知らずに生きてきました。日本国ですら、このイスラエルの占領体制は武力による侵略に準ずる状態であると国際司法裁判所の法廷で公式に述べているのです。
パレスチナ人の指導者に武器を取る選択をさせたのはこのような国際法違反の占領状態を関心領域の外に置いてきた私のような無知な人間です。
私たちはパレスチナ人に対してああしろ、こうしろ、ああするな、こうするな、と言うべき立場にありません。何をすることが求められているのか、私たちがパレスチナ人から問いを投げかけられているのです。
今、まだ名前も形式も定まっていませんが、継続的に、それぞれのできる範囲で、それぞれのできることを持ち寄って、息長くパレスチナ占領問題について意思表示し、情報交換し、勉強し、発信し、アクションを考え、できることをしていくプラットフォームを作りたいと思っています。賛同者として名前を連ねてくれるだけでも大きなことです。もし一緒に闘ってくれる人がいたら、どうか教えてください。
(連絡先: SomoudJapan@proton.me)
今日もまとまらない感話を聞いていただきありがとうございました。
(ITエンジニア・カトリック麹町聖イグナチオ教会員)